久々に壮絶な自爆、というかブーメランを見ました。

「おい!どの口がアジャイル出来るって言ってるねん!」

さて、私にしては珍しくブチ切れ気味で記事を書いているのでこんな事書いていますが、ここからは、効果を本当に上げるアジャイル開発を実施したいときのリクルートで、どういうスキルを持った人を雇えばいいか?という話を進めたいと思います。これはとてもシンプルな一言で言えます。


テスト駆動開発が適切にできる能力があること


この一言につきるのです。クライアントの皆さんは、是非アジャイルベンダーを雇うときはプログラマの人にこの能力を要求してください。注意しないといけないのは、テスト駆動が適切にできていないプログラマは、わかっていない事すらわかっていないこと、そして、営業さんとかマネージャさんのレベルだと、「テスト駆動が適切にできる人かどうか見分けがつかない事」が問題になってきます。これは、まともにテスト駆動ができる人がその人と話をすればテスト駆動をちゃんと出来るのか、スグわかる事なのですが、そうでない人にとってはとても難しい事かもしれません。しかし、そういった人を社会が求めるところから、ベンダー側でも「ちゃんとテスト駆動できる要員を作らないと相手にされない」という動きになってくると思うのです。だから、クライアントさん是非テスト駆動を出来る人を求めてください。

おっさんがこの方のエントリを読んで最初に抱いた感想は「アジャイルには、いつから”テスト駆動開発を用いて開発を行うこと”なんてマニフェストや原則が追加されたんだろう?」でした。


念のため、ちゃんと確かめにも行きました。
http://agilemanifesto.org/iso/ja/manifesto.html
http://agilemanifesto.org/iso/ja/principles.html


2回くらい確認してみましたが、英語でも日本語でも「テスト」という単語すら出てきませんでした。

アジャイルソフトウェア開発宣言

私たちは、ソフトウェア開発の実践
あるいは実践を手助けをする活動を通じて、
よりよい開発方法を見つけだそうとしている。
この活動を通して、私たちは以下の価値に至った。

プロセスやツールよりも個人と対話を、
包括的なドキュメントよりも動くソフトウェアを、
契約交渉よりも顧客との協調を、
計画に従うことよりも変化への対応を、

価値とする。すなわち、左記のことがらに価値があることを
認めながらも、私たちは右記のことがらにより価値をおく。

Kent Beck
Mike Beedle
Arie van Bennekum
Alistair Cockburn
Ward Cunningham
Martin Fowler
James Grenning
Jim Highsmith
Andrew Hunt
Ron Jeffries
Jon Kern
Brian Marick
Robert C. Martin
Steve Mellor
Ken Schwaber
Jeff Sutherland
Dave Thomas

〓 2001, 上記の著者たち
この宣言は、この注意書きも含めた形で全文を含めることを条件に
自由にコピーしてよい。

なんだか、言及しているエントリでは、テスト駆動とアジャイルプロセスがごちゃ混ぜになっていたり、「変化への対応」を「ソースコードに変更のある変更」に置き換えてしまっていたり、若干「プロセスやツール」を重視しすぎていていたり、集めた人材が結果として期待していた以上or以下だった時の最適化に弱そうな印象を受けて、なんだか危ういなとおっさんは思いました。設計の重要性に対する考え方は問題ないと思うけれど、なんでいきなりオブジェクト指向万能論に飛躍してしまうのだろう…おっさん理解に苦しみます。


ちなみに、おっさんが最近アジャイルって感じだなって思ったのはこちら。

1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします [] :2012/01/01(日) 15:37:59.28 ID: 2GetUTNE0?
2chブラウザ以外でなんか欲しいのある?

プロジェクトのスクリーンショットを見る限りだとテストは書いていないようですが、個人との対話、動くソフトウェア、顧客との協調、変化への対応を兼ね合わせた進行だったので、これも立派なアジャイルだとおっさんは思います。

あ、でも id:simplearchitect さんは「10年以上前からアジャイルしてる」そうで、アジャイルソフトウェア開発宣言が宣言される前から取り組んでいる可能性もあるので、 id:simplearchitect さんの考えた「オレオレアジャイル」の実現に「テスト駆動開発を実践できる開発者」が必要と言うことであれば、おっさんが言及しているエントリには「アジャイルという言葉の定義が、広く知られている物と差異がある」という点以外には無いと、おっさんは思います。


どうでも良いけど、日本のサラリーマンの取得できる夏休みの日数なんてたかが知れてるし、その少ない日数で該当エントリに書かれていた本を全部読んで「やれ」と言われたことを全部やって「あのエントリに書かれていたことを全部やったのでアジャイル出来ます!」なんて言われたら、それこそアジャイルの終焉が見えそうで怖いです。