チャンスを得た三浦、リードを狙う
先制攻撃をかけることを、将棋用語で「仕掛ける」という。電王戦第5局は序盤戦を得意の展開に持ち込んだ三浦弘行八段が、いつ、どう仕掛けるかに注目が集まっていた。
だが、先に仕掛けたのはGPS将棋のほうだった。
「変な手、来たね……」
控え室で戦況を見守る棋士たちから、戸惑いの声が上がる。それは、見るからに違和感がある仕掛けだった。プロでなくても将棋を熱心に学んだことがある者なら、このような仕掛けはうまく行かないと直観的に捨ててしまう類の手順だ。
終盤戦での、玉が詰むかどうかという読みでは、人間はすでにコンピュータの敵ではない。目的が明確なときの演算能力こそコンピュータの最大の強みだ。
しかし、まだ目的が漠然としていて読みを絞れない序盤から中盤にかけては、人間にアドバンテージがあるとされている。経験によって培われた直観、すなわち大局観が、考え方の方向を教えてくれるからだ。大局観を持つのが難しいコンピュータは、序・中盤ではしばしば人間から見ると「とんちんかん」な手を指してしまう。
すべての手を「完璧」に指す以外に勝機はない、と悲壮な覚悟を固めている三浦に、チャンスが訪れていた。
GPSを相手に「0対0」のスコアのまま終盤戦に入るのはたまらなくつらい。だが、この「変な仕掛け」の欠陥を的確に突いて局面をリードすることができれば、「先行逃げ切り」というビジョンが見えてくる。三浦は慎重に時間をかけ、先取点を上げるための方策を練り始めた。
三浦が長考に入ると、控え室の棋士たちも駒を動かしながら検討を始めた。どうすればこの仕掛けに「無理攻め」の烙印を押すことができるか。誰の目にも直観的に「ひと目」で浮かぶ手があった。6五歩。
それで三浦が有利になるはずと思われたが、実際に駒を進めて確認するうちに、話は簡単ではないことがわかってきた。
「あれ? 意外に大変か」「おかしいな」「うーん……」
彼ら棋士たちにとって、それは初めて真剣に向き合う局面だった。疑問の声は、やがてあきれたような溜め息に変わっていった。
「むしろ先手(三浦)が悪くなる可能性まである。ほんとかよ……」
そこへ、ある情報がもたらされた。前回述べたように、GPSは思考の「中身」を見ることができる。三浦がどう指すべきか、棋士たちがいま頭を悩ませている局面で、GPSはどの手を「正解」と考えているかがわかったのだ。それは自分の玉の守備を自ら崩す、人間なら本能的に不安感を覚える手だった。
だが検討してみると、その手「7六銀」のほうが、棋士たちには「ひと目」だった「6五歩」よりも優っていることがわかってきた。やがて控え室では「正解は7六銀」と結論づけられた。まだ序盤戦が終わったばかりの局面で、GPSの読みが棋士たちの直観を上回ったのだ。
GPSの攻撃陣を封じ込めにかかる
4時間という持ち時間は、コンピュータと戦うには決して長くない。そこから貴重な33分を投入して、ついに三浦は決断した。
はたして彼が選んだのは、7六銀だった。
さすがA級棋士──内心ほっとした私は、次の瞬間、何とも奇妙な感覚にとらわれていた。いま自分は、三浦がコンピュータの予想どおりに指したことを喜んでいる……。
だがチェスの世界では、すでにこうした状況は当たり前のものになっているようだ。1997年に世界チャンピオンのガルリ・カスパロフがスーパーコンピュータ「ディープブルー」に敗れて以後、コンピュータは完全に人間を超えてしまった。
いまではディープブルーより強いソフトも無料で公開されている。インターネット中継では、一流プレイヤーどうしの対局を、コンピュータが予想する「正解」を見ながら観戦することもできる。それはもはや、対局者がその手を指せるかどうか「テスト」する感覚に近いだろう。
もちろん抵抗感はあるにせよ、チェス界ではすでに、そうした状況が受け入れられている。人間に求められるのは、「正解」よりもむしろ、「不正解」が生み出すドラマや感動なのだ。いつかは将棋も、人間どうしの対局は「人間らしい不正解」を鑑賞するためのものになるのだろう。
三浦が7六銀と指した局面を、GPSは「ほぼ形勢互角」と評価していた。だが、モニターに映る三浦の指には、力がこもってきているのが感じられた。対局中の自信の有無は、手つきには正直に表れやすい。
リードを奪うため、三浦が採った方針は「盛り上がり」だった。自陣の駒を押し出し、相手の攻撃陣を封じ込めてしまう作戦だ。守備駒が前線に出ていくだけに後方が手薄になるリスクはあるが、ぐいっ、ぐいっと三浦が盛り上げる金銀は、分厚いバリケードのように見えてきた。
「これは三浦さん、なかなか負けないね」
業界独特の言い回しで、棋士たちは安心感をのぞかせた。