批判に答えて

友人に教えてもらって下記のインタビューを見ました。なるほど、例の「プチ思想」記事はこの延長線上だったのですね。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200909170300.html
別にここでぼくや『思想地図』が批判されているわけでもないので、反応するのもなんかブログ読者を喜ばすだけのような気がします。しかし、ここで言われていることと、最近ストレスを溜めていたあるできごとがあまりにフィットしたので、これを機会にひとつ一般的な反論を。
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最近『思想地図』やぼくの仕事に対していろいろ風当たりが強いのですが、そのひとつのテンプレとして、「あの連中は社会学的な状況分析ばかりで、強度をもった作品論、作家論がない」というのがあります。
そしてこの批判に対するぼくの答えはきわめてシンプル。
ならばあなたがやればいい。
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たとえば佐々木さんは上記インタビューで、「構造分析(おそらく社会学的な知のことを指しているのでしょう)ばかりで作品論(これはポストモダニズム的あるいは表象文化論的な知のことだと思います)がないのはつまらない」とおっしゃっている。まあそれはいいです。しかし、それならば、まずご自身が刺激的な作品論、作家論を書いて、そんな閉塞状況を身をもって切りひらけばいい。そして、もしそれができないのであれば、佐々木さんはこの10年間批評の第一線で仕事をされてきたのだから、状況を変えられない/変えられなかったことへの「責任」「無力」を感じるべきです。そういう覚悟がいっさいなく、まるで傍観者のように「誰かが作った状況」について話しているすがたは、あまりに無責任です。
そもそも、意地悪い言い方になりますが、佐々木さん自身が、問題の『ニッポンの思想』という、構造分析、いやそれ以前の「状況紹介マニュアル本」ではじめて大きな話題になってしまった。その皮肉な状況はどうお考えになっているのか。
また、この数年でもっとも成功した「作品論」が、じつは佐々木さんやその周辺がお嫌いな宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』だったことも明らかですが、そこについての認識もどうなっているのか。ポストモダニズムとスタイルが違うからノーカウントなのか。そこらへんぜんぶすっとばして、「いまの思想はつまらないので、総括するために『ニッポンの思想』を書いた。これからは作品論・作家論の時代が来る」と(記者や新聞読者が事情に詳しくないのをいいことに)宣言されても、説得力がない。というか、実際同じ業界人としてお尋ねしたいのですが、いまどこらへんにそんな予兆があるというのか? ぜひ教えていただきたいものです。
いずれにせよ、佐々木さんは(あたりまえですが)新人ではない。ぼくより7歳も年上です。状況に不満があるのなら変えるべきです。
そしてもし本気で不満を抱いているならば、まずは『ニッポンの思想』が、そんな作品論・作家論からほど遠い、「プチ思想ブーム」に寄り添った部数志向のマニュアル本だったことを自己批判するほかないはずです*1。だって、言っていることとやっていることが、あまりに違いすぎるもの。
ちなみにぼくは『思想地図』については、「今後、批評では、表象文化論的な作家論、作品論は主流になりえない。社会学的な知や工学的な知とも交雑したハイブリッドなものになるほかなく、それは同時にポストモダニズムの幻影との完全な決別を意味する」と考えて、その方針で新しい媒体を立ち上げています。したがって、それがポストモダニズム派から「退屈」と罵られるのはやむをえないと思っているし、逆にその批判は折り込み済みなのであまり気にしない。その点はぼくは二枚舌は使っていません。

*1:ぼくはあの本の最後の二章の主要な登場人物であり、したがってコメントも避けていたのですが、当事者からすればむろん「ここ、そんなんじゃなかったんだけどなー」という部分が数多くあります。そういう点も含めて、あれはあくまでも「マニュアル」本なのです。『ニッポンの思想』を呼んで、大塚英志や宮台真司や東浩紀をわかった気になってはならない。