原子炉建屋の爆発が相次ぐ極限状況で指揮をとった〔PHOTO〕gettyimages
ジャーナリスト:門田隆将
複数の原子炉が暴走する史上最悪の原発事故。その最前線で闘った男が静かに逝った。彼はそこで何を見たのか。そして日本人は、彼の遺志をどう受け止めるべきか—男が果たした「使命」を顧みる。
もしこの人がいなかったら
2013年7月9日午前11時32分、東京・信濃町の慶応義塾大学病院で福島第1原発の元所長、吉田昌郎氏が息を引き取った。享年58だった。
あの大震災が起こった2011年3月11日から数えて851日目のことである。あまりに早すぎる「死」だった。
私は、吉田さんの訃報に接し、「ああ、吉田さんは、天から与えられた使命を全うし、私たちの前から去っていったのだ」と思った。
拙著『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)の取材で私が吉田さんとお会いしたのは、昨年7月のことだ。
全電源喪失、線量増加、注水不能……考えうる最悪のあの絶望的な状況で闘いつづけた吉田さんへの単独インタビューは当時、すべてのメディアが目指した案件だった。