誰かが言わねば

~誰も本当のことを言いたがらない。誰かが言わないといけないことだから、私が言おう~

男性の多くが結婚生活に幸せを感じられないでいる

人は誰もみな、誰かに必要とされていたい、誰かに大切にされていたい、誰かに尊重されていたいものです。
時々、仙人みたいに山にこもって誰とも接さずに生きようとする人がいますが、それはその人が「私は誰にも必要とされなくてもいいんだ」と思いながら生きるためには人里から離れなくてはいけないことを意味します。つまり社会の中でたくさんの人と接しながら「私は誰にも必要とされていないんだ」と思って平気な人はまずいないということです。人が誰かに必要とされていたい、誰かに大切にされていたい、誰かに尊重されていたいと思う気持ちはそれだけ強いものなのです。

恋愛や結婚には、この気持ちをお互いに満たしあうという一面があります。つまり一人の男性がある一人の女性を特別大切に扱い、その女性はあなたから特別に思われていることは私にとって嬉しいことなのだという意思を何らかの形で表します。そうやって互いに相手の、誰かに必要とされていたい、誰かに大切にされていたい、誰かに尊重されていたいと思う気持ちを満たし合います。
結婚後もずっと幸せな時間が続けばよいのですが、現実にはちょっとしたきっかけで、相手に対して必要とすること、大切にすること、尊重することをやめてしまう場合があります。きっかけは人それぞれですが、ここでは子供が生まれたことをきっかけに夫婦の関係が崩れていくパターンを見ていきましょう。

子供が生まれると、赤ん坊や幼い子供は母親を特に必要とします。その時点で女性には子供から「必要とされている」実感がありますから、男性からの「大切にされている」実感は必要不可欠なものではなくなり、あるにこしたことはないけど別になくても構わないものに格下げされます。そうなると、忙しい育児の合間に男性に対して「あなたから特別に思われていることは私にとって嬉しいことなのだという意思表示」なんてやってられなくなります。この状況で男性の側が、大切にされることを嬉しいと思ってくれない相手を一方的に大切にし続けるのは難しいことです。
女性と子供はお互いにお互いを必要としあって強く結びつき、男性は女性からも子供からもそれほど必要とされませんし大切にもされません、尊重もされません。しかし、女性も子供も男性から大切にされることを当然の権利として求め続けます。男性の側は、必要とされているのは自分が稼いでくる生活費の方であって自分自身はさほど必要とされていないと気づきます。それでも男性は、自分を大切にしてくれない相手を大切にしなくてはなりません、自分を尊重してくれない相手を尊重しなくてはなりません。つまり一方通行の愛情を求められます、なぜならそれが世間の常識でありルールだからです。
しつこいようですが、大切にされることを嬉しいと思ってくれない人を大切にし続けるのは難しいことです。この状況に陥ってしまった男性には根本的な解決の手段はありません。なぜなら女性の側はまだ「自分を尊重してくれない人を尊重し続けなくてはならない」という状況に直面していませんから、社会の常識に欠陥があるとは感じていません。問題の存在に気づいていない相手に向かって「社会の常識が間違えているんだ」と訴えても理解はされませんから、「現代の家族制度の根本的な欠陥についての指摘」が相手の女性には単なる「夫の個人的な不満」と受け止められてしまいます。
問題解決の手段がない男性は、遅かれ早かれ自分を尊重してくれない人を尊重し続けることを止めてしまいます。男性の側が相手の女性を大切に思うことをやめてしまうと、女性の側はよりいっそう男性を尊重する理由を失います。家族の誰からも尊重されない男性は、家に帰っても居心地が悪いし安らぎもない、そこは自分の居場所ではないと感じるようになります。

もちろん世の中には子供が生まれてもこんな状況に陥らない幸運な男性もいます。しかし残念ながらそれは少数派です。にも関わらず、その少数派だけが正しいという前提で結婚や家族の形に関する常識が作られてしまっています。多くの男性が我が家を自分の居場所ではないと感じているにも関わらず、夫婦は対等で家族は仲睦まじく家庭は安らぎの場なのだというプロレス的フィクションの中に生きることを強要されているのです。
多くの男性にとって、家族の居る家は居心地のいい場所ではありません。しかし彼等は社会のルールに従わなくてはなりません。家族と仲睦まじいふりをして、家でくつろいでいるふりをして、早く帰りたいけど仕事で遅くなるふりをして生きています。そのストレスは生半可なものではありません。

さて、あなたはどう思いますか?Â