いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

ヨッピーさんの『記事タイトルに「PR」って入れるかどうか問題について』を読んで、考えたこと。

yoppymodel.hatenablog.com


 いや、「PR」って入ってるかどうかなんて、あんまり関係ないですよ、って言いたいところなのですが、僕も『はてなブックマーク』から、いま人気のエントリを読みに行くときに「PR」って書いてあるのをみると「あやうく地雷踏むところだったぜ!」とクリックするのをやめることがほとんどです。
 PR記事って、宣伝のための記事て、なんらかのバイアスがかかっている、少なくとも、広告主への配慮はあるはずです。
 中には、面白い記事もあるんですけどね。


 というか、実際に読んでみると、PR記事だから、他のネットで人気の記事よりクオリティが低い、とも限らない。
 企業がお金と自社名を出してネットに公開しているものですから、企業にもライターにもそれなりの責任があるし、平均的なクオリティも高めだと思います。
 それでも、「なんとなくPRを読まされるのはイヤ」なんだよねえ。なぜなんだろう?


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 実際、「PR」って書いてあると読まない、っていう人は多いみたいです。
 企業や書いている人にとっては、「PR」をタイトルに表記するかどうかで、中身が同じでもこんなに客入りが違うのであれば、「タイトルには入れたくない」のも理解はできます。
 僕がライターでも、「できれば入れたくない」よなあ。


 ただ、僕はこのエントリに関するいろんな反応をみていて、思ったんですよね。
 ここで問題視されている「PR」表記の対象は、「企業からお金をもらって、ライターが書いているもの」なのですが、それは、あくまでも「わかりやすい宣伝・広告」でしかない。
 いまの世の中には、「広告に見えない広告」が溢れているのです。


 『戦略PR』(本田哲也著・アスキー新書)という本のなかで、こんな話が紹介されています。

(「漢字力低下」という空気を、店頭でも活用する 「漢検DS」の成功例という項から)

 「漢検DS」は、年間270万人もの受験者数を誇る検定試験「漢検」の公認ソフト。遊びながら漢字を学べる、ニンテンドーDS向けゲームだ。実際の試験と同じ形式で出題される「チャレンジモード」、手軽に漢字練習ができる「トレーニングモード」、漢字をテーマにしたミニゲームを楽しむ「ゲームモード」などがある。「漢検DS」は2006年9月に発売され、瞬く間に、約30万本を売上げるヒットとなった。このヒットを支えたのは、漢字検定に興味を持つ層やゲーム好きの人たちと推測できるが、「さらに売上を伸ばすためには、もっと一般的なより多くの人たちにアピールすべきだ」と、市場の拡大を狙うキャンペーンが設計、展開された。
 このキャンペーンで、戦略PRによる空気づくりは重要な役割を果たした。
 発売元のロケットカンパニーがとった戦略は、「日本人の漢字力が危ない!」という空気をつくって、それを「漢検DS」のニーズに結びつけようというものだった。
 まず、日本人の漢字力についての実態・意識調査を実施。その結果、「日本人の85%が、漢字力の低下を感じている」「4人に1人の大人が、子供に漢字を聞かれて答えられなかった経験あり」など、オトナたちにとっては耳が痛い事実が明らかになった。
 さっそく、これらの結果をまとめ、マスコミ向けにリリースし、PR活動を展開した。パソコンで文章を書く機会が増えたため、「漢字力が衰えたなあ」と、漠然と感じている日本人は多い。こうした漠然とした不安を裏付ける調査結果は、マスコミの注目を集める。その結果、新聞、テレビなど40以上のメディアが、この調査結果を紹介。12月12日の「漢字の日」(京都の清水寺でその都市にちなんだ漢字が発表される、毎年恒例のあの日だ)にリリースしたことも大きかった。
 こうして、日本中に「漢字力が低下している。どうにかしないとマズイ」というカジュアル世論をつくり、危機感を蔓延させる。これだけでも十分に、「漢検DS」の需要につながるシナリオだが、このキャンペーンがさらに戦略的だったところは、この「空気」を見事に、ゲームソフトを購入する店頭のプロモーションまで落とし込んだ点だ。
 店頭のプロモーションは、12月14日から開始された。実は、2006年12月14日は人気ゲームシリーズ「ポケットモンスター」の新作、「ポケモンバトルレボリューション」(任天堂Wii向けソフト)の発売日だった。一部には、「なにもこんな強力なライバルが新発売される日にぶつけなくても……」という反対意見もあったという。しかし、あえてこの時期を狙ったのは、子連れでゲームショップに来店した親に対し、店頭でプロモーションを展開しようと考えたからだ。
 ここで展開されたのが、「漢字力低下」の報道素材を活用した店頭POPだ。新聞などに掲載された記事を紹介し、「漢字ブーム到来!!」「各メディアが大注目!」と大きく謳った。つまり、世の中でつくった空気を、さらにお店に持ち込んでリマインドさせる作戦だ。これをゲームショップなどの店頭に貼ることで、「そういえば、新聞やテレビで、日本人の漢字力が落ちていると報道していたなあ」と、子どもを連れた親に思い出させようとしたのだ。効果は上がった。ポケモンなどのゲームを買いに来店した顧客に対し、「このままではマズい。子どもにゲームを買うついでに、自分は漢検を買って勉強し直そう」と思わせることに成功したのだ。
 これに、「漢検DS」を模したブログパーツのネット上での配布や、テレビCMなどの施策が連動したことで消費者の興味は高まり、再び売上は急上昇。ついに60万本を突破した。このキャンペーンは、危機感をあおるカジュアル世論づくりと、店頭プロモーションでの活用がキレイに連鎖している成功例だといえるだろう。


