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メンヘラがODで自殺未遂して地獄を見た(地獄編)

※以下の内容は鍵アカウントでのツイート記録をもとに再構成しています※

また、思い出したことがあれば追記をしています。

 

みんな生きてますか!?!?わたしは生きてます!!やっほ~~~!!

わたしのブログを最初に読むようなインターネットに染まりきった人間たちにはわざわざ説明する必要はありませんが、ODとはオーバードーズの略で、薬の適量を越えた過剰摂取です。というとなんだか大変な事態のようですが、インターネット適性があるフォロワーの皆々様におかれましてはむしろODしたことない人口のほうが少ないのではないかと思われます。

すこしODの話をすると、わたしはODのなにが悪いかよくわかっていません。死なない程度に、正気の程度に、ちょっとふらふら酔いたいからODする、それの何が悪いかいまもあまりわかりません。少なくともわたしにとってODは酒を飲むのと同じでした。酔いたいし忘れたいから酒を飲むんです。きもちいいんです。死にたいから薬を摂取するのではなく、酔いたいだけなんです。世界も未来もクソだし自分もクソだから現実逃避したいんです。酒も薬もとらず、正気のまま現実世界と向き合ったらきっと狂って死ぬ自信がありました。向き合ってないからわからないけど。

 

まあそんなこんなで酒でODするのが風呂やトイレとおなじくらいナチュラルなことになっていた2020年冬、わたしは自殺目的で普段のODとは比べものにならないくらいの本気のODをしようとして失敗し、地獄を見ました。以下はその地獄記録になります。

 

まずはじめに、死にたい人間には何を言っても無意味。母が泣いても父が泣いても、友達に怒られても、それこそ世界が戦争しようが地球が滅びようが、スーパーの特売に間に合おうが、スタバの新作が美味しかろうが、無意味。死にたい気持ちは消えないのだ。簡単に消えたら苦労せんのだ。

これはわたしの話ですが、牛に胃が二つある?みたいに、心がふたつあって、どれだけ楽しいことがAの心に溜まろうが、死にたいBの心には作用しません。とにかく友達はちゃんといたし、まあまあ楽しかったが、死にたい気持ちは消えなかった。

自分が死んだら親が悲しむのも迷惑かけるのもわかっていたが、死にたい人間にはどうでもいいよな!?わたしが死ねたら後のことなんか知るかいな!自己中で結構!!という心境。死ぬためには苦痛を伴うのもわかっているし、でも生きるのが辛いから苦痛くらい耐えますがな!という。

なので死にたい人がこのブログや私のツイートを見ても「いや誰がどれだけ苦しもうが、わたしは死にたいし」と思うでしょう。そりゃそうだ。なので止めません。死にたいならがんばれ。ただ地獄は見ます。

人生という地獄から次の地獄へ引っ越すのなら、引っ越し先の詳細くらい知っているべきだと思う。なのでこれは次の地獄という引っ越し先の詳細です。

 

以下の内容は、意識が戻ってから、自分のために記録したものをなるべくわかりやすく再構築したものです。

 

まずは死ぬ方法。

わたしは「死ねる可能性が高い」と「生き残った場合強い後遺症が残る可能性が低い」を天秤にかけ、さまざまな方法を考えていました。

アームカットは時々していましたが、いくら深く切ったとしても、それこそ腕を切り落としでもしない限り死ねなさそうな気がしたから却下。

飛び降りは知人が後遺症のこしたから却下。14階くらいからなら死ねるかなと思ってビルの下見をしたりしたけど、車のボンネットなどに落ちたら一命はとりとめてしまいそうだし、わたしは一軒家だから出入りが自由な高いビルがまわりになかった。

練炭は言わずもがなもし生き残ったら脳ダメージが酷くて後遺症がヤバそうだから却下。車椅子とかなら耐えれるけど、練炭はへたしたら植物とかになりそうな気がしたし。

首吊りは高校生のとき失敗したことがあるので却下。

電車飛び込みは親に億の賠償請求が行くと都市伝説を聞いたから却下。

服毒は入手が大変だし知識がなかったし、なにより服毒で失敗して地獄をみた人を知っているので、毒もむりなのかなぁとなった。(余談ですが、さる経路から歴とした毒を入手して服用したが吐いてしまい、文字通り血反吐を吐いて七転八倒したらしいのでこれは本当に辛いと思う)

凍死も考えたけど、現実的に考えて大阪だから雪山登山できないし、いま冬だから酒大量に飲んで外で寝たらワンチャン死ねる?と思ったが、死にたくはあるが女ひとり外で寝たとき何があるか考えたらこわくてできなかった。

