その後の「何だ?この、ユーウツは!」

第一部
横浜死闘編
代理戦争
頂上作戦
完結篇


コンサートの内容を話すので、パッケージ化を待ってる方はスルー推奨。
その前にパッケージ化されない部分の話をすると、本編の開演前に登場したJuice=Juiceが感動的なパフォーマンスを見せた。こりゃあオリコンウィークリー1位取るわ。取るのは必然だった。「Wonderful World」という素晴らしい楽曲、その魅力をさらに増す熱唱とダンス。もう℃-uteが出てくる前に大満足。
「Wonderful World」と「我武者LIFE」は、比べるのが前者に失礼なくらい質的な差が激しい。・・・・・・ということを説明抜きでわかってくれる人がいたらいいな。「Wonderful World」は、実際にJ=Jが歌う前、CM映像がモニターに流れた段階で僕の心を捉えた。一方にどうしようもない代物がある。この現実を胸に抱き締め(「たどり着いた女戦士」)、この差はどこにあるのかを僕は知りたい。とりあえずNeowingに「Wonderful World」の初回盤Aがまだあったのでサクッと注文。



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バ
レ
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ま
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オープニングの演出にやられた。
最新曲から時代を遡る形でMVメドレーが続き、やがてインディーズ時代の曲へ。ということは・・・・・・
(オ゚Д゚)<来る!
ピロリロリンしたのと同時にスタートする「まっさらブルージーンズ」。バックには・・・・・・


MV流しっぱなしだよ!


時を越えて共演する、8人の℃-uteと5人の℃-ute。
これが泣かずにいられるか。最初の武道館の時もやられたけど、僕は「8人いる」演出に弱い。あまりにあざといとドン引きしちゃうんだけど、アップフロントはそこが上手。テレビ朝日は下手。


インディーズシングルを発売順に歌って、「桜チラリ」まで。ムーンライダーズが20周年記念ライブで「A-1グランプリ」と銘打ち、1stから当時の最新作までアルバムのA面1曲目(CDならトラック1ね)を次々演奏していったのを思い出し、
(オ゚Д゚).。oO(過去最長のライブになるって話だし)
(オ゚Д゚).。oO(このまま発売順に歌っていって「我武者LIFE」でシメか?)
なんて思ったけど、そんなことはなかったね。アレがアンコールの最後の最後だったのは当たったといえなくもないが、どうせ当たるなら川崎競b(以下自粛)。


全体的に好きな曲が多かったな。大好きな曲をやってくれなかったのは残念だったけど、6月に会いロンは無理。
もうね、ここまで俺得なセットリストでやってくれるなら、最後の最後に大嫌いなのが来る(と確信した)のは許してやろうじゃないか、と思えた。好きな曲だけでなく、魅力を再発見できた曲もあったりして、実に有意義。
℃-uteっていい楽曲を歌ってきたんだな。そんな思いを新たにした。


都会っ子。
リーダーとまいまいさんの同時セリフ!
もうね、



こういう感じ。ものすごいイベント感、プレミア感。会場のボルテージも一段と、いや二〜三段くらい上がった。そのパワーで、特効用に仕込まれていた火薬が誘爆するハプニングも(事実を元に大幅に誇張)。


帰りに誰かが言っていたけど、
「5人しかいないのに、ステージを広く感じなかった」
僕も同じことを感じた。ステージの使い方をはじめ要因は色々あるだろうけど、ここは「℃-uteの持つ求心力の成せる技」としたい。今ツアーで感じた充実感も健在。
充実した長丁場のライブ。「10年の集大成」というリーダーの言葉そのままに、人気曲はもちろん懐かしいナンバーまで惜しげもなく披露。周回ステージも何度となく使い、もちろん全力のパフォーマンス。
それなのに、「やりきった」感はまったくない。


