ガトガトガトームソン

昨日は日がなジュゴン先輩と呼ばれていました。お昼休みに仮眠室で寝転がっていただけの僕に落ち度はありません。でもかろうじて哺乳類ではありました。あまつさえ絶滅危惧種でした。だとしたら保護してくれるのは誰なのか。わたし待つわ。いつまでも待つわ。でもそろそろ急いでほしい。透き通るような白い肌が目に眩しい、ポニーテールの似合うおっとりした性格の、でも実はドSですよという女性は特に急いでください。というのはさておき、こんな姿になるまでの僕は本当にとてもかわいらしい生き物でした。実話です。「箱の中身は何でしょね?」ゲームで得体の知れないぬるっとしたものを触った時のような顔はやめてください。昔はあまりの愛らしさゆえにカリメロと呼ばれた時期もありました。髪型はいわゆるマッシュルームカットというかおかっぱ頭で、眉毛にかかる程度の長さで前髪をぱっつり切り揃えられていました。バナナマンでいうとマンのほうでした。中学生になるまで母の手によるそれは続きました。当時の田中家を知る者は言います。お世辞にも裕福とはいえない暮らしぶりだったと。爪に火を点し続けるあまり、家族全員の指という指が黒ずんでいたと。散髪屋自体をまず知りませんでしたし、洋服は姉のお古がデフォルトでした。スカート以外、つまり毛糸のパンツも例外ではありません。それらいくつかの事情が複雑に絡み合い、当時は女の子に間違われること風の如しでした。身長があまりに低いせいで、時には中つ国の命運を託されもしました。指輪がどうとかサウロンがどうとか言われても。「僕はホビット族ではありません!」と否定すること林の如しでした。人見知りの激しさゆえに姉のそばを離れられず、くっついては引っぺがされること火の如しでした。姉やら姉の友達やらが遊んでくれない時は部屋に篭り、本を読み耽ること山の如しでした。中でもウェルズの「宇宙戦争」を子供向けに翻訳されたやつが大好きで、何度も繰り返して読みました。幼稚園に通いはじめても同い年の友達ができず、むしろからかわれては泣かされていました。「チンチンついてへんのとちがうか?」「悔しかったら見せてみ?」 これがトラウマとなり僕のポニョは今もポニョのままです。そんなの無理?壊れちゃう?変になっちゃう?何すかそれ?ハンカチ?持ってませんよそんなの。涙と鼻水を拭うのはいつもお古の袖口でした。かぴかぴでした。あの日も照英(仮名)およびその一味に囲まれた僕は泣いていました。からかわれるわ小突かれるわ髪の毛を引っ張られるわで、なされるがままでした。だって照英(仮名)には逆らえまい。彼の体つきは超幼稚園級でした。そして顔つきは大人のゴリラそのものでした。それを最大限に生かすことで彼はキリン組を支配していました。ゴリラなのにキリン組?などと口にしようものなら半殺しですよんまじで。キリン組は猿の惑星と化していたのです。開放されるやいなや家に帰り、二段ベッドの下の段で布団に包まりめそめそしました。悲しかったし、悔しかった。戦隊ヒーローがプリントされた靴は当時の人気アイテムのひとつで僕はそれが欲しくて欲しくてたまらなかったのに、クリスマスの次の日、靴下には何も入っていなかった。次の日も次の日も、正月を過ぎても空っぽのままだった。サンタクロースはいなくてもサンタクロースのフリをしてくれる人ぐらいはいるだろう。そんな希望は弾け散り、そして戦隊ヒーローも僕の前には現れなかった。いつまで経ってもアイツらをこらしめてくれなかった。求めよ、されば与えられん。そんな言葉は嘘っぱちだった。しばらくしてパート先のスーパーマーケットから母が帰ってくると、僕は爆発した。びいびい泣きながら今まで我慢していたなんやかんやを吐き出すと、母は頭を撫でながら「ごめんな」と謝り、ちょっと困った顔をしながら泣き止むまでずっとそうしてくれたのち、ホットケーキを作ってくれた。3時イコールおやつの時間というのは別世界の法則だった。少なくとも田中家では3時は3時以外の何者でもなかった。2時と4時の間でしかなかった。当時の田中家を知る者は言います。カレーが食卓に並んだが最後、最短でも1週間はカレーが続いたと。姉の友達の家で夕食をごちそうになった時、おかずの多さに思わず「今日は誰の誕生日?」と口走ったところで誰も彼を責められなかったと。だからテーブルに置かれたホットプレートの上に存在している、キツネ色の丸い物体がいったい何なのかすぐにはわからなかった。ただ生まれて初めて生で見る、甘くて香ばしいニオイがするそれを凝視しまくった。「これで今日は許してな」みたいなことを母は微笑みながら言ったと思う。ついさっきまで泣いていたことも忘れて夢中でもぐもぐほおばった。あっという間になくなった。とてもおいしかった。おやつを食べているという優越感のようなものも含めてそう感じたのかもしれないけれど、本当においしかったなあ…という、まあ、なんというかしょっぱい思い出です。おかげで今でもホットケーキありきの日々を送らざるをえません。落ち込んだりするともう、ホットケーキを食べずにはいられないという。合コンからの帰りしなにジョイフルへ寄ってしまうのもそう。つまり僕のおなかには悲しみが詰まっている。これだけは絶対に忘れないでください。


「書くために思い出してるんじゃないよ」
「そうなの?」
「思い出すために書くんだ、いつだって」
「ふうん」
「じゃあ、オッパイ触っていい?」
「…やだ」
「チッ」
「…だって、先に田中さんの触りたいんだもん」
「!?」

とある飛空士への追憶

とある飛空士への追憶