醤油何リットルも飲むのは現実的じゃないし……。

色々考えて現実的なのは大量のODかなと思った。死ねる可能性がメチャクチャ高い訳じゃないけど、後遺症も心臓くらいかなと思って、そうすることにした。

わたしが精神科で処方されてたくすりはネットで調べたら安全性が高いと聞いていたし、精神薬はバケツ一杯飲んでも死ねないと聞いていたし、睡眠薬は集めるのが大変だったので、色々調べて、市販のカフェイン錠を購入。カフェインで死んだ症例はいくつかネットにあった。薬のODはあまり死ねないかもしれないけど、「○○中毒」ってなんか死ねそうな響きな気がしてしまった。そのときは「死んだ症例」ばかりを見ていて恐らく圧倒的に多いであろう「死ねなかった症例」をきちんと調べていなかった。無意識に都合のいい情報しか求めていなかった。今はそんなことないのだけど、そのときは冷静になってなかったのだと思う。(まじでばかだと思う)

 

(結局様々な方法を除外したということは理由をつけて死にたくなかったのかもしれない。ばかだね……)

 

2020.1.26~27にかけての深夜、急性カフェイン中毒でのワンチャンを狙ってカフェイン錠を80錠、ハイボール缶でOD(のちのち致死量の倍だと知る。)本当は200錠の予定だったが、買いだめている最中に希死念慮が強くなってしまい、確実に死ねるかはわからなかったが120~140錠飲むことにする。しかし気分が悪くなって喉が受け付けなくなり80でしか飲めなかった(錠剤もでかかったし)。

ところでまわりに高いマンションもない一軒家住みなので突発的に飛び降りはしなかったが、以前諸事情で月の半分くらいを過ごしていた単身の20階建てマンションに今もまだすんでいたら、飛び降りていたかもしれない(14階くらいに住んでいたし)。

80錠のんでぼーっとしてムカムカしてくる。わたしここで死ねないことを悟り親を起こす。服薬から1時間~1時間半経って救急車に乗る、心拍数などはわからないが若干胸がドキドキする、ここで吐き気と嘔吐(夕飯のぶん)。

服薬2時間くらいで病院に到着、嘔吐がとまらず、内容物は薬と血のみ(食べたものは全てもうでた)。インフルエンザのひどいときみたいな吐き気と嘔吐が2時間半後くらいからずっと続く、意識が朦朧としてきて、死ねなさげなのにいたらずらに苦しくて後悔してくる。2時間~2時間半後にかけて先生や看護師さんに質問されるが返せない。2~3時間後から嘔吐をする際に自分の意思で袋にはいたりできなくなりそのへんに吐き散らかす(看護師さんごめん)。

視界がぐらぐらしてブラックアウトする。意識の覚醒と消失を繰り返す(薬が抜ける数日後までこれが続く)。

筋肉の硬直が始まり自分で動けなくなる。わたしの場合は右半身が固まり眼球も右のほうしか向かなくなる。まばたきができなくなり白目を向きながら嘔吐を繰り返す。

3~4時間後から体が完全に固まり、寝たりたったりができず座ったまま硬直する(イメージは重度の脳性まひの人のかたまり方)(指摘をいただいたので訂正します)。思考はまだ動いているので予想以上の後遺症の可能性に怯える。周囲の様子や質問はほぼわからない。

ここでトイレに行きたくなり看護師さんと母に抱えられて行く。体がまっすぐ硬直しているのでズボンと下着は脱げず、脱がしてもらう。排尿の際に筋肉が動いてないのか5~10分かけて垂れ流しのような状態。わたしは女性ですが、ここでおりものが茶色くなる。(もし男性が見ていたときのための補足ですが、おりものは膣からの分泌物で、基本的にはさらさらと白かったり黄色かったりします)

ここからあまり記憶がないがそのまま6~8時間経つ。場所や時間がわからずうわ言を繰り返す。苦痛から気をそらそうと看護師さんたちがわたしの赤い髪やネイルを誉めてくれるが、なにも返せない。

カリウム?などの値が異常になり、一般的な総合病院から死にかけの人間が運ばれるデカイ救急の総合病院(病院からの紹介状がないと入れない、一般的な外来のないところ)に搬送が決まる(おそらく服用から10時間後くらい)。

看護師さんに「もうすぐ迎えがくるからね」と励まされるが、わけがもうわからないので、「死神………………?うれ……しい……」と途切れ途切れに返して「ちがうよ!」と言われてしまう。

