隠れて物理を勉強する

 ちょっと前から隠れて物理を勉強している。使っている本は、山本義隆『新・物理入門』駿台文庫、である。出版社名を見ればわかる通り、これは高校生向けの参考書である。
 物理を勉強したいのは、研究上の必要と個人的な興味と両方なのだが、研究上必要な部分については、ちゃんともっと専門的な本で勉強しているので、この本を読んでいるのは個人的な興味のためである。そもそもは、熱力学や統計力学のことをわかりたくて、畏友の物理学者・加藤岳生にいろいろ根掘り葉掘り質問していたら、彼が「小島さんの疑問に答えられる最もいい本は、山本さんの参考書ではないか」といったのだ。そして、「高校生向けの参考書だけれど、普通の大学生向けの物理の教科書には書いていない根源的な問いに関する説明が試みられている名著ですよ」とも付け加えてくれた。それで買ったのだ。ぼくは、拙著『算数の発想』NHKブックスや『ゼロから学ぶ線形代数』講談社などに、相当物理のことを書いているのだが、実は物理のことはあまりよく理解できておらず、たぶん、センター試験で物理の試験を受けると、かなりひどい成績をとるレベルである。(とはいっても、それらの本の物理ネタは、加藤君をブレインに書いているのでは、全く正しいので安心して欲しい) 。ぼくは、物理の本の数学的な記述を読むのはそんなに苦痛ではないのだが、「どうしてそう考えていいのか」とか「それはいったい自然界のどんな性質を表しているのか」とかを考えて悩んでしまう質であった。それでいつも同じような迷宮にはまりこんでしまうので、それを解決してくれる本が欲しかったのである。この本は、全くふさわしい本だった。
 たとえば、しょっぱなに、運動方程式「ma=F」について、こんな風に書いてある。
この式は、「質量に加速度を掛けたものが力である」ということを表しているのでは決してない。この式は「物体mに力Fを加えられたならば、その結果として加速度aが生じる」という因果関係(原因・結果関係)を表しているのである。右辺と左辺が等しいというのは量的関係だけで、概念的意味内容としては右辺と左辺は異なる。つまり右辺は運動の変化の原因としての加えられた力であり、それは単なる数学的定義に帰し得ない実体的起源をもつ。他方、左辺はその結果として生じた運動の変化の割合を表している。(中略) 。運動方程式はあくまでも物理的な因果関係を表しているのであり、力の定義式では決してない。
こんな説明は、高校でも大学でも受けたことがなかったし、少なくとも学んだ教科書に明示的には書かれてなかったから、しょっぱなからもうショックである。さらには、このちょっと後に、こんな風にも書かれている。
 以上の議論でわかるように、力学の原理において力はきわめて重要な役割を果たしている。しかし現実にはどのような力が存在するのか、それらの力はいかなる性質をもっているのかは、一般に経験事実として与えられていると考えなければならない。つまり古典力学の内部で論理的に導き出せるものではない。 どうしてこういう重要なことを教えてくれる物理の先生がいなかったのだろう、と今にして思う。もちろん、公式を暗記して、試験にパスするだけだったら、こんな認識は必要ないのだろうし、実際ぼくは、こういう認識なしに、大学の理系に合格して、数学科に進学することはできた。でも、試験も進学も関係なくなった今、一人の人間として人生を送る中で、「物理とは何か」ということを知りたいとき、むしろ、「試験にパスするテクニック」などはどうでもいいがらくたのようなもので、こういう根源的な議論こそが知的な生活にとってとても重要になる。少なくとも、経済学を真剣に研究する中では、このようなものの見方が活力となるのである。
 こんな風に力説してきてなんだが、実はぼくは、浪人のときに、駿台で山本先生に1年間習っている。
そのときの山本先生の講義も、スゴイものだったのだが、こんな風な説明をしてくれた記憶があまりない。ぼくの問題意識が未成熟だったせいで、記憶に残らなかったのかもしれないが、山本先生も予備校デビューしたてだったので、こんな風な境地にはいなかったに違いない。実際、この山本義隆『新・物理入門』駿台文庫の初版は、1987年で、ぼくが教わってから10年くらい後のことである。駿台で講義をするうちに、山本先生の中で「物理をどう語るべきか」というメソッドが確立していったのではあるまいか。
 駿台では、最初、大槻義彦先生に教わっていた。当時の大槻先生は、超能力者ではなく、都立高校の物理の問題の出題委員と戦っていた。(笑い) 。なんでも、理科の入試問題に間違いがあるとクレームをつけたら、間違っていない、と返答されたために、意地になって新聞記者などに吹聴しまくって攻撃していたのである。毎回、講義の半分はその話で、とても楽しかった。
 ところが途中で、海外出張に行くとかなんとかいう理由で講師が変わる、とアナウンスされ、ぼくらはちょっとがっかりした。入試問題の教え方にはちょっと問題があったが、雑談がめちゃめちゃ面白かったから、ぼくらは講義にとても満足していたからだ。大槻先生はそのとき、「代わりに来るのはとても優秀な人だから安心していい」といった。ぼくらは、内心、戦々恐々としていた。
 翌週、物理の講義の前の休み時間に、ぼくらが廊下で語り合っているとき、見慣れない若者が壁に寄っかかってタバコを吸っているのを目撃した。ジーンズにシャツといういでたちで、見慣れない顔だったので、「今頃になって出てきた多浪生」だろうとひそひそ噂していた。駿台の一学期の講義は、毎年同じテキストなので、多浪生は出てこないものだったからだ。そしてその風貌がまた、いかにも多浪生だったのだ。ところが講義が始まってみると、その「多浪生」が、突然壇上にあがって講義を始めたのでぶっとんだ、それが山本先生の我がクラスでのデビューであった。
 山本先生の講義は、とても斬新であったことは確かだった。受験問題の解き方も冴えていたし、途中で入れる物理に関する雑談も、(大槻先生とはある意味で正反対の)知的興奮に満ちていた。どうしても個人的に話してみたくて、一度だけ、「この解答ではダメか」と別解を見せに講師室に伺ったことがあった。丁寧に答えてくださったが、オーラというか、緊張感というか、そういうのをビリビリと感じて、すぐに退散した。
 最も印象に残った雑談は、完全に思考実験の計算から、例の「E=mc2」を導出したものであった。当時、ぼくは、このアインシュタインの法則は、完全なる「経験的事実」とか「実験的事実」だと思いこんでいたので、まさか、自分の知っているいくつかの物理法則(具体的には、相対性の原理、光速度不変の法則、運動量保存則、電磁波の運動量とエネルギー)を組み合わせただけで演繹できるとは思わなかったから、その日は眠れないほど興奮したのを今でも覚えている。それはこの本の314ページに収められている。ぼくらがそんな講義を受けた10年後に、この本が出版されたわけだが、ぼくは長い間この本の存在を知らなかった。ぼくはもう塾で数学を教えはじめており、物理とは遠い関係にあったからだ。でもその後、物理への関心が、意外な方面、(自然哲学や経済学)からやってくることになり、ひょんなことからまた山本先生の講義に再会することとなったのだ。
 一方、大槻先生とは、あるラジオ番組の対談で再会することとなるのだが、その話はまたいずれ。