ブログ名はまた決めます

何者でもない25歳男性がイギリス生活を綴ります。こっち来て思ってることを大体書いてます。英語で言語化できないストレスからでしょう。なので更新頻度は徐々に落ちていくと思われます。うまくいけば。

#7 カルチャーショック

僕は環境が変わると聴く音楽も変わるようで最近はテクノなんかを聴き始めました。

それでも変わらずに聴いてるKANDYTOWNとカネコアヤノ。とってもDOPE

 

だいぶ前に卒業しちゃったんだけど、語学学校の話を少し。

一ヶ月しか通わんかったんやけど、もう一回行きたいくらい素晴らしかった。

 

インターナショナルの雰囲気ももちろん、友達がいっぱいできてどこ行っても友達いるみたいな感じ。不思議と日本人の女の子とそもそもほとんど知り合うことはなかったのだけど。

 

超ファニーな先生が担任やったけど流石に疲れたり、授業の雰囲気がだらけたりみんなが消極的になったりした場面では南米の子たちが大活躍する。いい意味で周りの雰囲気を深読みしないのでお構いなしにしゃべったり、笑ったりしてとても助けられた。このバイブスがあれば人生楽しいに決まってる。南米行きたいなあ。

でもあいつらは笑いの沸点が低すぎる笑笑 ゲラです。

おそらく怒りの沸点も低いのでお国の問題がたくさんあるんだと思います。

 

卒業後も午後のフリークラスは相変わらず参加していてそこでもいろんな出会いがあって楽しい。バケーション文化があるような欧米や南米からは社会人が来てるケースも多くて刺激になる。いいよねそういうことができるの。羨ましいが彼らには祝日がほとんどないのでどっちがいいんやろ。

誕生日と卒業日が近くて誰かが作ったケーキでお祝いしてもらった

 

とある日のpub eventで行ったpubがThe BeatlesやOasisを大音量で流してて自然発生的に誰かが歌い出すと、合唱になった。次第に大きな輪となってCountry roadを肩組んで歌った時間は特別なものだった。全員違うバックグラウンドがあって、世界中からたまたま学校で出会い、故郷を想う。

俺は左の切れ端

英語力も格段に伸びた。ネイティブレベルで引いてみるとまだまだ全然だけど、1ヶ月前からするととんでもない傾きでグラフは上向き。ホストファミリーからも上手くなったと言われるし、前までは話せなかった中学生の子たちともよく話せるようになった。

感覚としては新しく語彙が増えたとかではなく、日本で学んでいた語彙を正しく伝えれたり、文章の構築の仕方がわかってきたみたいな感じで持っていた力をやっと出せるようになってきたと言うものに近い。

もちろん耳も良くなってきた。文法も学校で習うけど全部知ってた。日本の文法教育はやりすぎくらいあると思う。反対に欧米、南米の子たちはこの辺が弱い。けど文章の成り立ち、いわゆるS+V+O〜みたいなのが似てるので語彙さえ知っておけば、スラスラ話すことができる。その面でいうと東アジア圏は正反対な文章の成り立ちをしているので僕らは話すのが難しい。なので韓国、中国、台湾のやつらとは英語のコミュニケーションがやりやすい。

こんなことにも気づけるのだからおもしろい。

まだ冗談もあまり言えないし、言いたいことも語彙が足りなくて伝える選択肢が少ないのでもっと鍛えないと。

お金がもっとあってホームステイじゃなかったらもっと楽しかったろうにと思うのでまた余裕ができたらもう一回別の語学学校行くのアリだなと考えている。

 

以前このブログで中国人と相容れないと書いたことがあったが、ちょっと表現が誤っていた。

その時は中国人との関わり方をよく知らなかったので、傷つくことがあったからだ。

中国の文化は世界スタンダードとかけ離れている。人付き合いもそうだ。

「关系(Guanxi)」

という人間関係を表す中国の文化がある。この関係は一度結んでしまったら切っても切れない人間関係のことで結びつきはとても強い。中国人は簡単に人を信用しない。人口はアホみたいに多いため自ずとおかしなやつもいいやつも限りなく存在する。彼らはその社会を生き抜くために強固な人間関係を築き、その中で生きる。これが生まれた要因として文化革命がある。それまで中国の長い歴史の中で昰とされてきた知識や思想、孔子や儒教が否定され自分と自分の家族は自分で守らなければならないと考え方が変わったようだ。中国は歴史的背景とその環境からこういった文化が生まれた。書かないけど調べるともっと深くて色々あるから調べてみて。

 

自分達のルールや思想は簡単に変えないし、ガードが堅いから側から見ると迷惑なやなやつになる。それは我々からすると関係ないことので文化的な隔たりから関係構築が難しいと感じることが多かった。

表面上彼らは明るく接するがどこか深いとこまでは信用されてない気がする。そこで意見が食い違ったり通じ合えないことがあるとすぐに関係を切り捨てるしそれが露骨である。

それじゃあイメージは悪いやろう。

 

外国人と接するとき、どうしてもこの人は○○人かと思いながら接する。

そうなるとその人個人のイメージがその国のイメージになりやすい。

それは俺も同じで誰かにとって俺は初めての日本人かもしれない。

ありがたいことに日本人というだけで恩恵を受けることが多い。先人の方達のおかげです。日本人としてやることはちゃんとやろうやって思う。タバコはポイ捨てしない、ウソはつかない、ありがとうとごめんは言う。そうなると俺はみんなにいいイメージを与えるわけで、そのみんなはイギリス人だけじゃないわけで、俺は世界レベルでいい影響を与えとるやんけという話です。

G-dragonピタカゲロケ地 Brick lane

カルチャーショックはありましたか?って過去の自分なら聞いてくるやろうけど、いい意味でも悪い意味でもあんまないですね。これは自分としても驚き。

地球の裏に近いとこまで来て、全く今まで暮らしてたとことは違うんやけん異世界みたいな感覚になると思ってた。てか数十年前ならそうやったという方が正しいか。

時代ときめくインターネット社会。その余波はこんな形で訪れます。

いろんな意味での統一化が進んだと思う。グローバルスタンダード。世界の考え方はこうです。これが流行りです。価値観や思想、技術などどこ行ってもほとんど同じ。今叫ばれてる多様性なんて付属的なものにしか過ぎない。言語だってそう。ずっともの凄い速さでこれらが変わっていってる。さっきの中国の話なんて珍しい話なんよ。変わっとらんのやけん。

日本にいるときも国内のことですらずっっと思っとった。地域社会の文化の喪失、SNS普及による方言の喪失。というか標準語も変わりまくり。今若い子のYoutube、太宰治が見たらひっくり返るっちゃない?三島由紀夫はもう一回腹切るかも。日本全国どこいってもおんなじ様な言葉喋るし。

それが世界規模で起きてる。寂しいね。残さなきゃいけないものは残そうとしないと無くなっちゃうね。

でも文化の移ろいってそういうものなのだろう。大英博物館で世界中からイギリスが盗んできたモノを眺めながらそう思った。人類の長ーい歴史を本物を見て感じることができるのはあそこが世界最高の場所だと思う。無料やし。

そのおかげで俺たちは世界中だいたいどこでも住めるし、友達もできる。自分を失うことも少ないかもしれない。

エジプトからパクってきたのがダントツで多かった。

1ヶ月と少しが経ち、異国感がだいぶ薄まってきた。

バス、電車に乗る、スーパーに行くことなどが日常感出てきた。

ホーム感というほどはないけど。ふと窓から外を覗く時、外の道を歩く時にそういったことに気づく。

すでにクリスマスの準備始まってますよー。

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