全身の硬直、過度の痙攣、暴れがある。暴れているため体を拘束具で拘束される。わけがわからず救急車に乗せられ瞳孔確認されるが眩しいと思えない。

 

服用から12時間くらいでその病院に着き、尿道にカテーテルをいれられオムツをさせられたりレントゲンとられたりするが恥ずかしいという感情も体のうごきもない。自力で体が動かせないため、レントゲンをとるのも一苦労。3人かかり。

体温計で体温をとられるが、体温計が何なのか理解できず、「なんでこんなもの脇に挟むの?」と真剣に疑問に思う。また、「みんななんでか白い服で不思議だなあ。おそろいなのかな」とも思う。ダメージを得て、知能が著しく下がり始める。

太い動脈に点滴とか採血とか数種類の管をつけられるが痛みもなく、視界が白黒になる。この場所がどこかもわからないがなぜか頭の中で好きなバンドである神聖かまってちゃんが流れ始める。なぜか暗い曲ではなく『彼女は太陽のエンジェル』だった。

嘔吐、吐血、硬直、痙攣が続く。尿は白くて、なんか栄養が全くなさそう(血尿はなぜかなかった)。

とにかく苦しい殺してくれ以外の感情が消え、場所はおろか昼夜の感覚もなく、目の前の人間の性別の区別もあまりつかないし年齢もわからない。

頭の中で音楽とフィクションの映像がとまらなくなる。

胃と食道なども傷つけて血しか吐けなくなる。よくわからないので自分が吐いているという感覚すらなくなり、全身の硬直と痙攣のせいでずっと噛み続けていた口の中と顎が非常に痛くなる。支離滅裂なうわ言しかつぶやけなくなる。

ここから水分を飲むことを禁止され点滴に頼るしかないが水分禁止すら理解できず看護師さんに対して怒りをあらわに暴れだす。体をふたたび拘束具で拘束される。

涙と唾液がとまらなくなる。支離滅裂なうわごととなんだかすごい脳内妄想で無敵感を得はじめる。そこからほぼ意識ないが眠っているのではなく意識レベル低下(おそらく嘔吐、吐血、硬直、痙攣、たまの暴れが続く)。 

 

服用後1日経つか経たないかくらいで氷水によるうがいを許可される。その頃には暴れがおさまり、自分の水分禁止を理解できはじめるので、飲まないように懸命にうがいをする。が、吐き出すためのトレーには手が届かず、ベッドの上に吐き散らしてしまうことを繰り返す。全身の激しい痛みにより、寝返りはおろか、手を動かすこともできない。看護師さんが忙しいためなかなか口に氷水をいれてくれず泣いたりする。このとき看護師さんに対して怒りより悲しみをなぜか覚える。

意識の消失と覚醒を繰り返し、脳内妄想、えずき(血もでなくなる)、被殺害願望の抱きを得る。

えずく元気もなくなりベッドで死んだように突っ伏す。

時折体勢を変えようと看護師さんが動かしてくれるが、仰向けになるだけで痛みのあまり手が硬直して天井を向き、勝手に「ア~~~!!」と叫んでしまう。

時間、場所、自己存在すべての感覚を失い、本能がわずかに残るのみの感覚。自覚はないがまだ激しい痙攣があり(恐らく)、母音のみの大きな声をずっとあげている。「アー!アー!アー!」を繰り返していて看護師さんに「頑張って静かにしようね」と言われるが、好きでしているわけじゃないのでできない。

とにかく水が飲みたい以外の感情がない。おそらく1日半くらい経ち毒素が抜け始めたのか苦しみを明確に得る。「こんなに苦しいなら殺してくれ」と看護師さんに懇願する。硬直はとけるが激しい痙攣と大声、妄想、えずきがとまらない。

とにかく死より後遺症が恐くてたまらなかったので、自分がまだ文字を読めるかを必死に考えて、ベッドの柵に書いてある「警告 サイドレールをベッドの内側から操作しないでください。サイドレールが急に下がり、転落し、けがをするおそれがあります」という文章を(覚えちゃいました)ずっと目で追って、まだ読める、まだ読める、と必死になっていた。 

(恐らく)医師に「最近恋人と別れたとかない?」と聞かれるが、言葉にならないが「そんなわかりやすい理由なら苦労してね~~~!!」とキレそうになる。(恋人と別れて死ぬ人もいるし辛さは人それぞれだからそれは否定しませんが、そのときは「は!?」となってしまいました)

