アメリッシュガーデン改

姑オババと私の物語をブログでつづり、ちいさなガーデンに・・・、な〜〜んて頑張ってます

【明智光秀の謎|信長編 5】親の虐待から逃げた子どもはどう生きた!歴史から学ぶ(NHK大河ドラマ『麒麟がくる』)

虐待からは逃げるしか生きる道はない

 

日吉丸、12歳。7歳の頃、父が戦死した。

当時の戦闘員は、武家に生まれたのではない限り、戦争のたびに一般庶民から募集して集めた雑兵で、だから逃亡も多く、プロの戦闘員ではなかった。

 

日吉丸の父も農家を営みながら、兵役に取られ死亡したものと思われる。

 

翌年、母の仲が再婚した竹阿弥は最低の男で、その間に子どもが生まれると、日吉丸への虐待が増した。

 

「おい、クソガキ。ちゃっと水を汲んでこんか!」

 

貧しい掘建て小屋から、ゲキが飛ぶ。

先ほど殴られた頬が腫れ、唇が切れて血がにじんでいた。

 

義理の父は、なにかと理由をつけては殴る蹴るの毎日だ。

 

その上、冬の朝の水汲みは最も辛い仕事の一つであって、

裸足の足に凍りついた地面が刺してくる。足の裏に痛みなどない。厚い皮膚が何重にも硬く重なり、ひび割れ、それを繰り返すうちに感覚は失せていた。

 

真冬のさなか、井戸で桶に水を汲み戻ることが、体の小さい12歳の少年には苦痛を通りこした地獄である。

 

(逃げたる! いつか逃げたる!)

 

呪文のように心で繰り替えしながら、必死に運ぶ。

 

頭のなかで、逃亡方法をなんども繰り返しシミュレーションしていた。

殴られるたびに、

(いつかみていろ!、おらあ、サムライになって、えりゃあ男になって、あいつを叩きのめしちゃる)

執念だけが生きる糧になった。

 

その反抗的な目が竹阿弥には憎らしい。そして、彼の暴力が激しさをますという悪循環が続く。永遠に終わりのない日々に、日吉丸の心は病んだ。

 

床に飯をまかれて、犬のように這いつくばって食べることなど、日常茶飯事で、その飯といっても白米などない。まかれた粟が土がまざってジャリジャリと口のなかで音した。

 

(逃げよう。ここにいたら、いつか殺される)

 

13歳になる夜、逃亡を決心した。

 

決行の日、ザコ寝でだらしなく眠りこけている家族に注意して起き上がる。

 

外は新月、手元も見えない真の暗闇。

なぜ、今日だったのか、明確な理由はなかった。ただ、もう限界だという気持ちが沸点を超えていたのだ。

 

彼はそっと戸口に向かった。

建てつけの悪い戸は、ギシギシと音が鳴る。

 

「日吉丸!」

 

ささやくような細い声がした。

振り返ると母が半身を起こしている。

 

その日は新月で内も外も真の暗闇である。

母の表情は見えない。継父のイビキが響き、妹や弟の寝息を打ち消している。

 

「おっかあ・・・、おいら」

「行きゃあすのか」

 

母が音を立てずに起き上がる気配がした。

 

「すまねぇ、おっかあ。おらあ行くで」

 

母は返事をしなかった。その代わりに、彼の手を掴むと、そこに汚れた巾着袋を押し込んだ。鐚銭(*びたせん:粗悪な金で現代の価値で2円ほど)が数枚はいっている。

 

「持ってけ」

「おっかあ」

「はよ、行け。おっとおが目さましたら。また、殴られっぞ」

 

日吉丸13歳。成長期に殴られて育ち、ろくな食事も与えられなかっために背は標準より低く、体つきは細い。が、すばしっこく体力はあった。

 

「じゃあな、おっかあ。いつか迎えにくる」

「行け!」

 

彼は戸口からすっと出ると、そのまま背後も振り返らずに走った。

田んぼのあぜ道をどこまでも走った。

泥と石の道を、ひたすら走り続ける。

行き先はわからない。

 

真っ暗な夜道を一人走っていくと、遠くではぐれ犬の遠吠えがした。

 

