以下、本日早朝の「NHK NEWSWEB」より抜粋。
政府の地震調査委員会は日本周辺の海底や全国の活断層で想定される地震の発生確率について、毎年1月1日の時点で計算して公表しています。このうち、南海トラフで想定されるマグニチュード8から9の巨大地震は、今後30年以内に発生する確率がこれまでの「70%から80%」を「80%程度」に引き上げました。
以前から「南海トラフ巨大地震」という言葉はよく耳にはしている。その言葉を聞いたことが無いという日本人はいないだろう。そしてその地震を引き起こすエネルギーが地殻や地盤に蓄積されているはずだから、そう遠くない未来においてそれは確実に発生するものであると。ただ、先日の13日の夜に発生した宮崎県での「震度5弱」の地震なのだが、この地震に関しては、その「南海トラフ巨大地震」の発生確率が高まったとみられる現象ではないとも発表していた。
さて、ひんしゅくを買うことを覚悟でかなり正直に私の本音を書いておけば、まずこの「南海トラフ巨大地震」というものは、正直言って今までの私には「他人ごと」だった。
そしてその主要な理由は、私が石川県に住んでいて、太平洋側に住んでいるわけではないから、自分に被害が及ぶ可能性は小さいだろうということだった。もちろん、東京や名古屋や大阪等の大都市圏が想定を超えるような大打撃を受けたならば、政治や社会が混乱し、それに伴って食料品やその他の物資の流通への打撃は免れないし、電気やガスやお金そのものの混乱等もあるだろうから、とにかく経済的な影響は計り知れないし、最悪の事態を考えれば国家の秩序はマヒして無法地帯になるかもしれないという可能性すらあるわけなのだが …… それでも、とりあえず自分には「激烈な地震による物理的な危機」早い話が「直接的な生命への危機」というものは無いだろうと。
そんな私の「甘い考え」が大きく変化したのは、昨年元旦の「令和6年能登半島地震」での自分の身体が体験した「揺れ」だった。
私は金沢にいて能登にいたわけではないのだが、「震度5強」の揺れでも古いアパートの2階では倒壊の危機を感じ、それはまさに「恐怖」だった。そして、それまでの人生においてでも、他の地域で発生したいくつかの大きな地震のニュース映像も見てきてはいたのだが、私にパソコンという環境が与えられてからは、そんな映像や動画に繰り返し繰り返し接する環境ができたことにより、あの2011年3月11日に発生した「東日本大震災」での悲惨な映像の数々が脳裏に焼き付いた状態になってしまっていた私に、その「令和6年能登半島地震」が襲ってきたわけで …… 自分が中にいるこのアパートの中で、食器棚が倒れ、コップや茶わんが割れる音が鳴り響き、立っていられなくて柱にしがみつきながら、このまま自分のアパートが倒れてしまうのではないかという恐怖感を感じたわけなので …… その能登の大地震以降の私は、金沢で夜に「震度5弱」の揺れがあってもその夜は眠れないし、その先日の遠く離れた地域である宮崎県での「震度5弱」の地震でさえも、それから数日はなんとなく気持ち悪い感覚が残ってしまっている。
つまり、私という人間は、自分に危害が及ぶ可能性が小さいと思えるものは「他人ごと」だったわけなのだが、ひとたびその地震の危険性を身体で体験してしまったら、今度は逆に、人並み以上にそれに対する恐怖心を持った人間になってしまっているのだ。宮崎県で「震度5弱」の地震が発生した直後、私は居室の中にあったスマホや財布等を玄関先に置いてある「非常持ち出しセット」の中に入れていた。そしてしばらくは布団に入ろうという気になれなかった。たとえその地震がはるか遠くの九州での地震であってでもだ。そして、その後の数時間、私は地震のその後の展開が気になって仕方が無かったし、開催されたという「南海トラフの評価検討会」がどういう判断を示すかということも注視していた。 (^_^;)
かなり昔の話なのだが、私の保育所時代からの友人が関東で結婚してマンションを購入した頃、私のアパートで酒を酌み交わしながら言いたいことを言い合ったとりとめの無い会話の中で、マンションを買ったということで今後もずっとそこに住むということが確定した(?)ことから、私がその太平洋側で想定される巨大地震が「この100年以内に起こる確率がかなり高い」と言われている中で、「怖くないのか」と率直に尋ねたところ、その友人が「地震が起こったら、それはそれで仕方が無い」と言うもんだから、「へたすれば死ぬんだぞ」と私が言っても、「だって、起こったら起こったでどうにも出来ないじゃないか、なるようになるまでだ」と言い、さらに言えば、その地震が起こる可能性についても「別にそんなに小さいとは考えていない」ということを、彼が真面目に語っていて …… 正直言ってあっけにとられてしまったということがあったのだが、そんな記憶が、実は今でもわりと鮮明に私の脳味噌の中に残っている。
「覚悟」というものとは違うと思う。自分が大きな被害を受けることを「良し」とはもちろん思ってはいないはずだ。だが、その巨大地震が自分が生きているうちに起こる可能性が決して小さくないこと、そのこと自体については、彼は「受け入れていた」と言っても良いのだろうとは思う。
マグニチュード8から9の巨大地震が今後30年以内に発生する確率が80%程度だという言葉。もちろんこういう発表が行なわれるのは、それに対する「心構え」や「準備」というものが必要だからだ。だけど「今後30年以内」や「80%」という期間や確率は、私のような70歳近い人間にも恐怖なのだが、まだ若い世代にとっては「あなたの人生の中でほぼ確実に起こる」と言われているようなものだ。これが「●年●月●日に起こる」というのなら対処のしようもあるのだが、そんなことがわかるわけが無いという状況の中で、この「南海トラフ巨大地震」を直接受けてしまう地域に住んでいる人たちは、この「80%」という言葉をどう受け止めるのだろうか。
もちろん「きちんと準備と対策を行なおう」という意識を持つべきことなのだが …… 怖がりの私の場合には、たとえばそんな機会は今後の人生には無いとは思うのだが、「アクアライン」のような道路を走行中に地震に出会ったらあまりに絶望なので、業務命令で走れと言われても、そんな道路は絶対に走行しないと思う。
私は全然わかりませんが(笑)