2016.10.14
# 本

『サピエンス全史』の著者に聞く「人類滅亡」の現実的シナリオ

文明は「虚構」の上に成り立っている

文明が発達するほど、我々は不幸になっていく。なぜならその文明は「虚構」の上にもたらされたからだ──。

こう説きながら人類の歴史をマクロな視点から鮮やかな語り口で展開し、世界的ベストセラーになった『SAPIENS』。

世界中の主要メディアから称賛され、ジャレド・ダイアモンドなど歴史家、ダニエル・カーネマンなど経済学者、さらにはビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグらも先を争うように熟読した本書が、ついに『サピエンス全史(上・下) 文明の構造と人類の幸福』として翻訳出版された。

クーリエ・ジャポンは刊行を機に来日した著者ユヴァル・ノア・ハラリに単独インタビュー。日本語で読める記事としては最大級のボリュームで、若き「知の巨人」が縦横に語る人類の「本質」と「未来」についてたっぷりと紹介する。

Interview & Text by Kei Abe / COURRiER Japon
(この記事は「COURRiER Japon」からの転載記事です。)

〔PHOTO〕iStock

ヨーロッパ人は「変わった人たち」だった

──『サピエンス全史』には、人類の7万年分の歴史が描かれています。この本が世界的ベストセラーになったのも、壮大なスケールの歴史叙述が魅力的だったからだと思います。巨視的な視点から人類の歴史を振り返ると、どんなことが見えてくるのでしょうか。

長期的な視点に立たなければ、見えてこない歴史があります。

13世紀の日本の歴史を専門に研究すれば、その頃の日本の歴史に詳しくなり、さまざまな面白い発見をするに違いません。しかし、特定の地域の特定の時代だけに注意を向けていると、歴史の長期的なプロセスを見逃してしまいがちです。

人類の歴史は、統一に向かっているのでしょうか。それとも分裂に向かっているのでしょうか。

特定の地域の特定の時代のみ調べていると、このような大きな問いを立てることを忘れがちです。ある地域では、小国が統合されて帝国が誕生したかと思うと、やがてその帝国が崩壊して、また無数の小国に分裂し、しばらくすると、また帝国が登場する、ということが繰り返されているかもしれません。

そんな興亡の歴史を知ったら、「歴史は循環する」という説を唱えたくなる人も出てくるはずです。

しかし、数千年の単位で歴史を見ると、人類の歴史が「統一」の方向で進んできたことは明らかです。

巨視的に見れば、地球の各地に数千の部族が点在していた時代が続いた後、数ヵ所に古代文明が誕生し、人類を統合していく流れが続き、いまでは地球全体が一つの「グローバル・ヴィレッジ」になっています。

いま人類は、一つの巨大なコミュニティに属しており、世界全体が密接につながっています。現代人の世界観は、世界のどこに行っても、ほぼ同じです。サウジアラビアのような国もありますが、基本的なものの考え方は、どこの国に行っても、あまり変わりません。

国が変われば、物質や人体の理解の仕方も変わるわけではありません。東京のがん患者も、テルアビブのがん患者も、トロントのがん患者も、微妙な差異はあるかもしれませんが、基本的には同じように診断され、同じような治療を受けることになります。

しかし、1000年前は、そうではなかったのです。1000年前は、国が変われば、物質の理解の仕方も、人体のとらえ方も、病気の治療法も異なりました。

こういったことは、非常に長期的な視点に立たないと、なかなか見えてきません。大きなパズルの小さなピースを見ているだけでは答えにたどりつけないこともあるのです。

ユヴァル・ノア・ハラリ YUVAL NOAH HARARI  PHOTO: YOUNGJU KIM / COURRIER JAPON

──近代以降の世界史を動かしたのは、「未知の領域を探検し、そこを征服しようとする精神構造」だったとのことですが、これはどういう意味なのですか。

世界史の大きな謎の一つに、「なぜ近代以前は後進地域だった西ヨーロッパが、近代以後、世界を支配するようになったのか」というものがあります。このことを考えるのにも、長期的な視点に立つことは有効です。

西ヨーロッパは近代以前、巨大な帝国の中心地だったこともなければ、経済の中心地だったこともありませんでした。西ヨーロッパから広まっていった世界宗教もありません。ローマ帝国は、西ヨーロッパの帝国ではなく、地中海を中心とした帝国でした。

そんな後進地域だった西ヨーロッパが、なぜ世界を支配することになったのか。

その謎を解く鍵は、「近代科学」と「資本主義」の二つが西ヨーロッパで組み合わさったことにあります。

じつは「近代科学」と「資本主義」には、共通点があるのです。それは、「未知の領域を探検し、その領域を征服したら、飽くことなく次の未知の領域をめざす」という考え方です。

「地平線の先に何があるのかは誰も知らない。だから探検しに行こう。そうすれば、何らかの知識を得ることができ、その知識は自分の力になるはずだ」

西ヨーロッパの科学者も、帝国主義の征服者も、みなこのような精神の持ち主だったのです。

科学者たちは、既知の領域の外に出て、未知の領域を調べれば、新しい自然法則や新しい知識を得ることができ、その知識は自分たちの力になると考えていました。手に入れた知識を使えば、周りの世界を管理し、変化させられるからです。

