繋がりを気にしすぎるとゆるい部分は見えなくなるtwitter


「企業法務マンサバイバル : 「twitterはゆるいつながり」は、とんでもない間違いでありました」を読んで。


Twitterでよく言われる「ゆるいつながり」ってのは、SNSとかブログと比べると個々のつぶやきから発生するつながりのあり方がゆるい、たまたま目についたつぶやきに話しかけたり、誰かから話しかけられたりってのができる、ってのを指してるんだと感じてましたが、自己アピールが主な利用になるとそうでもないみたいですね。

ブログであれば、訪問者数やブクマ数を表示しない設定にし、コメントやトラックバックも承認制にしてしまうことで、独りよがりや内弁慶状態も許される(というか放置される)ところですが、twitterではフォローしないことで独りよがりや内弁慶な人たちを輪に入れない、場合によってはブロック設定をして排除することすらできてしまう。

元企業法務マンサバイバル : 「twitterはゆるいつながり」は、とんでもない間違いでありました

ブログでコメントやトラックバックを承認制にしてしまう、ってのは捉え方によってはtwitterで特定の人達を輪に入れない、ってのといっしょな感じがします。要は自分が気に入った人としか交流したくない、という。


これがために、twitterという社会において自分の影響の輪を広げる(=フォロワーを増やす)ためには、ブログであれば許されたであろう身勝手な発言・振る舞いを封印し、自分が関わろうとするtwitter社会(=自分のTL)にいる人たちが求める(=RT・QTやフォロー返しをしてくれる)気の利いたつぶやきを追及しつづける必要があります。

そして、それができない人は、いつまでもフォローされず、またはフォローされてもリムーブされて、twitterという社会から「無視」されていくことに。

自分がtwitter社会から注目・信頼されている存在なのか、それとも無視されている存在なのかどうかが一目瞭然なこの状態の、どこが「ゆるい」のかと。

元企業法務マンサバイバル : 「twitterはゆるいつながり」は、とんでもない間違いでありました

ここで書かれてることって、twitterに限った話でもなくブログやSNSでもいっしょな気がします。多くの人に認められたい、承認されたい、ってことは、その人達が求める物を提供し続ける必要があるという。



twitterで見る事ができるフォロー数、リスト数などの指標は、自分が関わっているtwitterユーザー達の中でどれくらい注目を浴びているかという指標の一つにはなりますが、その数字にこだわるとキリがありません。その指標から見えてくる自分の影響力が素の自分のものだとしたらいいですが、無理して取り繕った自分の姿のものだったとしたら、いつかそれが崩れるまでずっと無理し続けないとならないでしょう。

それはtwitterというサービスのせいではなく、無理して自分を作ったことに起因した結果であり、twitterだけじゃなくブログでもSNSでもWebサイトでもどこでも起こりうる話です。



id:y_arimさんからidコールされてたので、返答。

逆に、何故そんなにいい加減であれるのか不思議で仕方がないんだが。ぼくにとってはそういう意見の持ち主はすごくでたらめな人間に見えるよ。

http://b.hatena.ne.jp/y_arim/20091228#bookmark-18181946

いい加減ってのがどこを指してるのかちょっと分からなかったけど、人の評価(=話題にしてるエントリでいうフォロー数、リスト数、RT数、QT数など)ってのは他人が感じて発するものだから、過度に気にしてもしょうがないと思ってます。


自分に無理してそういう評価を上げようとすれば疲れちゃうし、だからといって大勢の人に評価されなければ死んでしまう訳でもない。自分のあり方(無理せずサービスに参加する)と自分の評価を比べたときに、私にとっては自分のあり方の方がずっと大事。もっと自分の評価を上げたければ、自分に無理して考えをねじ曲げて参加するよりかは、自分と波長の合う人達をどうやってうまく探し出すかって方に力を注ぐ。


繋がりを気にしすぎるとゆるい部分は見えなくなる


twitterで可視化されているつながりや評価は確かにありますが、そういう部分だけでは見えないつながりとかきっかけとかが、ゆるいと呼ばれてる部分なんだと思います。


フォローしてなかった人のつぶやきをRTやたまたまWeb上で見かける、リストに入れてはないけどよくつぶやき合う間柄、フォローしてる人が話しかけてる相手を見に行ってみたら面白そうな人だった、などなど。そうやって見つけた相手にさくっとフォローなりreplyなり出来るのがtwitterがゆるい、と言われてる部分なのでしょう。



自分が!私が!俺が!!となっちゃうと、見えにくい部分ですね。