『今治タオル 奇跡の復活』という本では、佐藤可士和さんが、こんな「下準備」の話をされていました。

fujipon.hatenadiary.com

 メディアの取材に対して、過去の素材を提供できることは、大きなメリットになる。とくに映像系のメディアの場合、使える素材がない場合は、どんなに”旬”な情報であっても、扱いは小さくならざるを得ない。
 今治タオルプロジェクトは、言ってみれば「地方ネタ」である。事あるたびに東京から取材に来てもらうことは、現実問題として難しい。また、来てもらえたとしても、そのタイミングに合わせて僕が今治に行けるとも限らない。
 プロジェクトがスタートした当初から、主な動向はできるだけ資料映像として残しておこうというのは、僕の提案でもあり、組合の意向でもあった。視察や会議、展示会の様子など、もらさずに記録しておいた写真や映像は、NHKに限らずさまざまなメディアの取材で多々活用されることになる。「伝える」ための準備は、後手に回ってしまっては間に合わない。メディアの取材に対して先手を打つことは、たとえ予算が少なくても十分対応できることなのだ。


 いまの世の中では、お金を出してCMを放送する、というものだけが「広告」ではないのです。
 むしろ、「広告に見えない広告」がかなり浸透していて、僕が「ニュース」や「いま流行しているものの紹介」だと思い込んでいるもののなかに、誰かが何かを売るために仕掛けたものがたくさん含まれています。
 ニュースや情報誌をつくる側だって、すべて鵜呑みにするわけではないのだろうけれど、ネタに困ったときに、「じゃあ、これを採りあげてみるか」という場合もあるわけです。
 

 ネットのPR記事って、難しいところがありますよね。
 テレビやラジオだったら、こちらが気合いを入れてCMごとにスイッチを消さないと「CMもなんとなく観てしまう」し、新聞や雑誌だったら、全体を眺めているうちに「目に入ってしまう」。
 でも、ネットの「PR記事」って、ユーザーの側から、能動的にクリックしないと表示されない。
 だからこそ、釣りタイトルで騙すとか、PRではないように見せかける、という手法がかなり目立つのです。


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 僕はこの記事を読んで、ヨッピーさん良心的だなあ、って思ったんですよ。
 Google風に言えば、”Don't evil.”を意識しているんだなあ、って。

――ヨッピーさんはお金を払えばなんでも書いてくれるんでしょうか…?


いや、そんなことないですよ。あくまでコンテンツありきなのでコンテンツとして相応しくないな、と思うものは断っています。


具体的に言えば素性がよくわかんない健康食品とか金融商品とか。「ヨッピーの記事見て買ったせいで被害受けた!」とか言われても困りますし、コンテンツとして成立してないただの宣伝記事だと書きたくないので。


 こういうことを意識していて、そして、実行できている人や組織というのは、本当にすごいのではないかと。
 お金が絡むと、罪悪感のハードルって、下がってしまいがちだから。
 「俺も食べていかなくちゃならないから、しょうがないよね」とか自分に言い訳をしてしまうから。


 ネットには、「素性がよくわかんない健康食品とか金融商品」や「怪しげな出会い系」「自己啓発セミナーや情報商材」を見にきた人にオススメして、批判されたら「自己責任でどうぞ」なんて言うゴミブログが溢れています。
 読んだこともない本や遊んだこともないゲーム、行ったこともない専門学校とか、なんで「オススメ」できるんだよ。
 そして、閲覧者の誤クリックを誘発するような広告の置き方が「ノウハウ」として紹介されています。
 でも、そういう人たちは、「企業からお金をもらってやっているわけじゃないから、ステマでもないし、PR記事でもない」と言うわけです。
 不快感を煽り、炎上商法で人を集める、というブログもあります。
 自分自身のキャラクターを売り物にした「ライフスタイルネズミ講ブログ」は、収入を維持するために、どんどん怪しい「お金稼ぎ」に向かいがちです。

