いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

ネットの広告は大変鬱陶しいが、広告だとすぐにわかるものは、まだマシなのかもしれない、とも思う。


togetter.com


「ラストウォーは詐欺じゃない!」

詐欺師は自分のことを詐欺師だって言わないよ、なんて思いつつ、別に詐欺ではないだろうけど僕はやろうとは思わないゲームだな、で終わりなのですが、あらためて考えてみると、あのYouTubeの広告で『ラストウォー』という名前だけでも認知されれば、選択肢に入る可能性はあるわけです。
これだけさまざまなゲームやアプリが氾濫していると、存在そのものを知らないままサ終(サービス終了)しているものがほとんどなわけですし。

ネットの広告は、テレビの広告に比べたら、けっこうグレーゾーンのものが多い印象があって、僕はYouTubeでけっこう株式関連のものをみているのですが、そこで流れてくる広告には、「こんなの『無料プレゼント』とかに引っかかったら、延々と勝てるわけない必勝法とか売りつけようとされてうざったいんだろうな」と思うものが多いのです。
「期間限定◯◯名様のみ!すぐに枠が埋まってしまいます。今この広告を見た人はラッキー!」

……この広告、1年前くらいからずっと流れているんですけど。


fujipon.hatenablog.com


ネットのコンテンツって、CMだけじゃなくて、コンテンツ全体が広告宣伝、みたいなものがたくさんありますしね。
最近は、ブログが衰退してきたため、以前ほど「ただ売りたいだけの広告ブログ」も目立たなくなりましたが、レビューの皮を被った宣伝記事は少なくありません。

「まともに自分で試したわけでもないものを『これいいですよ!買って!」と売りつけようとしているブログが「なかなかPV(ページビュー)が増えません、稼げません」と嘆いていて、SEO対策とかを「指導」している人から、さらに搾取されているのは、なかなか香ばしくてつい頬が緩んでしまうものではありましたが、今はそんなあからさまなものでは通用しない。
訪問の押し売りの人は、買ってくれた家のどこかに印をつけておいて、仲間はそれを見て「カモ」を効率的に訪問する、というのを聞いたこともあります。都市伝説なのだろうか。


最近の「広告を見たくないユーザー」と「広告を見てもらわないと困るコンテンツ提供側」のイタチごっこには虚しくなってきます。
ニュースを詳しく見ようとしたら、全画面広告が映し出され、どこに広告を消す「×」があるのか探し、広告を踏まないように、その「×」を的確にクリックしなければならなかったり、コンテンツに見せかけた広告が仕掛けてあったり、コンテンツを見る前に5秒くらい広告を見なければならなかったり。


ここまで読んできた人たちは「お前のブログもじゃねーか」と思っているはずです。
おっしゃる通りで、僕も文章の途中に広告が入るのは興醒めだよなあ、どうせそんなに稼げているわけでもない。
ただ、このブログも結構長い期間やってきて、サグラダ・ファミリア化してしまい、広告を切り貼りしているうちに、どこをどういじったら大事なものを消さずにすっきりしたレイアウトになるのか、もうわからなくなっている。
自分で言いたくもないけれど、サグラダ・ファミリアというよりは、「ゴミ屋敷化」しているんですよね。

で、なんのかんの言っても、多少なりとも収益があると、気分が沈んで衝動的にブログを消したくなったとき、「更新しなくてもそのままにしておくだけで、多少はお金にもなるか」というブレーキにもなります。


あんな広告なんて、ユーザーにとっては邪魔なだけだし、企業にはイメージダウンにもつながるのではないか、費用対効果なんて考えずに「今はネットの時代だから」と広告費を垂れ流しているだけなのでは?と疑問にはなりますよね。

2015年ですから、もう9年も前に出た本に、こんな記述がありました。


fujipon.hatenadiary.com

「今の時代”広告”と”記事”の間に線を引くなんてナンセンスだよ。記事のように面白い広告がある。一方で、広告のように企業の役に立つ記事がある。これらはすでに分けられないものだ」
 これは、あるニュースサイトの編集者から飲み会の席で私が実際に聞いた言葉である。編集者はこう続けた。
「そもそもなぜ無料で記事を読めているのかをユーザーは考えたほうがいいよね。新聞や雑誌を読むにはお金を払う必要がある。でもウェブでニュースを読む場合お金は必要ない。それはつまり”そういうこと”なんだよ。そうとも知らずに読んでいるとしたら……まあバカだよねえ」


こんな手法も紹介されています。

 【図2−9】は、某ニュースサイトのインタビュー記事である。本文直下に「次のページ」というリンクがあり、併せて1から4までの数字が記載されている。
 これは、記事のページを細かく分けることで、ページビューを稼ぐ手法。一昔前のインターネットであれば、画像が多すぎるページ。縦に長すぎるページは容量が大きくなるため、ページを分けることはユーザーの利便性という面から見ても意味があった。
 しかし、昨今のように大容量通信が当たり前になると、細かすぎるページ分けは利便性の向上に寄与しにくく、むしろページビュー稼ぎのための上げ底の意味合いが強くなる。
 このようにページが分けられた記事は、ページが進むごとに閲覧者が減っていく。そのため、記事の結論やまとめが最後のページに書いてあると、そこまで辿り着くユーザーがほとんどいない……なんてこともあったりするから笑えない。

