ソーシャルブックマークを「気持ち悪い」と思う部分


「WEBとリアルと人間と - 「気持ち悪い」という気持ち」を読んで。

「分からない」という表現に嫌悪感が加わると「気持ち悪い」って感情になるのかな? もしくは単に好みが合わないものに対して「気持ち悪い」という感情を感じるとか。


そういう意味で言うと

「ブックマークって言う時点でダメですよね。インターネットエキスプローラは"お気に入り"っていっているのがいいんですよ」

古くからネットを使ってた身としては、お気に入りって言う時点でダメで、やっぱりブックマークだよね、と思ってました。これも「気持ち悪い」って感情。でも、これは単なる好みだよなぁ(笑)

「ソーシャルブックマークのタグなんてすごく気持ち悪いですね。なんで"タグ"なんていっちゃうのか分からない。で、はてなとかでは"キーワード"って言い換えてるけど、それもダメ。"キーワード"なんて色々な意味で使われる単語を使われるとますます役割が捉えにくくなる。」

なんで”タグ”じゃダメなのか分からない。”キーワード”なんて言葉の意味のままだと思うのに、役割を捉えにくくなるってのが分からない。

ううむ、読めば読むほど自分と正反対の意見ぽい。ある意味、自分にとって必見。

「それから、ソーシャルブックマークのタグっていうのが、後から情報を探しやすくするためのインデックス、つまり情報を圧縮されたものの総体なんていうなら、ますます気持ち悪い。その基準ができるまでに情報を圧縮するというプロセスが入ることが。」

どうにも気持ち悪いの使い方が良く分からないのだけれども、タグはユーザーがそれぞれ感じたカテゴライズ?(これを指して情報の圧縮か)で、それは各ユーザーが自由につけるもの、基準というか、それが集まることで人々が感じる多様性を知ることができるのがタグだと思うんですが、なぜ情報を圧縮するプロセスを拒絶するのだろう? 面倒くさいの感情がより強くでたのが気持ち悪い、なんだろうか?

「はてなブックマークの最近の人気エントリーなんて見てられない」
「それならまだ押し付けられた基準(書店、CDショップなどにある商品分類やYahoo!のディレクトリ)の方がまだ気持ちいい。」

見てられないなら見なきゃいい。

押し付けられた基準の方がまだ気持ちいいってのは、それもやはり気持ち悪く感じているんだろうか? ユーザーの集合知として出力される人気エントリーよりも、より単純な商品分類や権威によるカテゴライズを気持ちよく感じるってのは、どういう意味でなんだろう? 口コミより単純な分類や権威による分類の方が信用おけるってことなのだろうか?

"情報を圧縮する"ことの気持ち悪さは、確認してみると
・自分でわざわざ情報圧縮するという行為をすること
・他人がそれぞれ勝手に情報圧縮したものがさらに勝手に編集されて一つのコンテンツができるというそのプロセス両方が気持ち悪い。というのだ。

情報圧縮するという行為は面倒くさい、気持ち悪い、悪だって思考があるんでしょうか。他人がそれぞれ勝手に、、、というのは、自分が気持ち悪いものを他人が使うのも同じく気持ち悪いってことで分かるかな。


とにかく「気持ち悪い」の連発でちょっと戸惑ってしまう。一般人の感覚ってこうなのかなぁ?

私はソーシャルブックマークとかに対する一般人の感覚は「よく分からない」「面倒くさいからいいや」「自分の興味を公開することへの抵抗」ってのが大きいと思ってます。ソーシャルブックマークについて分かりやすく詳しく説明すると、たいてい「お、すごいんだね、面白そう」って印象に変わりますし。

つまり、新しいCGMツールがキャズムを超えるためには2つのポイントをクリアしなければならないと思われるのだ。
1)自分が「情報蓄積」「情報編集する」するという仰々しい行為であると思わせないような行為の読み替え
2)集合知に対する過度の権威付けを避ける

私が思うソーシャルブックマーク(SNSはややこしいから除外)がキャズムを超えるためのポイントは
1)自分の興味を「ブックマーク」という行為で公開することの楽しさを知らせる
2)タグとか面倒な部分は必須にせず、簡単にも複雑にも使えるようにする
3)集合知の出力の手法を多様化し、簡単に集合知を活用できる方法を提供する
4)大手サービスプロバイダの導入(とにかくユーザー層の拡大)
あたりかなぁと思っています。