尾身茂の独白 岸田首相と「専門家」の歩調はなぜ合わなかったのか…その葛藤のすべて
専門家が全面に出て
前篇《新型コロナ1100日とは何だったか…いま尾身茂が明かすコロナ対策の「自己検証」とは》に引き続き、政府の新型コロナウイルス感染症対策への助言役を3年半にわたって務めた尾身茂氏のインタビューをお届けしよう。
──3年半、専門家がリスクコミュニケーションの前面に立つことになった。
「09年の新型インフルエンザでは一切なかった。我われが2020年2月に初めて出した提言の直後、すぐにマスコミの要請で提言の内容などを説明することを求められ、それを契機に提言を出すたびに記者会見をすることが定例化した。結果的に前面に出ることになりました」
──3年半の感染状況を俯瞰してどう振り返りますか。
「新型コロナの3年半は、大きくわけて3つのフェーズにわかれます。
1つ目は、全くの未知のウイルスを相手に試行錯誤を繰り返した時期、2つ目は医療逼迫が何度もおきるほど感染が最も広がった時期、3つ目は社会・経済を動かすために感染症法上の分類を2類から5類へと変更させる議論が行われた時期です」
──それぞれ安倍政権、菅政権、岸田政権の時期と重なっていますね。
「ウイルスは忖度してくれないので、これは偶然です(笑)。
先程申し上げた20年2月の段階では、政府はクルーズ船対応に追われ、我われが前面に出ざるをえませんでした。
提言を出すたびに行った記者会見、さらに何度も呼ばれた国会答弁に加え、総理との記者会見に私が同席することなども重なって、実際には決してそうではなかったけれども我われ専門家が全てを決めているという印象を持たれたようです。そんな権限はありません。
とはいえ、いずれの政権期の感染症対応も、医学・公衆衛生学的な考え方が必須である一方、対策のインパクトは社会経済、教育、生活の全般、外交政策にまでも影響しました。
どんな政治家も感染対策は未経験ですし、100年の1度の危機ならなおさら、わからないことが多い。このため、第1、第2フェーズの中頃までは政府の側に専門家を聞きたいという気持ちが確かにあったと思います。ところが、社会経済を動かすことが最優先課題になった第3フェーズになると、政治家が前面に出て、リーダーシップを発揮すべきという考えが出てきたように思います」