みんなの党の「内紛」がいよいよ限界に達しようとしている。さほど大所帯とはいえない政党内での仲違いとあって、すでにイメージダウンも始まっている。みんなの党は一体、どうなってしまうのか。
この「内紛劇」を理解するには、まず昨年の衆院選挙前までさかのぼる必要がある。
当時、みんなの党は政策がほぼ同じだった大阪維新の会との合併目前だった。維新との合併にのめり込んでいたのが、幹事長だった江田憲司氏。一方で渡辺喜美・みんなの党代表は、合併には賛成だが、今ひとつ慎重だった。
背景には、橋下徹・維新の会代表の「真意」があった。今から1年ちょっと前の話だが、当時の維新は昇り龍で、引く手あまた。そうした中にあって、「橋下氏の意中の相手は石原慎太郎・太陽の党代表(当時)ではないか」と、渡辺氏は思っていたようだ。
橋下氏と石原氏は年齢が37歳も違う。親子並みの歳の差がある中で、橋下氏は石原氏から当面の政治力は借りるが、数年すれば石原氏は引退し、自分の天下になると読んでいるのではないか。渡辺氏はそう考えた結果、みんなの党と維新の合併手続きに慎重になっていたらしい。
事実、維新は太陽と合併した。ただ、こうした状況を江田氏サイドから見ると、渡辺氏の踏ん切りがつかなかったから橋下氏は石原氏を選んだとなる。どちらが正しかったかは、今となっては判定不可能だ。
いずれにしても、政治の世界は選挙結果がすべて。
昨年の総選挙でみんなの党が負けていれば、政治的には江田氏の勝ちで、みんなの党は江田体制になっていただろう。しかし、みんなの党はそこそこ躍進し、政治的には渡辺氏の勝ちとなった。しかも、維新との合併模索の中で、江田氏の「手勢」といわれる3名がみんなの党から維新に移っており、この意味でも江田氏のみんなの党内における影響力が弱くなった。
しかし、その後も「対立」は収まらない。
維新が太陽と合併した以上は維新との距離を置くべきとの渡辺氏と、なおも維新との合併を捨てきれない江田氏の路線対立は、今夏の参院選でもあった。みんなの党は、渡辺系候補と江田系候補が立候補して、参院選を戦った。その結果は再び渡辺氏サイドの勝利だった。