その後強制的に眠らされる(透析の可能性も浮上)。

 

2日後~徐々によくなる、まずは妄想が消え、つぎに痙攣の過小化、吐き気の沈静化、自分のおかれている状況の理解。ベッドが少しずつ入り口に近づいていく。

看護師さんの名前が読めるようになる(発音はまだできない)。

時々激しい痙攣のぶり返し、涙、よだれ、また力の加減がまだできず人の手を怪我させてしまう。

筋肉痛の100倍みたいな全身の痛みに気づく。「はやく退院したい」と思う。

少しずつ話せるようになってくるが語彙選びや声量の調整はうまくできず、また吃音の発生。例えば看護師さんに「母は来ましたか?」と尋ねたくても「ウーッウーッ、マ、マ、マ、ママ、ママ、かんごしさん、ママ、」としか言えない状況。

点滴の量が減り料理がだされるが、薄い味噌汁を数口とお水を数口、牛乳1口が限界ですぐに吐きそうになる。

きつい後遺症を覚悟する。

時計の読み方がわからない。それが時間を示すものなのはわかるが、読み方はわからない。なのに自分が排卵期であることは把握できていて、オムツが濡れたときに「は、は、はいらんだから、血が、かも、」と伝える。が、血尿はないが子宮から出血。膣から生理2日目くらい出血があるが生理ではなく、女性にしか伝わらないだろうが、なんか感覚がちがう。内壁が剥がれたとかではなくダイレクトに血管から出ている気がする。

ODしたときの記憶がフラッシュバックし吐き気を催す。

 

だんだん昼夜の感覚が戻り、人の性別、名前、おおよその年齢、部屋の構造の把握などができるようになってくる。空のえずきが続き、歯磨きをしてもらうが匂いでまたえずいてしまう。楽しみにしていたぺこぱの番組見れんかったなとか考え始める(ここらへんから妄想より現実世界の把握が主になる)。

日付が気になり始める。

後悔が半端なくなり、理性的な涙を流すようになり、心の中で看護師さんの名前を呼びながら謝罪を続けるが声にはならない。あと家族に面会時間がある当たり前のことをようやく理解できるようになる。痙攣が下半身のみになり、腕はベッドの柵を掴んで歯を食い縛る。うがい用紙コップに書いてあった、Comfortableという文字が読めるか必死に考える。意味はわからないが綴りは何となく読めて、意味を理解してないことは理解できていて少し安心する。

その頃には硬直はほぼなく、柔らかい白米を一口だけ食べられるようになる。人工的な味を嫌い、母にローソンで買ってきてもらったりんごゼリーのりんごを一齧り、みかんゼリーの小さなみかんを2つ食べる。

看護師さんにリハビリの話をされるが返事はあまりできず。

1日が24時間なら時計は24表記にすべきだと真剣に考えるようになり、その場合の針の刻み方を考案し始める。「それを看護師さんに伝えなくちゃ!時計は24にすべきです!わたしが作ります!」という頭のおかしいことを真剣に訴えようとする。

だんだん痙攣が小さくなり、時折の体の硬直を除けば、一般的なくらいの痙攣になるが、痙攣のせいで点滴が抜けたり毛布に血が飛び散ったりするがまだ気にかけることができない。またずっと続いていた痙攣のせいで足の小指の爪がとれる。

えずきが時折になる。未来を考え始める。

 

2日かけて吐き気と嘔吐がおさまったため、全身の激しい痛みとの戦いになる。苦しいのはわかっていたが、あんなに痛いと思ってはいなかった。激しく運動したあとの筋肉痛の100倍のやつが頭皮から爪先までを支配している。メチャクチャ痛いです。人生で一番痛い。

精神科の先生に精神病棟に入院するか聞かれるが断固拒否する。 

 

2日半かかり痙攣が僅かになり吐き気の消失、髪と下半身洗いたいな……などを考える余裕ができる。ベッドの周囲を見渡す余裕ができ、髪が激しく抜けていることに気づく。髪ゴムはあったが髪のくくり方が思い出せなくなる。

 

2日半後にゼリーと汁物を半分くらいなら食べられるようになるが、腕が二倍くらいに腫れ上がっていることに気付く。看護師さんを名前で呼んだり、看護師さんによる採血の結果の数値の説明の理解などが少しずつできるようになってくる。

ストローを使って氷水が自力で飲めるようになり、風呂に入ったりトイレいったりしたいなと思うようになる。先生と看護師さんに「生きるためにがんばれ」と言われそれに素直に応じるようになる。また看護師さんの世間話に「うん」「はい」と相づちを打てるようになる。

