Paul Mund氏のコメント

@ITの人気連載*1、Kernel Watchの著者であるF通の誰か*2が、「さようならAndroid?」というタイトルの記事を書いたところ、Linuxカーネルの開発者であるPaul Mund氏がコメントを寄せていた。

やっぱり、主な意見は間違えなかった。Androidのコミュニティやmainlineコミュニティは全然違う。その上、ARMの特別コミュニティもある。その間接的な活動がmainlineコミュニティと基本的に相容れないけど、Androidの開発者はそれを考えない。はっきり言ったら、Androidの開発は企業連合で私的な開発活動だ。例えば、drivers/staging/androidは去年の12月にGregKHのお陰でマージされた。12月から全部で51パッチが行われたのに、Android開発者から20パッチだけが書き込みをされた。規格協会のように規格を制定するのは大丈夫だと思うが、レファレンス実装は何時も大失敗だ。好意的な協会が規格を制定するのにレファレンス実装を作るのは参加企業の責任だ。すると、好意的な企業はコミュニティと一緒に開発する。OHAの行動は無駄になりそうだ。その上、OHAは昔の組み込み企業の間違えから何も学べなかった。その無駄な活動はとても迷惑だと思う。

元の記事のタイトルである「さようならAndroid」は、Linuxカーネルの標準ソース(いわゆるメインライン)から、Androidのコードが削除されたことを意味している。"OHA"とは、Open Handset Allianceのことで、国内からはDoCoMoも参画している。Linux開発者の間では、Androidの開発者や提案のスタイルは評判が良くない、というかかなり悪かったが(なにしろ「別にマージして欲しくない」とか豪語するのだもの)、ついに堪忍袋の緒が切れたというところだろうか。

Paul氏はコメントで、mainlineコミュニティとAndroidコミュニティの違いについて触れている。いずれもオープンソースであり、不特定多数の人々が開発に参加しているけれども、二つのコミュニティは異なり、相容れないものがある。そのことは、多分実際にオープンソースに関わったことのない人には、不思議に映るだろうと思うけれども、TOMOYOの開発を通じてmainlineのコミュニティとは何かを知った自分には、Paul氏の言いたいことがわかる気がする。

*1:なにしろ自分が読んでいる(笑)

*2:「Kernel Watchの著者」という時点で世界中の人が名前を知っていると思うのだが、本人は匿名にしている意識らしいので甚だ不自然ながら伏せておく。