「黒い彗星報告集会によせて」(米津篤八)

 1月23日の「報告集会」では、崔檀悦(チェ・ダンヨル)の行動を大きな文脈から考えるための問題提起を米津篤八(よねづ・とくや)さんにお願いしました。米津さんのご厚意により、予定原稿ファイルをいただきましたので、以下に公表します。他の発言についても、この「12.4 黒い彗星★救援会」あらため「「12.4 黒い彗星★救援会」跡地」ブログにて可能な限り紹介させていただく予定です。

黒い彗星報告集会によせて

・私は崔だにえるさんとは今日が初対面なのですが、浅からぬ因縁があって、昨年の12月4日にいっしょにお酒を飲むことになっていた。ミクシィの在日コミュニティーでオフ会があって、彼も参加を予定していたわけです。
・ところが彼が顔を見せなかった。直前にメッセージをもらって、渋谷に行くとは聞いていたのですが、まさかボコボコにされて、逮捕までされているとは知らずに、私は友人たちと焼肉を食べていた。
・今日はこの場を借りて、日本人としての民族的責任を果たすと同時に、彼が苦痛を味わっていた間においしく焼き肉を食べていたという個人的な罪に対して、責任を果たしたいと思います。


・だにえるさんが逮捕されたことは、比較的早く、その日の夜のうちに知ったのですが、実際に何があったのか、その全体像をつかむまではかなり時間がかかりました。どちらが先に手を出したか、というような話は、私にとってあまり本質的には思われなかった。あのような侮辱を目の前で目撃すれば、何をしてもおかしくない。だにえるさんはよくぞあれほど冷静に行動できたものだと、驚きました。
・その中で最も強烈に印象に残ったのは、彼がファシスト集団のデモ隊の前に掲げたというバナーの文句です。


・「民族教育の権利を守るぞ!!」
・「阪神教育闘争の精神を受け継ぐぞ!」
・「祖国統一!」「우리는하나(ウリヌンハナ)」


・さて、このスローガンは誰に向かって掲げられたものなのか。言い換えれば、この訴えをどう私は受け止めるべきなのか。


・先ほど、冗談交じりに言ったのですが、私が彼に対して罪を負っているというのは、冗談ではありません。
・実は私は「連帯」という言葉に違和感を抱いています。
・昨年5月に韓国の光州【クァンジュ】で、光州民衆蜂起30周年記念のシンポジウムがあった際、在日朝鮮人の尹健次【ユン・ゴンチャ】さんがこんなことを仰っていました。「日本人は在日朝鮮人と連帯するなどという前に、自らの課題を遂行すべきだ。それは天皇制の撤廃だ。朝鮮人抑圧の元凶である天皇制を温存しておいて、在日朝鮮人と連帯することなど不可能だ」
・したがって、今日はダニエルさんの闘いに連帯するという立場ではなく、彼に告発されている被告人の立場から、彼が掲げたスローガンの意味を、私が個人的にどう受け止めたかをお話をしたいと思う。

「民族教育の権利を守る」「阪神教育闘争の精神を受け継ぐ」について

・第一に、民族教育の権利を守り、阪神教育闘争の精神を受け継ぐ、とは何か。


・阪神教育闘争とは、1948年の大阪・兵庫で闘われた、朝鮮人の民族教育を守るための闘いのことです。阪神教育闘争の契機となったのは、その年に出された文部省による朝鮮学校閉鎖令でした。朝鮮人の子どもたちを日本の学校に通わせることを命じたわけです。朝鮮人に日本の教育を受けさせることは、当時の朝鮮人にとって、皇民化教育の復活に他ならなかった。彼らは教育を通じて日本人にさせられた。解放で朝鮮人として生きられると思ったとたんに、また日本人にさせられようとしたわけです。


・武装した警官が朝鮮学校を襲い、子どもたちをごぼう抜きにして、朝鮮学校をつぶしていく。その過程で、デモ隊との衝突のなかで、金太一【キム・テイル】という16歳の少年が警察によって射殺されました。


・そのような弾圧は過去のものではありません。2007年には「車庫とばし」という微罪を口実に、大阪府警の警官隊、百人以上が滋賀朝鮮初級学校に土足で乱入しました。
・日本の小学校に警官隊が土足で踏み込むということが、ありうるでしょうか。想像できますか? そんなことが起こったら、どんな報道がなされるでしょうか。そのような暴挙を私たちは許している。そしていまも無償化から朝鮮高校だけが排除されています。


・つまり、今回の事態は日本の国家政策の一つの小さな反映に過ぎない。朝鮮学校・民族教育への攻撃が、単に右翼の跳ね上がりの行動ではなく、60年以上前から、日本の国家によって組織的・政策的に行われてきたということです。日本の敗戦前まで含めれば、朝鮮人が朝鮮人になるための、朝鮮人として生きる権利を日本は一世紀にわたって奪ってきたということになります。


・単に在特会が馬鹿だといって笑って済まされる話ではなく、彼らは私たち日本人が支えている国家権力の忠実な番犬である、という意味です。そう言う意味で、私たち日本人は明らかに在特会の立場に立っている。


・極右による一連の暴力事件をみると、彼らは権力からほとんど放任されている。それで思い出すのは、関東大震災で朝鮮人を虐殺した自警団の扱いです。


・関東大震災での朝鮮人虐殺、6000人ともいわれる犠牲者の多くが、自警団といわれる日本人の一般人によって殺されたわけですが、殺人・傷害などで起訴された日本人は362名に及んだとされる。しかし、そのほとんどが執行猶予となり、実刑となった者も、翌年の皇太子(のちの昭和天皇、裕仁)結婚、26年の昭和天皇即位にともなう恩赦で釈放された。


