意外と知らない「下剋上」とは一体何か?戦国時代の「主殺し」の実像

早雲、謙信、道三、信長……

上杉謙信、朝倉孝景、斎藤道三、三好長慶、織田信長……なぜ「主殺し」は、引き起こされたのか? 戦国時代には、家臣が主家に取って代わる行為が頻繁に発生した。戦乱の時代の幕が開かれた背景には、どのような条件があったのだろうか。

戦国時代における下剋上の実例を紹介し、その実像を示す黒田基樹氏による現代新書の最新刊『下剋上』から、「はじめに」をお届けする。

新たな身分秩序の形成

日本において下剋上といえば、多くの人は戦国時代を思うことであろう。そこでイメージされる内容は、家臣が主君を排除し、それに取って代わる行為、というものであろう。

もっとも下剋上という言葉は、古代中国から使用された言葉で、簡単にいえば「下位の者が、上位の者の地位や権力をおかすこと」(『広辞苑第七版』)といった意味であり、その含む範囲は広い。

日本でも中世(平安時代末から戦国時代)から当時の史料や軍記物語で使用されているが、意外にも実際の使用例は少ない。中世では、主に公家の日記や寺社の文書にわずかにみえるにすぎず、そこでは百姓が領主の支配内容に異論を示したり、身分の下位の者が上位の者を紛争の際に殺害した行為などについて、表現している。

よく知られているのは、南北朝時代の『二条河原落書』や『太平記』での使用例であろう。そこでは、身分が下位であったにもかかわらず、実力によって身分上昇を果たす、「成り出者」について表現されている。すなわち「身上がり」(身分上昇)についての批判的な表現になる。前近代社会は身分制社会であったが、時代時代で身分秩序は再編された。

太平記(芳虎画 国立国会図書館所蔵)

南北朝時代は、内乱を通じて鎌倉時代の身分秩序が改編された時期にあたり、その結果が、室町時代の新たな身分秩序の形成となる。その過程で生じた「身上がり」状況が、「下剋上」と表現された。それは既存の政治秩序を尊重する立場からの表現であった。

したがって下剋上は、家臣が主君を排除する行為だけでなく、百姓が領主支配に抵抗したり、下位の者が上位の者を殺害したり、あるいは分家が本家に取って代わったり、身分の下位の者が上位者を追い越して出世していくことなど、意味する対象は広い。もちろん現在でも、政界や役所、会社などを舞台に使用されているところであろう。

そこに共通しているのは、下位の者が、主体性をもって、実力を発揮して、上位の者の権力を制限したり、それを排除したりすることといえよう。身分上昇や出世について、上位の者の主体性によれば、それは「引き立て」「取り立て」になるが、同じ結果であっても、それを下位の者が上位の者の意向に反して実現することが、下剋上と認識されたのであり、それゆえに既存の社会秩序の観点から、批判的に表現されるのであった。そのためそれは、時代を問わず普遍的に生じる現象であった。

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