「軍歌を歌う幼稚園」森友学園の愛国教育は、戦前だったら不敬罪!?

なんともトホホな戦後的光景

注目の幼稚園の「あまりに戦後的な実態」

国旗、国歌、軍歌、「教育勅語」、「天壌無窮の神勅」、御真影、修身、靖国神社、八紘一宇――。

「戦前っぽいもの」をカット・アンド・ペーストして、なんとなく愛国的な世界観を作り上げる。戦後、そんな「二次創作」がなんども繰り返されてきた。

国有地の売却問題などに絡み、大阪市の学校法人・森友学園が注目を集めているが、その教育もまたそうした「二次創作」の典型例である。

同法人が運営する幼稚園では、「君が代」や軍歌を歌い、「教育勅語」を暗唱し、御真影を掲げているという。これには、戦前回帰との指摘も少なくない。

だが、その詳細をみると、どこが戦前なのだろうといぶかしく思われる。

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天皇皇后の写真は覆いもなく無造作に置かれ、「教育勅語」は園児たちによって不揃いに唱えられ、「君が代」は毎朝のように歌われる。戦前では、天皇に関するものごとは厳格に管理されており、こんなカジュアルな扱いなどとうていありえなかった。

たとえば、文部省は、小学校(1941年度以降は国民学校)の儀式で「教育勅語」や「君が代」、御真影をどのように扱うべきか指針を定めていた。

複数ある指針をまとめると、おおよそ次のようになる。

1. 紀元節(現在の建国記念の日)、天長節(同、天皇誕生日)などの祝祭日に、校長、教員、児童は学校に集まり、儀式を行わなければならない(以下、式次第)。
2. 式場中央に奉掲した天皇皇后のお写真の覆いを撤する。その際、一同上体を前に傾け、敬粛の意を表する。お写真を拝戴していない学校では、宮城遥拝を行う。
3. 国歌を歌う。
4. 校長が「教育勅語」を奉読する。参列者は奉読開始とともに上体を前に傾けて拝聴し、奉読終了後に敬礼してもとの姿勢に復する。
5. 校長が訓話を行う。
6. 当日の儀式用唱歌を歌う。たとえば、紀元節では「紀元節」という唱歌を歌う。
7. 天皇皇后のお写真に覆いをする。その際、一同上体を前に傾け、敬粛の意を表する。

そう、戦前の小学生は、祝祭日にわざわざ学校に行って、こんなに堅苦しい儀式に参加しなければならなかった。その空間は厳粛をきわめ、御真影が置きっぱなしにされたり、「教育勅語」がガヤガヤと子供に唱えられたりするなど、もってのほかだった。

くだんの幼稚園は、戦前ならば、不敬罪に問われたかもしれない。戦後的な、あまりに戦後的な実態。同園の愛国教育を戦後の「二次創作」と呼ぶゆえんである。

「二次創作」は戦後日本の伝統芸

こうした「戦前っぽいもの」のカット・アンド・ペーストは、終戦記念日の靖国神社の光景を思い出させる。

8月15日に靖国神社に行くと、旧軍の軍装をしたひとびとの姿が目につく。外見からして、あきらかに旧軍の元軍人ではない。高齢者の場合も、不自然に階級が高かったりする。

つまり、かれらのほとんどは、民間人の「コスプレ」である。

これら架空の軍人たちは、くたびれた軍服に、しばしば高級な階級賞をつけ、エリートの象徴である参謀肩章や天保銭を帯びている。そして軍旗を掲げ、軍刀を抜き、境内を練り歩いている。

その異様な光景は、一度見たらけっして忘れられない。

〔PHOTO〕gettyimages

もっとも、かれらはふざけているわけではない。むしろ軍装や行進を通じて、靖国神社や戦死者に対して崇敬の念を示しているらしい。だからこそ、これまで許容されてきたのだろう。

事実、乃木大将のコスプレで有名なある老人などは、最近まで「靖国の英霊に捧ぐ」などと称して毎年軍歌のイベントを開催し、その開会の挨拶で「教育勅語」を恭しく読み上げていた。

こうした終戦記念日の光景もまた、戦後特有のものである。民間人(子供など一部の例外を除く)が軍人のコスプレをして靖国神社を参拝するなど、戦前であれば考えられなかった。

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これだけではない。「二次創作」の愛国教育は、戦後社会に見られるひとつの伝統芸であり、サブカルチャーであり、この分野に詳しい者にとっては見なれたものである。

だからこそ、戦前回帰との批判には違和感を禁じえない。「軍歌を歌う幼稚園」も、終戦記念日の靖国神社も、きわめて戦後的な現象であり、戦後民主主義の土台のうえに成り立っているものだからだ。