・例えば、福田村事件(現在の千葉県野田市)を見てみましょう。香川県から行商に来ていた日本人が、方言のために朝鮮人と間違われて殺された事件です。
・八人が殺人罪で逮捕され、三年から十年の懲役刑となりましたが、26年までには全員が恩赦で釈放されました。
・取り調べの検事は「彼らに悪意はない。ごく軽い刑を求めたい」と新聞に語り、村は弁護料を村費で負担。村民は義援金を集めるなどして、留守家族を支えました。
・犯人は村の「代表」の扱いでした。事実、中心人物の一人は、出所後、村長になりました。
・つまり、朝鮮人を虐殺することは「悪意」ではなく、虐殺は村の「代表」としての行為だった、ということです。


・自警団も在特会も、非常識な跳ね上がりではなく、国家の意思を体現して朝鮮人を襲う下手人、私たち日本人の「代表」なのです。彼らが傍若無人に振る舞っていることが許されている限り、彼らは国家の意思を体現する、私たちの「代表」として考えなくてはならない。

「祖国統一」「우리는하나」について

・では、次に、「祖国統一」「ウリヌンハナ」とは何か、考えてみましょう。


・私は、分断こそがこのような日本国家・極右の横暴を許しているという面があると思っています。分断とは何か。単に国が南と北とに分かれているという意味ではありません。分断には思想的な背景がある。思想的対立が分断につながったという点を見過ごしてはならない。その対立点とは、日本の植民統治に対する態度です。すなわち、親日か、反日か。


・極右グループはしばしば「不逞鮮人」という言葉を使っています。「不逞鮮人」とは誰のことか。単に「けしからん朝鮮人」という意味ではない。植民地支配に抵抗する、朝鮮の独立をめざす、朝鮮人として生きようとする朝鮮人を、戦前の日本の官憲は「不逞鮮人」と呼びました。


・再び関東大震災の話になりますが、1923年9月3日に警視庁がこんな公告を出しています。
「鮮人の大部分は順良にして、何等凶行を演ずる者無之に付、みだりに之を迫害し、暴行を加ふる等無之様、注意せられたく。又不穏の点ありと認むる場合は、速かに軍隊、警察官に通告せられ度し」


・治安当局は朝鮮人を「良鮮人」と「不逞鮮人」に区分けし、不逞鮮人は徹底して弾圧し、殺していきます。つまり、朝鮮人の抵抗を押さえつけ、従順な朝鮮人をつくっていくための恫喝の方法として、この「不逞鮮人」「良鮮人」の2分法が使われたわけです。


・アメリカの歴史学者、ブルース・カミングスは「朝鮮戦争の起源」という本で、こう行っています。
「私からすれば韓国の警察と軍隊が日本の手先をしていたいわば反民族的朝鮮人の手に握られていたことこそ、北に対する決定的な挑発であったように思う。韓国軍の参謀や指揮官のすべてがかつての帝国軍人であり、例えば38度線に配置されていた韓国第一師団の司令官金錫源などは、帝国軍人〔陸士第27期、陸軍大佐〕として特別に編成された金日成討伐部隊の隊長を務めた人物であった。」


・うんと単純化していえば、韓国、南は、親日派が反共主義の衣を被ってアメリカと合作してつくりあげた国家であり、朝鮮、北は、日本が親日派を使って討伐しようとした「抗日パルチザン、すなわち、あえて言うならば「不逞鮮人」がつくった国家です。


・いま、日本は国を挙げて、朝鮮民主主義人民共和国をおとしめ、馬鹿にし、差別し、無視する政策をとっています。これは政府の朝鮮制裁もそうですが、マスコミ報道も、さらにはいわゆる民主派、左翼でも同じです。
・しばしば護憲派に属する人たちがネットなどで、「このままでは言論の自由もない、北朝鮮みたいな国になっちゃう」などと、平気で言う。しかし、彼らは朝鮮民主主義人民共和国のことをどれだけ知っているのか。自分たちが批判する、マスコミ報道や日本政府の見方などを通じて、ばくぜんとしたイメージを抱いているに過ぎません。


・朝鮮は、世界的に見れば、とくにいわゆる第三世界の諸国の中では、それほど異常な国だとは、私には思われない。すくなくとも何度か訪問した経験からいうと、日本人がここまで熱を上げて目の敵にするのが不思議に思えます。このような印象は、私だけのものではなく、直接訪問した人たちにほぼ共通した感想だろうと思います。
・キューバやベトナムは日本では比較的人気がある国ですが、朝鮮とそう大きな違いがあるとは思えません。キューバやベトナムも何十万人単位で亡命者を出しています。それでも朝鮮に対するような一方的な非難の雰囲気は見られない。
・朝鮮にも、良いところもあれば悪いところもあるでしょう。しかし、日本やアメリカの帝国主義と闘った歴史や、パレスチナ解放運動に国を挙げて連帯している側面をまったく無視して、朝鮮語の文献一つ読むことなく、無責任な非難をすることで、実際に在日朝鮮人が傷ついていることを、忘れてはならないでしょう。


・私が思うには、朝鮮バッシングの効果は二つあると思う。
・一つは、「朝鮮は異常な国家である」という図式をつくることで、朝鮮人に対する日本人・日本国家の責任を無化しようとすること。
・もう一つは、朝鮮をおとしめ、自分の政敵・論争相手にそのイメージをかぶせることで、自分の主張の優位性を確保しようとすること。


・私たちは朝鮮人をいまだに「よい朝鮮人」と「不逞鮮人=悪い朝鮮人」に恣意的に分けることで、彼らの人権を奪っています。そうした分断を許してはならない。黒い彗星が訴えた「祖国統一」「ウリヌンハナ」の意味はここにあると思います。