 もちろん、ちゃんとした情報を提供しているアフィリエイトサイトもたくさんあるんですよ。


 読む人の数が基本的に違うし、あまりにもそんなゴミブログの数が多すぎるから、ということで、ルールもなく放置されているようですが、「企業から金はもらってないけれど、自分が稼ぐためならなんでもするブログ」なんて、滅亡してほしい。


 そういう「自分さえよければいい人たち」が増えれば、広告媒体としてのネットの可能性は、閉ざされてしまうでしょう。
 すでに、広告の現場では、「このネット広告は本当に有効なのか?」というのは、かなり詳細に検討されてきているようで、Googleがずっと同じようにお金を出してくれるとは考えないほうがよさそうです。


fujipon.hatenadiary.com



 僕はヨッピーさんに【PR】をタイトルにも入れてほしいんですよ。
 これからのインターネットでは、書いた人もお金を出している人もちゃんと責任を明記している【PR】のほうが、みんな安心して読める時代になっていくのではないか、という気がしていますし、ヨッピーさんのような「PRするほうもされるほうも満足できる(もちろん、100%ではないかもしれないけれど)」ライターが率先して実行することで、【PR】の価値やイメージも上がっていくのではないかと。
 最大の問題点は、こういうことって、ネットの宣伝・広告業界にとっては長期的にはプラスになるのだけれど、短期的には、そして、いまのヨッピーさんにとっては、あまりプラスにはならないというか、ページビューが減ってしまって損をする、ということなんですよね。
 
 
 個人的には、インターネット初期の面白さというのは、「なにものにも制約されない個人の価値観や感想が、校正なしで読めたこと」だったのですが、お金が稼げるようになってきたことで、「お金ほしい」しか書かれていないブログが増えてしまったように思います。
 むしろ、企業のほうが「口コミの力」を意識するようになってもいるのです。


 いまの世の中、結局、何も買わずに生きていくことはできない。
 そして、自分にとっての専門分野や好きなもの以外は、「広告に踊らされるのは悔しいけれど、広告がないと何を買っていいのかわからない」のも事実だと思います。
 僕の場合、本やゲームやパソコンなら、書店やショップで実物をみて、カタログを確認すれば、ある程度自分に合うものを見つけられる自信があるのだけれど、シャンプーとか歯磨き粉とかだと、本当にわからない。


 日常生活で触れるものは、それと明記されていない「PR」「広告」だらけです。
 そして、そんな社会がすぐに変わるとも思えない。
 すべての広告が悪いわけじゃなくて、広告のなかに「まともなもの、許容範囲のもの」と「邪悪なもの」があるだけです。
 どんなすぐれたものだって、「知ってもらわなけえれば、買ってもらえない」のも事実ですし。


「広告だから、PRだから読まない」という姿勢を僕は否定しません。
 ただ、「広告とかPRって書いてないから、フラットな感想や意見なんだ」と思い込むのって、現在はリスクが高いと思います。
 

 ちなみに、僕はヨッピーさんのこんな記事を読んで、「この人は凄いな、覚悟している人だな」と思ったんですよね。

www.e-aidem.com


 たぶん僕のこの文章をヨッピーさんが読むことはないと思いますが、言わないほうが波風が立たないであろうことを、トップランナーがあえて問題提起するっていうのは、立派だなあ、攻めてるなあ、と。


 最後に付け加えておくと、僕は長年ネットをみてきて、少なくともコンテンツについては、自浄作用というか、「結局、つまらないもの、他者を騙すようなものは淘汰されていく」と感じています。


 『国家の矛盾』という新書で、自民党の高村正彦さんがこう仰っています。

 多数決原理というのは常に正しいとは限らないが、長い期間で見ると比較的正しい。少数の人を長く騙すことはできる。多数の人を一時的に騙すこともできる。しかし、多数の人を長く騙し続けることはできない。だから、すべての先進国が多数決原理を基本とした民主主義をとっている。与党の政治家も野党の政治家も、長い時間で国民の目に耐えうる政治を目指して貰いたいし、国民にもデマに惑わされずに長い目で政治を見て欲しい。


 この「少数の人を長く騙すことはできる。多数の人を一時的に騙すこともできる。しかし、多数の人を長く騙し続けることはできない」っていうのは、インターネットにもあてはまると思うのです。


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