'80年代、木曜深夜はたけしの独壇場、数々のタブーに切り込む狂気が多くの信者を生んだ。お笑い界の頂点に君臨した男を最も生々しく伝えた番組を語り尽くす。
ビートたけしがパーソナリティを務めたニッポン放送の人気番組。1981年1月1日から1990年12月27日まで毎週木曜日深夜1:00~3:00に放送。若者の人気を得て記録的な聴取率となった
毒舌の中に愛があった
水道橋 初めてたけしさんの「オールナイトニッポン」を聴いたときの衝撃はとにかくスゴかった。その日の日記に、「必聴を肝に銘じて聴いた。タモリ以上の俗悪、近田春夫を上回る毒舌、狂気の沙汰だ」と書いています。
松村 博士は、録音した放送を書き起こす「写経」をやっていたほどのたけし信者ですもんね。以前、博士の家に行ったら、たけしさんのオールナイトを録音したテープがズラッと揃っていて、びっくりしました。
僕もたけしさんに憧れて、山口の田舎でずっと聴いていました。自分がたけしさんのモノマネをやるようになったのも、この番組の影響です。
森谷 私は初代担当ディレクターでしたが、実は番組が始まる直前まで、ツービートでたけしさんときよしさんの区別がつかなかったんです。
たけしさんが起用されたのは先輩プロデューサーが「ツービートという面白いコンビがいるから使おう。ただし、二人にお願いしないで面白いほうだけ使う」とオファーしたのがきっかけなんです。
水道橋 初回からやくざネタと、金属バットで親を殴り殺した予備校生のパロディネタを喋るというタブーを犯した放送でした。
森谷 実は'81年1月1日の第1回の放送は生放送ではなく、録音です。いきなり生放送は危ないと思い、どんな内容になるのか事前にチェックしたかったんです。
案の定、オンエアできない部分が相当あって、かなりカットしましたが、尺が足りなくなっちゃった。そこで、井上陽水さんの曲を何度もかけて、時間を稼ぎました(笑)。
水道橋 そんなにカットしてあの内容とは驚きです。当時はもう漫才ブームが始まっていて、ツービートとして毒舌漫才をやっていました。
でも放送を聴いて、「深夜放送はもっと針を振り切るぞ」という意志を感じた。時事ネタを建て前でなく本音で喋ったことは強烈なインパクトがありました。
松村 夫が妻子を殺した殺人事件が起こったときは、夫が世間全体から非難囂々の中、たけしさんだけが、「カミさんの締め付けがキツかったんじゃねぇか、俺も分かるよ」と擁護。自分の本音をさらけ出していました。
森谷 ただ、たけしさんの場合、毒舌は毒舌ですが、人を傷つけるような発言はしません。いくら毒を吐いても根底には愛があった。だから、抗議のようなものはありませんでした。
「たまきん全力投球」
水道橋 でも、聴いているほうはドキドキしましたよ。特に村田英雄さんをよく「頭がデカい」とネタにしていたでしょう。歌謡界の大御所をイジるなんてタブーだったじゃないですか。
当時、漫才は歌謡ショーの前座でやったり、お笑いが歌謡界にひれ伏している構図だった。それなのにコーナーまで作って、大御所をイジり倒した。旧い芸能界のヒエラルキーを壊していく下剋上を目の当たりにしているようで興奮しました。
松村 村田先生もさすがでしたね。あの番組がきっかけでムッチーブームが起こると、ついにご本人が番組に登場。「たけし君、ガッハッハ」と全てを笑い飛ばした。
水道橋 あれには「大御所とはこういうものか。さすが懐が深い」と、我々リスナーも感動しました。