ここでは、「戦前回帰」対「戦後民主主義」の図式は適切ではない。そうではなく、戦後民主主義のなかの現象Aや現象Bと捉えられるべきである。戦前回帰との批判は、こうしたフェイクに対してかえってある種の正当性を与えかねない。

保革対立で形成された戦前ネタ

そもそも「戦前っぽいもの」のパッケージは、戦後長らくつづいた保革対立のなかで形成されたものである。

保守勢力(自民党文教族、文部省など)は、教育の荒廃が叫ばれると、かならず国旗掲揚、国歌斉唱、「教育勅語」の再評価、修身の復活などを主張してきた。

国旗国歌問題に火をつけた第三次吉田茂内閣の天野貞祐文相は、その嚆矢である。内藤誉三郎(文部事務次官→参議院議員→第一次大平正芳内閣の文相)のように、「天壌無窮の神勅」を学校で教えるべきだと主張した例もある。

これに対し、革新勢力(社会党、日教組など)は、ことごとくこうした動きに反対し、抵抗を示してきた。

「戦前っぽいもの」のパッケージは、こうした保革対立を前提とした一種のネタだったといえるかもしれない。多少大げさなことをいっても、どうせ反対派から批判されて最終的に調整されるだろう、と。

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だが、革新勢力が著しく退潮するなかで、こうした調整機能は失われた。

世代交代とともに、ネタもいつしかベタとして認識されるようになった。戦前ネタのフルコースともいうべき「軍歌を歌う幼稚園」と、それを評価する首相夫人という組み合わせは、その最たる象徴だろう。

私立学校でやっている分にはまだよい。だが、これが今後公立学校の教育などに影響を及ぼすとなるとたいへんリスキーだ。戦前ネタの裏で、児童虐待まがいのことをしているとの報道もあるが、事実だとすれば、またなにをかいわんやである。

〔PHOTO〕gettyimages

「戦前っぽいもの」のパッケージを解体せよ

もとより、教育機関で国民国家の歴史や意義を教えることは必要である。国民国家は、現在の国際政治の基本的な単位だ。これを否定するつもりはない。

グローバリズムの時代、国民国家というシステムをいかに無理なく保守・管理・運用していくか。政府への盲従や排外主義などの欠陥は認識しつつも、こうした問題に取り組んでいくことは欠かせない。

では、「軍歌を歌う」式の愛国教育でこの問題に対応できるのかといえば、はなはだ心もとない。「戦前っぽいもの」のパッケージは、いまやなき保革対立時代の産物だからである。

もはや、かつてのバランサーとしての革新勢力の再興はむずかしいだろう。

そこで必要なのは、「戦前っぽいもの」のパッケージを解体し、ひとつひとつ検証して、使えるものは使い、捨てるべきものは捨て、再構築を行うことであろう。軍歌はどうか、「君が代」はどうか、「教育勅語」はどうか――、と。

現代ビジネスの拙稿では、すでに「君が代」と「教育勅語」の意味や歴史について詳しく検討してきた。

・日本人にとって「君が代」とは何か? ネットにあふれるトンデモ解釈
https://gendai.media/articles/-/48225
・「教育勅語」復活論者は、単に歴史の無知をさらしているだけ
https://gendai.media/articles/-/50764
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「君が代」は、これからも国歌として使用するべきである。ただし、「歌うか、歌わないか」と踏み絵のように使うべきではない。万人に受け入れられやすい「聴く国歌」が落としどころではないかと思われる。

「教育勅語」は、復活させるべきではない。発布直後から問題点が指摘されており、今日の複雑化した社会ではとうてい使用に耐えない。部分的に評価できるところがあるのならば、別の文書を用意するべきである。

修身(道徳教育)や靖国神社(戦没者慰霊)などについても、個別に検討されなければならない。パッケージを丸呑みするかいなかの二者択一は、あまりに単純すぎる。

もう一度繰り返せば、「軍歌を歌う」式の愛国教育は、「戦前っぽいもの」をカット・アンド・ペーストした「二次創作」である。それはイメージと異なり、戦後民主主義に依存し、保革対立を前提としたものであった。

したがって、これからの時代に対応するためには、「戦前っぽいもの」のパッケージを解体し、国民国家に関する教育の再構築を行わなければならない。

戦前の模倣やネタでさまざまな教育問題が解決するのであれば、こんな楽なことはない。だが、そんなうまい話があるわけがない。「軍歌を歌う」式の愛国教育を評価するものは、そろそろ目を覚ますべきである。

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