かなり頑張ってだが、ゼリーのみかんを8割食べられるようになる。

音を消したテレビを眺め内容をおおむね理解できるようになる。林先生と伊沢さんが出ていた。おいしい唐揚げを作る裏技をしていたので、あとで母に教えてあげようと思ってメチャクチャ真剣に見ていた。

全身の痛みは消えないが痛み以外の症状はほぼなくなる。

まだ知能はおかしく、50÷25の計算をするのに何分もかかる。その一方で、暗記した覚えのない『失恋ショコラティエ』の1巻1ページ目から頭のなかで読み返すことができた。おそらく脳の働く部位が極端におかしくなっていたのだと思う。

服薬から約3日後、昼夜を完璧に把握できるようになり、看護師さんたちに謝罪できるようになり、退院を逆に不安がるようになる。

 

服薬から3日後~自分で簡単なベッドの操作をしたり寝返りを打ったり声を出して看護師さんを呼んだりできるようになる。

オムツははめたままだがおしっこの管を抜き、点滴を抜き、ふやふやの野菜と豆腐と牛乳なら8割食べられるようになる。

人の手を借りて歩く練習、トイレに行き自力で排泄、時間はかかるがふくこともできるようになる。

痛みと声以外の症状はなくなり、飛び降りした向かいのベッドの別患者の心配をするようになる。

1/29、服薬から3日半くらい、きょう退院しましょうと言われる(重体重傷の人が運ばれる場所っぽいので、命の危機だけは脱したことが伺える)。退院は不安だがそれに従う。

人の手を借りて、なおかつ十メートルごとに休めば歩けるようになり、ああ血がでてるからナプキン買わないとなあとか考えられるようになる。

寝苦しさはあるので、病院では意識の混濁時以外はほぼ寝られず(カフェインだしね)。途切れ途切れだが家族に謝罪できるようになる。

自力着替えは無理だが前開きのものなら自力で着られ、疑問を先生や看護師さんに聞けるようになる。うっすいコンソメスープを濃いなと感じる。

1/29の14時頃退院、自力歩行はできないが、介助を得ればトイレでの排泄、歩行、立ったり座ったり、身の回りのことができるようになる。

生きなきゃなと思い、帰りの車でTwitterの心配をする。

15時頃、10mくらいならふらふらだが自力歩行ができ、トイレでの排泄やナプキンの交換も自力でできるようになる。処理もできるが、拭くだけで数分がかかる。

全身の激しい痛みとうめき声は相変わらずだが、15時頃~自宅ベッドで汁物を進んで摂取し、LINEやTwitterにアクセスする。思考と打つのに普段の10倍くらいかかるが、多少の誤字脱字のみとなる。

ようやく少し眠れる。

1/29(服薬から3日半すこし)、全身の痛み(少しまし)、うめき声はあるが、汁物を接種するなど食欲が少しずつ甦り、日常に戻りつつある。風呂などはまだ不可能。

 

以上が退院までの地獄詳細です。方法にもよるけど、これから死ぬみんなはここに引っ越すし、さらにその先に引っ越すので、わたしは「まあ……その勇気あるなら人生どうにかなるやろ」というわたし自身クソ聞きあきた陳腐なことを言いそうになりますが、とにかくやるならガッツしかない。わたしはもう二度としたくないです。

現在も子宮からの出血や全身の痛み、内臓の痛み、麻痺、うめき声、記憶の混濁などがあるので、また回復したらそちらも「地獄から生還したらそっちもまあまあ地獄だったよ編」としてアップします。

https://highb.hatenablog.com/entry/2020/02/03/155423 こちらです

これから先の人生には不安しかないけど、いまは簡単な計算をアプリでやったり文字を書く練習をしたりしています。 

ま、自殺って結局「自分を殺す」わけだからそんな簡単にはいかないですよね。当たり前。

死の否定は難しくても生命の肯定はしていきたいですね。

 

 

(なお当記事の引用などはURLがあればご自由にどうぞだし、「こんな思いした人おるらしいで!」と語るぶんにはメチャクチャご自由にどうぞ。人様の質問箱や掲示板などにわたしの話題をいれるのも好きにしてくれていいし、症状も書いても大丈夫です。フォロワーが少なくとも服薬自殺だけはやめてくれたら嬉しいので。陳腐なことを言って全然ロックじゃありませんが、ダサくてもいいからそう思います)