*本記事は、近藤 一博『疲労とはなにか すべてはウイルスが知っていた』(講談社ブルーバックス)を抜粋、編集したものです。

疲労はさまざまな病気の原因ともなる医学上の重要問題です。では、疲労の問題を解決するために、まず必要なことは何でしょうか?
それは、疲労を科学的に扱うことです。
「疲れても気合でなんとかなる」という日本的な根性論でも、「疲労は自己管理ができていれば問題にならない」といった欧米的な疲労軽視でもなく、疲労というものの実体をしっかりと科学的にとらえて、医学の対象として研究することが必要です。
それでは疲労の実体を科学的にとらえるためにはどうすればよいのでしょうか?
「疲労」と「疲労感」は違う
一般的に使用される用語である「疲労」には、2つの意味が含まれています。疲れたという感覚である「疲労感」と、疲労感の原因となる「体の障害や機能低下」です。
このうち、科学の対象としやすいのは、後者のほうです。なぜなら現在の科学はまだ、前者の「感覚」を扱えるほどには発展していないからです。「物質」を見ることでとらえられる体の障害や機能低下ならば、科学、とくに分子生物学といわれる分野が得意としているからです。だから疲労を科学として扱うには、まずは疲労感の原因となる「体の障害や機能低下」を、分子を介してとらえることになります。
ちなみに日本の研究者の多くは、「疲労感」と「疲労」をしっかりと区別しています。テレビで栄養ドリンクの宣伝を見ていても、誠実な製薬会社のCMは、「疲労感を減少させる」ときちんと言っています。「疲労を減少させる」と言うと、誇大広告になるということがわかっているからです。
これに対し、英語で疲労を表す「fatigue」という単語は、ほとんど「疲労感」の意味しかなく、欧米の研究者は「疲労感」と「疲労」を区別しているようには見えません。
この点を見ても、日本の疲労研究は世界を一歩リードしているように思われます。