かつて『日の出』があった。新潮社が1932年から1945年まで刊行していた大衆雑誌だ。
「日本スゴイ」企画などで売り出すも大苦戦し、会社を経営危機の寸前にまで陥れるも、1937年7月の日中戦争の勃発によって急回復、その後は当時数多あった戦意高揚の雑誌としての役割を務め、敗戦と同じ年に寂しく消えた。
その当時の同社社長は佐藤義亮。『新潮45』のLGBT特集問題に絡み、「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」との言葉が注目されている人物だ。
とすると、当然ながらこんな疑問が湧いてくる。『日の出』の戦意高揚は良心に背かない出版だったのか、と。ほとんど忘れられた『日の出』を、改めて読み直すべきときは今である。
「日本スゴイ」で売り出すも大失敗
『日の出』は、1932年8月に創刊された。当時隆盛を極めていた講談社の『キング』などをモデルに、佐藤社長が、満を持して送り出した大衆雑誌だった。
同年1月には、上海で爆弾三勇士の美談が生まれ、3月には中国東北部で満洲国が建国され、5月には東京で五・一五事件が発生していた。やがて日本は、国際連盟の脱退へと突き進んでいく。
新進の雑誌が、このような時代の雰囲気を色濃く反映しないわけがなかった。その象徴が、巻頭の「日本は世界第一なり」だった。
「われら日本民族は、すべての点に於て世界第一である。誇張ではない。妄想ではない。確たる幾多の事実が、これを明らかに立証して居る」と断言する、紛う方なき「日本スゴイ」特集である。
(1)この事実を見よ(高島平三郎)
(2)蓋をあけたら(関根郡平)
(3)日本刀の切れ味(本多光太郎)
(4)卓越した素質(小原国芳)
(5)均整のとれた体躯(朝倉文夫)
▲外国名士の日本讃美
■世界に誇る人々
目次はこのとおりで、日本人は知能指数が高く、盗みをせず、精神力で器械力を征服し、世界に誇る工芸品を数多生み出し、海外の一流学校で大抵首席であり、体躯の面でも欧米人を凌駕しているのだ――という。
たしかに、『日の出』の記事がすべて「日本スゴイ」で埋め尽くされたわけではなかった。ただ、翌月号でも「日本は世界第一なり」特集が組まれ、1933年10月号でも「世界に輝く日本の偉さはこゝだ」という付録がつけられた。
後者は、「現代の『日本スゴイ』本の精神的ご先祖様」(早川タダノリ『「日本スゴイ」のディストピア』)などとして、近年よく引用されるものだ。『日の出』編集部が、「日本スゴイ」に商機を見出していたのは確かだろう。
では、このような企画は当たったのだろうか。まったくそうではなかった。
『日の出』創刊号は、30万部を印刷したものの、なんと半数近くが返品となってしまった。その後も、佐藤社長の不眠不休の奮闘にもかかわらず、売れ行きは好転しなかった。
『日の出』は、その名に反して、旭日昇天の勢いとはならなかったのである。