がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

教育と「教育事業」について考えてみる

気付くと色々と関わり合いが深くなってきたので。
具体的には、教えたり教え子が教えるようになったり甥っ子姪っ子が教員を目指したり、などなど。


ちょうど良かったんで、とりあえず現時点での「おいちゃんの考える」教育を少し整理してみようかなぁ、と。


まずは「教育」の定義から。
教育とは「教育を受ける人の知識を増やしたり、技能を身につけさせたり、人間性を養ったりしつつ、その人が持つ能力を引き出そうとすること( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2 )」らしいのですが by wikipedia。
例えばそれが「間違った知識」を増やさせたり「身につけると大変にインモラルな」技能を身に付けさせたり、「引き出しちゃいけない」その人がもつ能力を引き出したり。
人間性については「その定義によっては」養うには色々と危険なものも多いように思われます。


…なんていう物騒なことを考えると、極論としては「洗脳とかマインドコントロールとかと何が違うんだろう?」とか思ってしまうわけなのですね。


おいちゃんなりに一応差異はあると思っているのですが。
おいちゃんが思うその差異は「多様性を認めるか認めないか」。もっと突っ込んだ言い方をすると「"先生の思考思想に逆らう"生徒の思考を許容するか、しないか」なんじゃないかなぁ、と思うわけです。
結論を教えて反論を許さないのが洗脳で、過程を教えて反論の余地を残すのが教育、なんじゃないかなぁ、と。


守破離の「離」の字の有無、とか言い換えても良いわけなのでしょうな。
勿論「すべての反論を許す」訳ではなくて、最低限「師(おいちゃん)を説得なり納得なりさせられる程度に不備のない」論拠等が必要なので、ハードルは低くないのでしょうが。


もう一つ。
おそらく、おいちゃんが考えている「教育」と…極論的には、小中学校の教師が考えている「教育」って、多分、違うような気がしているです(以前に書いたような…書いてないような…)。
どの辺に閾値があるかよく分からんのですが。
ある程度「まで」って、恐らく「大多数の人が身に付けることが可能であると想起される」し、実際に「身に付けておかないと社会生活的にしんどい」部分があって。
いわゆる「読み書きそろばん」のあたりを想起しているのですが。
そのあたりって恐らく「大人なら誰でも出来る(はず)」の領域で、その領域の場合「教え方」ってのに大きな比重があるように思われます。
いわゆる「やる気スイッチの押し方」なんてのもその辺なんじゃないかなぁ、と。


一方で。
おいちゃんが関わっているし関わりたいあたりの教育は、そういう意味だと「万人向け」ではないのと。
教える側も「誰でも身に付けられるスキル」を教えている訳ではないので。
そうすると、バランスもあるのですが、まず「教師講師のスキルレベルが十二分に高い事」ってのが、一つ大前提として発生するです。
別に「教えるスキル」を軽視するつもりは全くないのですが。


そうすると…これは「教える側」の心得でもあり「教わる側」の心得でもあるのですが。
この辺が、マッチするかな。
■[親方]教えは「乞う」モノだと思う、って系統のお話し
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20121115/p2

最初から教えてもらおうって考え方も、甘え過ぎ。
師範も師範代も、現役の修行者なんだよ?
あの人たちにも、自分自身の修行があるの。

もちろん賛否両論あるのは知っているんだけど。
でも現実問題として、実際に「教える側もまた、現役の修行者である」ってのは紛れもない事実なので(もし「そうじゃない、極めた人」がいたら、その人に教わるのは避けた方が無難でしょう B-p)。
その辺を考えた時に、「教える技量」と「実務の技量」とのバランス、ってのは、非常に難しい問題だと思う。


また、この辺に起因して、だから「専業の講師」っていうのを、おいちゃんは、あんまり是としていないです。
おいちゃんはあくまで「現役エンジニアを主体」に、横で「講師業"も"」やっている、って状態でいたい。
なんでかってぇとおいちゃんもまた「修行者」でしかないから。


ちなみにそれだけの「継続した修行」が必要だと思う理由は、この辺を参照。
■[親方]技能を伸ばす理由
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20140524/p1


さて、ここからもう一つの本題。
それは「教育、と教育事業、との違い」。


おいちゃんにとって、教育って半ば「収入の一割を寄付しよう」に近いものがあるので(とはいっても限度ってもんはあるけどねw)。
ただ、それを「万人に強要」とかどう考えても正気の沙汰ではないし、とりあえず「続かない」ので。
ちゃんと続ける為には、常識的な利益を叩き出してちゃんと「ビジネスとして」成立させる必要があります、ってのは、言わずもがななお話でございます。


ただ。
教育を「事業」として捕らえた時に、難しいなぁ、って思うところが、正直、多々。
当然、事業である以上は「依頼主(雇い主)」のニーズ、ってもんがあるのですが…この辺の構図は、サイトを作っている時の
・作成を依頼してくれている会社さん:クライアント
・そのサービスを実際につかう一般人:ユーザ
の関係に近いのかもしれない。


端的には、クライアントさんとしては「授業が終わった直後」がゴールなので、そこに向けて出来るだけ「すぐに役に立つTips」を沢山盛り込んで欲しい、って要望は少なからずあります。
学校だと「就職がゴール」とかね。
勿論ある程度「すぐに役に立つTips」もやるんだけど。そこで終わると、その辺のTipsって「すぐに役に立たなくなる」ので。
「すぐ役に立つことはすぐに役に立たなくなる」って、池上さんも言ってるでしょ?


かつ。
ぶっちゃけると、Tipsって「お仕事中に実務でネットで」でも、ある程度調べがついてしまうので。
やっぱり、ちゃんと「教育」って体裁のお時間の時には、ある程度「基礎理論」とかその辺の、根っこをしっかりとやって。
「今後、成長の糧になるための土台作り」を、多めにしたい訳なんですね。


ただまぁ、ご依頼的にはやはり「速習」ってお話が出てくるので。
この辺の乖離は、いつも、難しいなぁ、と感じるところではあります。
有難い事に、今のところおいちゃんの周囲には「ごり押しをしてくる」所ってないので、自分はうまいことバランスが取れてるのですが。
可能性として「バランスが取れなくなる」可能性ってのも、想起できないわけじゃないんで、この辺の考察は続けていきたいかなぁ、と。


教えるってのは、半歩間違えれば「洗脳」になるし、違う間違え方をしたら「飯が食えない」とか「生徒を見ない教育」とか、結構色々な落とし穴が待っているので。
出来うるのなら、最終目標は「生徒が育つこと」であり、つまり「生徒が育つために必要な土台を作るお手伝いをして上げる事」であり、っていうスタンスを外さないようにしていきたいなぁ、とか思うんですね。


ほら。
生徒が育って使えるようになったら、使えるから楽ぢゃん(笑


「教師は聖職」なんて話も聞きますが。
おいちゃんとしては「お互いに取ってメリットがある、共存関係」くらいの感じで、対等にやっていけたら楽しいし、無理もないんじゃないかなぁ、とか思うのです。


他の「教えている」人達とか「教わっている」人達とか「教育事業に関わっている」人達って、どんな感じなんですかねぇ?