「ギグ」とは何か
「ギグエコノミー」というバズワードが流通し始めてからそれなりの時間がたつ。ウーバーのドライバーなど、新しいプラットフォームの出現とともに語られることも多いこの言葉だが、「ギグ」には元々「単発の仕事」や「日雇い」という意味があり、そのカバーしうる範囲はさらに広大である。
例えば、『ギグ・エコノミー』(2017)の著者ダイアン・マルケイ(MBAで「ギグエコノミーの講座」を開講とのこと)はこう記している。
「現代社会の働き方を、終身雇用の正社員から無職までずらりと並べたとしよう。ギグ・エコノミーとは、そのふたつに挟まれたさまざまな労働形態を幅広く含む概念である。コンサルティングや業務請負、パートやアルバイト、派遣労働、フリーランス、自営業、副業のほか(略)オンラインプラットフォームを介したオンデマンド労働などが当てはまる。」
マルケイのこの記述に従えば、「ギグ」とは「終身雇用の正社員」でもなく、「無職」でもないものであり、そこにはパートや派遣労働、アルバイトなど様々な種類の「非正規雇用」、それから「個人事業主」や小規模の「自営業」が含まれることになりそうだ。
つまるところ、「ギグエコノミーの拡大」とは「終身雇用の縮小」の裏返しである。その一つの現れが無期雇用から有期雇用への変化、そしてもう一つの現れが個人事業主や自営業者たちによる業務請負の増加だ。後者はもはや雇用という形態すら取っておらず、労働法による保護や規制の対象からも外れることになる。
ジャーナリストのジェームズ・ブラッドワースによれば、イギリスでは「ゼロ時間契約」と呼ばれる形態の労働者が100万人に迫り、彼が実際に働いた訪問介護のケアウォッチ社との契約書には次の記述があったという――「仕事を提供できない期間が発生した場合においても、ケアウォッチは貴方に仕事および賃金を与える義務を負わない」(『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』より)。
ケン・ローチ監督の最新作『家族を想うとき』(12月13日公開)が描くのはこうした時代を生きるある家族の日常だ。運送会社のドライバーとして働く父リッキー、訪問介護のワーカーとして働く母アビー、それから彼らの二人の子どもたちのことが描かれる。「自由」であるはずのギグワーカーたち、彼らの生活はいつの間にか蟻地獄のような「貧困」の泥沼へと落ち込んでいく。