日中関係の歴史を振り返る
日本と「中国大陸」の歴史を振り返れば、確かに長い歴史がある。
最澄と空海が遣唐使として「中国大陸」に渡ったのは804年であるが、もちろんそれ以前から交流があった。正確なところはわからないが、魏志倭人伝で登場し、九州なのか近畿なのかという「所在地論争」がにぎやかであった邪馬台国は2世紀から3世紀に日本に存在したとされる。
邪馬台国以前にも記録に残らない形での交流は当然あったはずだ。秦の始皇帝から命を受けた徐福が、不老長寿の秘薬を探し求めてたどり着いたのが日本だという伝説があるのは、2月22日公開の「どんな権力者でも『いつかは消える』から人類社会は発展した」で述べたとおりである。
一時期「中国4000年の歴史」という言葉が流行ったが、「中国大陸」という観点で考えれば、まんざら嘘ではないと思う。
しかし、混同してはならないのは、「中国大陸」の歴史と「共産主義中国」の歴史は全く別物であるということだ。
例えば、上エジプトと下エジプトが統一されて、「エジプト第1王朝」が成立したのは紀元前3150年頃である。これに比べれば、秦の始皇帝は「最近の人」であるし、上下エジプトは当然統一以前から存在していた。
そして、この古代エジプト人たちと現在のエジプト人は血統的につながっているが、現在のエジプト政府を「エジプト5000年の歴史」としてとらえる人はいないであろう。そもそも、現代のイスラムにとって多神教の象徴であるファラオは否定すべき存在である。
同じように、1949年の共産主義・暴力革命で、「中国大陸」の貴重な伝統・文化・文化財を「反共産主義的旧弊」として破壊しつくした「中国共産党」と「中国大陸の偉大な歴史」との関係は全くと言ってよいほどない。
もしあるとすれば、私が執行パートーナーを務める人間経済科学研究所・研究員の藤原相禅の研究論文「中国が民主主義を受け入れない理由」で述べられているような、「民主主義を受け入れることができない文化」であろう。
中国大陸が現在のように巨大な1つの国にまとまっているというのは、歴史的に見て異例である。異民族であるモンゴル人に支配された元や、満州族(大多数である漢民族ではない、古くは女真族と呼ばれた)に支配された清の事例もあるが、概ね多数の国々が群雄割拠し覇権を争っていた。
欧州の歴史も古いが、ヨーロッパ大陸全体を統一する国は存在しないし、EUも行き詰っている。
多種多様な人々をまとめるとい難事を行うために「強権」を駆使し、紀元前221年に中国大陸の歴史上初めて全土を統一したとされる秦は、結局15年ほどしか存続せず紀元前206年頃に滅亡した。
1949年に建国してからすでに70年以上も経過した「共産主義中国」が、強権で人民を苦しめた報いを受けて、武漢肺炎をきっかけとして滅亡しても不思議ではないから、日本は「有事の備え」を粛々と行うべきである。