コロンブスやマゼラン、フランシス・ドレークといった帝国主義の冒険家も、同じ発想でした。水平線の先に何があるかはわからない。だから、そこを探検し、力を手に入れようとしたのです。

当時、このような発想は、特異でした。西ヨーロッパ以外ではなかったといっても過言ではありません。近代以前の帝国では、未知の領域を探検する遠征計画など、ほとんど試みられていません。

そんなことより、自分たちがよく知る既知の領域を支配することのほうが優先されていたのです。

たとえば中国では、歴代のどの王朝も、既知の領域を支配することに力を注いでいました。モンゴルの元朝は例外かもしれませんが、どの王朝も、古くから中国だった領地さえ支配できていれば満足しており、地平線の向こう側の土地の支配など、企てようとはしませんでした。

中国にテクノロジーや経済力がなかったわけではありません。中世後期や近代初期の時点では、中国の技術力と経済力は、西ヨーロッパに優る面もありました。15世紀には、中国(明)の鄭和の艦隊がアフリカ大陸に到達しています。

計画を立案する人さえいれば、中国からヨーロッパやアメリカ大陸に艦隊を送る力はあったのです。

経済力についていえば、当時の中国は西ヨーロッパより上でした。中国にくらべれば、スペインもポルトガルもオランダもイングランドも小国でした。

それにもかかわらず、中国はアメリカ大陸に艦隊を送りませんでした。ヨーロッパ人の冒険家から、アメリカ大陸の存在を教えられた後も、アメリカに艦隊を出しませんでした。中国と比較すれば圧倒的な小国であるオランダやデンマークが、アメリカ大陸に遠征部隊を派遣しているのとは対照的です。

〔PHOTO〕iStock

アメリカ大陸の一部の征服をめざして部隊を送った最初の非ヨーロッパ勢力は、日本でした。

第二次世界大戦中の1942年6月、日本がアラスカ州アリューシャン列島のキスカ島とアッツ島を占領したのです。それまでの15〜19世紀の間、東洋の帝国は、どこもアメリカ大陸の一部を征服するために部隊を送ったことがありませんでした。その意味で、日本軍のキスカ島とアッツ島の攻略は、歴史上特異な出来事といえます。

つまり、ヨーロッパが世界の支配的勢力になったのは、技術力や経済力の差ではなく、精神構造の差によるものだったわけです。

オスマン帝国も清帝国も、やろうと思えば、10隻の船を集め、そこに2000人の船乗りを入れて送り出すことはできたはずです。しかし、オスマン帝国も清帝国も、そんな事業に関心を払いませんでした。

その意味で、ヨーロッパ人は変わった人たちでした。彼らは、未知の領域を見つけて探検すれば、そこで得た知識を自分の力にできるという信念を持っていました。

その信念は、間違っていませんでした。結局、ヨーロッパ諸国は、アメリカ大陸を征服して、そこで得た力と富をバネに、世界を支配する勢力になっていったのです。

もっともいまでは、「探検と征服」というこの精神構造は、ヨーロッパ人の専有物ではなくなり、世界の人々が共有しています。自然科学の研究者であれば、日本人も、中国人も、インド人も、みなこの精神構造を持っています。

「あのあたりは、未知の領域だから、そこを探ろう。得られた知見は、きっと私の力となり、がんの治療や核兵器の開発に活用できるはずだ」

自然科学の研究者は、みなそんな風に考えているはずです。

同じことは、経済の世界でも言えます。中国企業も、日本企業も、米国企業も、みなこう考えています。

「未知の領域を研究するための投資をしよう。その結果、何か有益な発見ができれば、巨万の富が手に入るはずだ」

ですから、この「探検と征服」という精神構造は、すでに全世界に広まったといえます。

私たちは大絶滅の実行犯である

──『サピエンス全史』の第四章で「ホモ・サピエンスは、あらゆる生物のうちで、最も多くの動植物種を絶滅に追い込んだ生物史上最も危険な種だ」と書いています。

世の中には、「昔の人は、自然や動物と調和して生きていた。人類が自然の生態系を破壊するようになったのは、社会の近代化と工業化が進んでからだ」と考える人がいます。しかし、これは事実誤認です。

人類は、いつから生態系を破壊してきたのか。

このような問いも、13世紀の日本の歴史だけを研究していると、なかなか答えることができません。しかし、数千年、数万年の単位で歴史を見れば、人類による環境破壊は、19世紀より前から起きていたことは明らかです。

 

ホモ・サピエンスが東アフリカから世界各地に広がっていった石器時代の頃から、私たちは生態系を変化させ、多くの生物を絶滅に追い込んできたのです。

ホモ・サピエンスが絶滅させた生物のなかには、ネアンデルタール人やデニソワ人といった私たちヒトの仲間も含まれます。

石器時代に、陸で暮らす大型の哺乳類の半分が姿を消しました。

これは人類が農耕を始める前の話です。人類が村に定住して、田んぼで米を育てるようになる前から、人類は生態系を大きく崩し、動植物の大量絶滅を引き起こしてきていたのです。

産業革命が始まる数万年前のことです。

人類史を俯瞰する視点に立つと、こうした歴史の長期的プロセスが浮き上がってきます。

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