こうした問いに、現在ベストセラー街道を激走中の好著『ディープラーニングと物理学』著者が真摯に向き合う特別エッセイをお届けします。
不思議だと思う心
化学物質の生態系への悪影響を『沈黙の春』という著作で発表し有名になった生物学者に、レイチェル・カーソンという女性がいますが、彼女の執筆した別の著作に『センス・オブ・ワンダー』という短いエッセイがあります。
この著作では自然界に見られるさまざまな物や現象──花や苔、夜空の星々や唸る荒波など──を見たり触ったり聞いたりした時に感じる、ある種の安らぎや驚き、さらにはそこから生じる「不思議だと思う心」を総称し、センス・オブ・ワンダーと名付けています。
物理学や数学を勉強していると、しばしば「何のためにそんなことをするのか」という素朴な疑問を投げかけられることがあります。
この手の質問にうまく答えられないために「物好き、変わり者」のレッテルをはられてしまい、悔しい思いをされた方も多いかと思います。この質問への一つの回答は、「センス・オブ・ワンダーを感じるため」ということなのかもしれません。
かの朝永振一郎は「不思議だと思うこと、これが科学の芽です。よく観察して確かめ、そして考えること、これが科学の茎です。そうして最後に謎が解ける、これが科学の花です」という素敵な言葉を遺したことで有名です。不思議に感じるということは、対象となる現象に科学者の理解が追いついていないということでもあるので、そこに何らかの新たな発展が生じ得るということです。
この言葉に照らし合わせると、不思議だと思う「心」は科学の種である、とも言えるでしょう。
大風呂敷をひろげてみる
そもそも、なぜ我々はこのような不思議だと思う「心」を持っているのでしょうか。
脳の働きがすべて化学反応で説明できるのだとすれば、そこに意識が現れる可能性はなく、すべてはただ淡々と化学反応によって引き起こされた物理現象なわけです。そういう意味では、意識は幻想なのかもしれません。
仮に意識は幻想だとしても、すくなくとも人間は「知性」を持っており、論理的な情報処理能力を持っていることはさすがに疑いようがないでしょう。
この世界に知性を持った生物が存在している以上、知性が存在し得ることと、物理学の法則に何らかの関係があってもおかしくない気もします。