しばらくして夜が明けはじめ、うっすらと東の空に太陽が登るころ、

 

「おおおおおお・・・」

 

どこからか叫び声が聞こえた。それが自分の声であることを知り、彼は走りながら笑った。

 

ただ、自由であった。自分の体を自分の意思で動かすことができる、その自由をはじめて味わった。

 

時は1550年、織田信長の父の死の1年前である。

日吉丸は名古屋市の西から太陽の昇る東に向かった。

 

現在でいう名古屋市中村区から栄町方面に向かう道筋。

日吉丸が走る先には、今川義元が勢力を伸ばす三河地方があった。

 

* 紫色の線が日吉丸が逃げた線 

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当時の織田家と今川家の勢力図

 

当時、三河地方では今川家が君臨していた。

 

虐待に耐えきれず逃げた少年は三河の地に向かい、そこで小さな職を見つけた。食うために働き、野心を隠した。

 

今でいえば、中学生から高校にあがるくらいの年齢で、今川家の下の下の下くらいの武家の家で仕事を見つけたのだ。サムライとは程遠い、雑事をこなす下働きで食っていく道である。

 

親元にいる頃より楽な訳ではないが、理不尽に殴られることはなく、食事にありつける。

彼はそこでサムライになる道を必死で模索したのだった。

 

家出した4年後の1554年、さまざまな遍歴を経た日吉丸は、17歳で織田信長の小者*として拾われることとなる。

 *小者とは、戦国時代に武家で雑事をする身分の低い人間をいう。雑役に従事し、戦場では主人の馬先を疾駆する軽輩のものをいう。

 

当時、信長は身分に関係なく、実力さえあれば家中に引き入れた。

身分制度が強い時代に斬新な方法であって、現代からみれば信長の先見の明と思われているが、実は違う。

 

尾張の大ウツケは有名であった。名だたる武将の子が士官してこない。

信長、人材不足に悩んだあげくの苦肉の策が、実力主義の人材登用であったのだ。この人材不足がなければ、豊臣秀吉は生まれなかった。

 

虐待から逃げ、必死に出世を望んだ日吉丸こそ、のちの豊臣秀吉である。

 

桶狭間の戦い 1560年

 

信長26歳、日吉丸改め藤吉郎23歳・・・、彼は機転のきく役に立つ若者に育っていた。

 

織田家で藤吉郎は必死に信長に食らいついた。

彼の動向、彼の趣向、彼の好み、賢く目端のきく青年となった藤吉郎は信長の元で重宝され雑役係も兼ねた足軽に出世していた。

 

当時の足軽は下級サムライの身分である。

 

さて、一方の名門今川氏である。

 

1560年、今川義元は家督を譲り、身軽になって三河制圧に動きはじめた。三河の先には尾張がある。

 

今川勢3万余の大軍勢を率いた義元は尾張へと兵を進める。

 

一方、織田軍はすべて集めても4000人ほどの軍勢。

30,000対4,000。

 

この圧倒的な軍事力の差。勝てるはずがない。

その上に今川と織田、両者の間には人数以上の差があった。

義元41歳、信長26歳、経験値が違うのだ。

 

11代今川家当主、今川義元は優秀な男である上に身分も格式も高い。

室町幕府将軍であった足利家と血縁関係もある大名。まさにサラブレットであり、時代のプリンスである。

 

一方、隣接する尾張を統べる織田信長は、身分的には清洲三奉行の一番下であって、そもそも格が違った。

 

現代に、ムリムリ乱暴に置き換えれば、愛知県知事の今川義元と名古屋市市長の下、区長レベルが織田信長というところか。

 

この圧倒的な差に自ずと、今川軍には奢りがでてくる。

信長はここにわずかな勝機を見ていたかもしれない。降伏することを考える様子が全くない。

 

信長の父である織田信秀の死後、義元は事実上、織田家を三河地区から駆逐し尾張のかなりの地に勢力を伸ばしていた。

 

その今川が更に動いたのだ。

 

織田家中は戦慄した!

