オリバーサックスの描いた「障害」

ぼくの新著『数学でつまずくのはなぜか』を、小飼弾というかたがブログで書評して下さった。それは以下。
404 Blog Not Found:数学は友達だ! - 書評 - 数学でつまずくのはなぜか
これはあまりにすばらしい書評だ。たぶん、書いた本人よりもこの本の内容を良く理解しているよ。笑い。こういう人がどこかにいると思うから、(思ったほど売れなくても)本を書く、という仕事を続けてられるんだよな。しかし、小飼さんが紹介したとたんにアマゾンのランキングがはねあがったのがすごかった。ネットに住み着く女神みたいな存在だね。ギブソンの小説に出てくるやつ。


そんなわけで、(どんなわけじゃい)、今回も新著のモチーフについて追加的な解説をしようと思う。(営業、営業)。
この本が裏のテーマとして「障害」のことを扱っていることは、『数学でつまずくのはなぜか』 - hiroyukikojimaの日記に書いた。
ぼくが「障害」と数学の関係について、最初に考えたのはずいぶん前、オリバーサックスの『妻を帽子とまちがえた男』を読んだときのことだ。この本は、医師サックスが治療した神経症の患者たちの病態と本質とを書いた本だ。それこそ、いろんな症状を抱える患者がいる。でも、この本のメッセージは、脳神経に障害を持つ患者たちをネガティブに捉えるべきでない、というものだ。「障害」というのは、「何かができない」ということと同時に「何かができる」ということでもあるからだ。


例えば、ぼくが気に入っている患者は、ひどいチック(じっとしていられなくて、小刻みに動いたり、奇怪な行動をしてしまう)を患っている男だ。彼は、ウィークディは普通に働き、週末はクラブでドラムを叩いて暮らしていた。しかし、チックのために、仕事はすぐクビになり、離婚の危機に陥っていたのだ。そこでサックスは、Lドーパという薬を投与して、彼のチックを止めることにした。薬はみごとに功を奏したのだけれど、困ったことも起きたのだ。それは、ドラマーとしての彼のすばらしいプレイまで消え去ってしまったことだ。実は、彼は、とんでもないドラムの才能を開花させていたのだ。それは、聴衆の予想できないようなタイミングで、ブレイクを入れたり、キメを入れたりすることだった。実はこのような優れたドラミングは、チックを有効に使って行っていたものだったのだ。そこで、サックスは、ウィークディの間だけチックを押さえ、週末には本来のままの「病気」に戻るような投薬を行って、この男の病態をコントロールしたわけだ。
ぼくが好きなドラマーにもこのような人がけっこういるような気がする。つまり、きっと、普段もじっとしてられず、きっかいな行動や言動をするんだろうな、と思わせるプレーヤーが多い。このようにチックという「障害」は、場合によっては、「才能」でもあるわけだ。


ぼくは経歴上、数学者たちをけっこうな数眺める機会を持ってきたけど、かなり「可笑しい」人が多い。数学の才能がなければ、ちょっと「残念な人」に見えてしまうような人たちなのだ。でも、その常識的な意味での「残念さ」は、数学上ではかえって有利になっている。なぜなら、普通の人がはなっからだめだろうと思って踏み込まないような考え方・ものの見方に踏み込むことができるからである。つまり、「きっかいな」考え方が平気でできるからである。これは、「才能」であると同時に「障害」でもあるのだ、と思う。


サックスは、映画「レナードの朝」の原作者として有名になった人だ。この映画は、幼少の頃に謎の感染症にかかり30年も眠ったままになってしまった人を、サックスが目覚めさせた実話を元にしたものだ。サックスはこの病気を、「脳神経が細かい痙攣を起こすこと」が原因なのではないかと推測し、さきほどのLドーパを投与して、みごとに覚醒させることに成功したのである。映画では、サックスの役をロビン・ウィリアムスが、患者のレナードをロバート・デニーロが演じた。とりわけ、薬が効かなくなって、次第に病気に引き戻されるレナードのチックの症状をみごとに演じたデニーロは、あまりにすばらしく、そのシーンではおいおいと泣いてしまった。(今現在も思い出して涙ぐんでいるぜ)。


数学の授業をする場合、「できる子」だけだとあまり面白い講義ができない。あっぱれなくらい数学ができなくて、それでいて、天真爛漫に自分のアイデアを披露するようなトリックスターがいると授業は盛り上がる。そして盛り上がるだけではない、そういうこどもの考えから、数学の中の概念についての「常識からはずれた見え方」を学ぶことができるのだ。