これで終わりじゃないぞ。


まだまだ先の夢がある。


一緒に行こう。


無言のうちに伝わってくるメッセージ。
考えてみれば大変な話。ただ歌って踊っているだけで、見る者に伝わるものがある。
音楽のチカラってすげーな。そう思わせてくれる℃-uteは、アイドルというカテゴリに身を置きつつもミュージシャンと呼べるものを得ている、そうなりつつある、のかもしれない。そうだといいな。だって、音楽のチカラを、音楽を愛する者を信じてる人の薫陶を受けてここまで来たんだから。。


2015年6月11日、天上界ではこんなやり取りがあったかもしれない。
(サッカーの神様)<ちょっと日本代表応援してくるわ
(音楽の神様)<俺℃-uteに味方しに行くから、途中まで一緒に行こうぜ


ああ、それかもしれないな。
音楽のチカラを信じられるかどうか。そういえば「Wonderful World」にもそれがいっぱい詰まってた。本編ラストの「たどり着いた女戦士」もよかったなー。


音楽という「作品」か、音楽のチカラを信じてない人々の主導で生産された「コンテンツ商品」か。この差はどこにあるか。
「作品」は(現物的な)見返りを期待しない。あなたの心に届いてくれ(て、あなたの人生の潤いになったり、あなたが何かを始めるきっかけにな)ればこれに勝る喜びはない。
「コンテンツ商品」は見返りを期待する。お金をもらおう、良い評価を得よう、感動させよう、盛り上がろう、一緒に歌おう、タオル回そう、・・・・・・etc.
表面的な差はわずかなものかもしれないけど、僕にはわかる。それは僕に蓄積された文化的体験が「本物」だからだろう。素晴らしい作品を作り、またそれに導いてくれた先人たちに心から感謝したい。
コンテンツ商品も作品の形をとって現れるから、なかなかわかりにくい。違いは五感で感じ取れない部分に出てくるからだ。
トラップを回避する鍵として思いつくのは、「言外の意味を読み取る」訓練をすること。国語の授業や試験でよくやったよね、「作者はこの文で何をいいたいのか」って問題。あれだ。
あれはいわば非言語的なコミュニケーション能力を磨く訓練だったのだなと、今になって理解する。学校のお勉強も大事なもんだなーと、その意味や目的が見えるとわかる。僕は論理でたった一つの正解を導き出す教科より、「読み取る」作業のあるものが好きだったから、現国は比較的マジメにやってた。それも効いてるのかな。


で、「我武者LIFE」だけど(おい悪意ありすぎだろこの流れ)。
もうね、文句いうのも面倒になってきた。
五部作のどこかで書いたように、

我武者LIFE=サライ

なのであって、文句いってもしょうがないものなのだ。
武道館でマラソンランナーがゴールするのを待ちつつ「サライ」を歌う楽しみ、聴く楽しみ、テレビで見ながら「あーもうすぐ夏休みも終わりだねー」と感慨に浸る楽しみ。そういうものは認めてあげるのが大人というものだ。
作品としては絶対に認めない。あまりにも出来が悪すぎる。対価を払うにも、そもそも聴くにも値しない愚昧なコンテンツ商品。見返りを得ようとする思惑が露骨すぎる。
意思と思惑の違いは大きい。意思は祈り、思惑は狙い。


でも。
それを喜ぶ人がいるんだからもういいや。これ以上関わりたくない。関わっちゃうだろうけど。


そんなわけで、最後の最後に余計な一曲があった分「℃-ute史上最高のライブ」とは呼べない。現時点で最高かもしれないのはモンスター武道館公演かな。
そして。
使い古されたいい回しだけど、℃-ute史上最高のライブは次の公演なんだよ。きっと℃-uteはそれを目指すはずだ。


℃-uteはこれまで多くの人々に支えられてきた。
それは、音楽の恩恵を受けてきた人たちからの、音楽への「ありがとう」のパスを受けたということでもある。
11年目から先の℃-uteは、ドリブル突破だけでなく、パスを回していくことも意識していけたら、もっと素晴らしいものが僕らの生きているこの世界にもたらされるんじゃないか。
そんな夢まで見てしまう。