獰猛なライオンが猫に食いついてきた。

 

「多少はこっちの城を食われても、もうしょうがないで」

「だわな」

「義元のやつ、どこまで、来りゃあた」

「沓掛の城だそうだわ」

「沓掛か。ところで殿は」

 

沓掛とは、現代の豊明市、トヨタ自動車で有名な豊田市より西側、少し名古屋市寄りである。当時は今川領になっていた。

 

軍略会議を開かなければと、どよめく重臣たちを尻目に信長は遅刻していた。

そんな殺気立った重臣たちのなかへ、伝令が届いた。

 

「今川軍、大高城への補給を」

「失敗したか」

「いえ、補給に成功したようです。丸根城、鷲巣砦へと明日には進軍してくるかと」

「どえりゃあこった(訳:大変なことだ)」

 

この大高城への補給退路を断つために、織田軍は2つの城に軍を配備して警戒していた。そこを突破されたのだ。

 

一歩一歩、今川は尾張に向かって軍を進めている。

さながら、イナゴの大軍のような軍勢がゆっくりと、しかし確実に襲ってくるような恐怖。

今川に接する城を守る織田側の武将、恐れおののいた挙句に今川に寝返っていた。

 

信長のあざとい情報戦略

 

今も昔も戦争は情報戦である。

三河に接する地域で、今川に寝返る織田側の家臣。

信長は奇妙な一手を使った。

 

ニセ手紙を、それも寝返った織田側の家臣の筆跡を真似て書き、義元へ渡るようにした。

 

この手紙には織田側の情報が記してあったのだが、今川にしてみれば、寝返った武将が織田家の情報を知っていること自体がいかがわしい。

 

さては2重スパイかと疑心暗鬼に陥り、織田家の裏切りものを処刑した。

 

信長の作戦勝ちであり、これにより、その後の信長側からの裏切りは減ったであろう。また、裏切った武将から情報が漏れる心配も失せた。

 

戦国時代。

裏切りなど当たり前の過酷で残酷な世界である。

そして、この10年戦い続けてきた信長は、織田家中を掌握したとはいえ、まだ、家臣に信頼されてはいなかったし、信長自身も彼らを信じてはいなかった。

 

それは自軍の軍略会議の場所でも同じであった。

 

今川が動いた。

伝令の知らせがきたとき、信長が眠そうな顔で重臣の間にやってきた。

 

「殿、軍略会議を!」

 

柴田が進言した。

 

「殿、ここは籠城で」

「いや、殿、撃ってでなければ、いずれは今川が」

 

会議は紛糾した。しかし、のんびりした姿で信長は黙って、それを聞いている。

 

「そうか」と、信長言った。

 

いよいよ結論か、急先鋒の森可成に籠城を主張する者もいて、家中はまとまらない。

 

「皆のもの、もう屋敷に帰れ、わしも寝る」

 

信長はこう言ったのだ。

今にも、今川軍が攻め込んで来ようという日、軍略会議も開かずに家臣を家に返した。

 

(やはり、ウツケか・・・)

家臣団の心が冷えた。

 

そして、光秀はまだ、信長と接していない。

 

―――――つづく

 

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『信長の野望 大志』今川義元より

『信長の野望 大志』

コーエーテクモゲームスより発売

 

2018年に1000万本突破の人気シミュレーションゲーム「信長の野望」です。

 

今川義元

「今川仮名目録」「公家招致」という特性がありますが、決戦中は輿に乗って移動するので『輿のあゆみ』効果で、ともかく進みがノロイ。笑えます。

 

「ふふ・・・

うつけ殿よりお誘いだ。

楽しませてもらうとしようか」

(信長の野望より今川義元の言葉)

 

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*内容には事実を元にしたフィクションが含まれています。

*登場人物の年齢については不詳なことが多く、一般的に流通している年齢を書いています。

*歴史的内容については、一応、持っている資料などで確認していますが、間違っていましたらごめんなさい。

参考資料:#『信長公記』太田牛一著#『日本史』ルイス・フロイス著#『惟任退治記』大村由己著#『黄金の日本史』加藤廣著#『軍事の日本史』本郷和人著#『日本史のツボ』本郷和人著#『歴史の見かた』和歌森太郎著#『村上海賊の娘』和田竜著#『信長』坂口安吾著#『日本の歴史』杉山博著ほか多数。 

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