安倍首相は、9月28日召集の臨時国会冒頭、衆議院を解散する意向だという。小泉郵政解散以降、解散権の濫用気味の事案が多いと言われるが、今回の解散については特に批判が高まっている。憲法の観点から検討してみよう。
衆議院の解散は、天皇の国事行為
まず、衆議院の解散についての憲法規定を確認しよう。憲法7条3号は、次のように定める。
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
三 衆議院を解散すること。
このように、衆議院の解散は、天皇の国事行為とされている。もっとも、憲法7条は、どのような場合に解散できるのかについては何も規定していない。そして、解散が行われる場合を規定した憲法条文は、69条のみである。
このように、内閣不信任の場合には解散が行われうる。
では、それ以外の場合に、解散をしてもよいのか。この点は、憲法制定当初、政界でも憲法学界でも激しく議論された。
しかし、現在の実務では、69条の場合でなくとも、7条の文言を根拠に、内閣が天皇に解散をするよう「助言と承認」をすれば解散できるとする解釈が定着している。また、憲法学説の多くも、69条非限定説を採っている。
とはいえ、69条非限定説は、解散権行使を内閣の好き勝手な判断に委ねる見解ではない。
そもそも、解散権のみならず、行政権や外交権などの内閣の権限は、公共の利益を実現するために、主権者国民から負託された権限だ。与党の党利党略や政府のスキャンダル隠しのために使ってよいものではない。憲法7条を改めて読み直すと、天皇の国事行為は、政府や与党の都合ではなく、「国民のために」行うものだと規定している。
このため、学説は、内閣が解散権を行使できるのは、国民に選挙で信を問うべき特別な事情がある場合に限定すべきだという。
最近の報道を見ていても、有名政治家が「今回の解散には大義がないのではないか」との疑義を呈しており、実務上も「解散には大義が必要」との認識があるのがわかる。