 こういう、無駄にページが分けられている(ように見える)記事って、今もたくさんありますよね。


こちらは、2017年に出た本ですが、広告を出す側も、けっして「費用対効果」を無視しているわけではないのです。

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 そして、デジタルの発展が疲弊度合いを高める。自殺した電通社員はデジタル部門で広告の運用をしていたが、デジタル部門特有の長時間労働について30代の電通営業はこう語る。


「以前はメディアの出稿をボーンとして、テレビの場合は『放送確認書』を出しておけばよかった。だが、デジタルの場合は良くも悪くも、色々な成果が分かるから、プランを突然変更させられたりする。『木曜日の出稿のボリュームを変えてよ』『ターゲットを変えて』とか、突然言われてそこで作業が発生する。


 テレビCMとか新聞広告は出せば終わり。ウェブは、やりながら表現を変えたりできるもの。いつまでもやり直しが利くというとことがものすごく手間を増やしている。亡くなった方もそういうことをやっていたのでは。広告にかける予算全部がテレビや新聞だった時代とは違い、予算額は変わっていないのにデジタルが増えたため労働は増えている。となれば、労働単価を下げるって話になる。下請けを常駐させたりして、トータルの単価を下げなくてはいけない状況がある」


 スマートフォンのソーシャルゲームでも、ユーザーの反応をみて、かなり緻密にゲームバランスを調整しています。
 なかには、課金ガチャの確率が公表されているものと違っていた、という「本当に詐欺じゃないか!」っていう話もありましたが。

 ネットの広告って、「やりながら反応をみてすぐに表現を変えたりできる」という即時性がメリットで(そんなに大きくない企業の、チープに見える広告ほど、手直しはやりやすくなるはずです)、今は「どこに広告を入れるか」「誰に見せるか」「どのタイミングで見せるか」を最適化する技術も進化しています。
 こんな広告だらけのコンテンツなんてうんざり、だと僕も思うのだけれど、実際にそれでユーザーが見なくなれば、こんな状況には、おそらくなっていないのです。
 おそらく、こんな広告責めのような状態が、広告を出す側にとっては「最も費用対効果が上がるやり方」なんですよね現状は。


 お金を払えば広告を消すことだってできるけれど、みんなそれを選ばない。
 僕もYouTubeに挟まれる広告にはイライラするし、怪しいものも多いと思うし、お金を払ってプレミアム会員になって広告を見る時間を節約したほうが、人生の収支としてはプラスになるのでは、とずっと考えています。
 でも、ずっと考えている、ということは、結果的に、そこで課金する踏ん切りがついていない、ということなのです。
 まあ、それほど熱心に観ているコンテンツじゃない、というのはあるのだろうけど。
 映画館で上映中にいきなりCMが入ったら、そりゃ怒るし。
 どうでもいいものを見るために、さらにどうでもいい、ときには不快にさえなるものを見せられて、イライラしている、というのは不毛の極み。


 人生全体のコストパフォーマンスを考えれば、ニュースやコンテンツにちゃんとユーザーがお金を払うのが当たり前になったほうが良いのではないか、とも思うのです。みんなが払えば、課金額もバカ高くはならない。
 実際に、NetflixやAmazonプライムビデオは、そういう仕組みになっている。


 あるいは「サロン化」して、特定の熱心なファンから集中的にお金や手間を集める、というやり方もあります。
 ただ、よほど強いコンテンツか知名度・好感度がないと、それで収益化するのは難しい。
 僕くらいであれば、登録者ひと桁、場合によっては「ゼロ」の有料コンテンツを流し続ける、ということになる。
 書いている側(というか僕)の立場とすれば、多くの人、不特定多数の人には観られたくないような内容でなければ、100円×100人に見てもらうよりは、タダでいいから1万人に見てもらえないものか、なんですよ。
 入ってくるお金が、10万、100万のレベルになれば、違ってくるのかもしれないけれど。
 そもそも、人がお金を払ってでも見たくなるコンテンツって、すごく面白いか、すごく役に立つ、この2種類しかなくて、ずっとお金を払い続けてもらえるようなコンテンツを提供できるのは「神様」くらいしかいないのではないか、と考え込まずにはいられません。

 もし広告無くせば10倍読んでもらえるのなら、そのほうがいいんだけどなあ。
 でも、「大金」じゃなくても、「好きなことで、自分が得た報酬」って、金額以上にありがたく感じるものでもある。
 お金の話だけなら、ネットで書いている時間、ずっとアルバイトしていれば、家一軒くらい建ったかもしれないけど。


fujipon.hatenablog.com

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