近況

 『建築ジャーナル』2024年7月号の特集「地域研究「水俣」」に寄稿いたしました。私は「〈傷ついた場所〉の風景 水俣病の記憶を継承するために」と題する論考を書きました。のんびりとしたエッセイで、外から来たひとにとっては水俣の海は美しい姿だけが見えるという話です。その「目に見えるものの向こう側にある、水俣病の被害の歴史をどのように感受できるのか」をテーマにしています。昨年の秋に実施した水俣の貝拾いの企画についても書きました。

 この特集号は、現在の「地域」としての水俣を書いています。執筆者は「今の水俣の人々」に関わっており、「風光明媚で美しい水俣」や、「水俣病の負の記憶を忘れたいという住民たちの切実さ」が、何度も言及されています。そうしたなかで、「どうやって水俣病の記憶を継承し、次の世代に伝えていくのか」の模索が、それぞれの立場から描かれています。「水俣病の歴史」ではなく、「水俣」についての特集になっているんですが、こんな企画を建築ジャーナルが出してくれたのはとても嬉しく思います。建築雑誌なので写真がたくさん載っているのも、とても良いです。白黒ですが、少しでも今の水俣の風景が伝わればいいな、と思います。

 実は同じように「水俣」という地域を捉えようとした企画が、みんぱく(国立民族博物館)でもありました。研究者の平井京之助さんが中心となった「水俣病を伝える」です。美術手帖に良い紹介記事がありました。

bijutsutecho.com

 この企画では、フィールドワーカーとして水俣を訪れた平井さんが、自然豊かで美しい水俣に出会い、そのなかで暮らし、水俣病を伝える活動をしている人たちと出会っていくストーリーが展示になっています。そして、水俣病で家族を亡くし、自分も被害に苦しんだ大矢ミツコさんの人生まるごとが描かれ、訪問者は平井さんの目を通して、ひとりの人間としてのミツコさんと対峙することになります。

 私は、この展示は「ホームビデオのようだ」と思います。手ブレして下手くそな映像なんだけど、こっちを向いている被写体の人々はみんな笑いかけてきます。その顔は、私がふだん水俣で会っている人たちの顔でした。「水俣」(の一部分)をそのまま大阪に持ってきてしまったような、そんな不思議な展示です。人と人、人と自然のパーソナルな関係を通して、水俣という地域を浮かび上がらせていると、私は思いました。

 この展示は賛否両論で「水俣病が伝わらない」という批判もあるようです。それは、いわゆる「過去の水俣病の歴史のイメージ」が、この展示にはなかったということだろうと私は理解しています。たしかに、そういう水俣病についての啓発活動のための展示ではありませんでした。そして、私自身、もう水俣病の啓発活動をするつもりはなく、地域で暮らす人たちとどうやってつながっていき、何ができるのかを考えるようになっているので、「もしかしたら10年前の、水俣に来る前の自分なら、そう感じたかもしれない」とは思いました。

 結局、私はずるずると水俣にいて、今の水俣の気分のようなものに飲まれているかもしれません。でも、それでよかったんでしょう。不思議と、国内外を問わず、地域で活動している人たちと話がすっと噛み合うことがあり、そういう感覚を私に教えてくれたのが水俣だと思っています。地域を語る言葉と感性を少しずつ習得し、今も学んでいるところです。

近況

 2024年4月1日付で、東北大学文学研究科倫理学研究室に准教授として着任いたしました。すぐに業務が始まり、忙しく働いているうちに3ヶ月が経過していました。来た頃には寒々しい風景だった仙台の街も、緑に萌える初夏となりました。ときどき、クマが大学の敷地内に出没したというメールが来てビビります。カモシカも駐車場のあたりをうろうろすることがあるらしく、野生動物がたくさんいる自然あふれるキャンパスです。

 5月に発売された岩波書店『世界』に小田原のどかさんとの対談が掲載されました。水俣とアート、記憶の継承活動などについてお話ししました。宇野重規さんが、朝日新聞の論壇時評で取り上げてくださったそうです。

 5月29-31日にエストニア・タリン大学で開催されたEuropean forum for restoraitve jusitceのconferenceで、ポスター発表をしました。水俣で実施したプロジェクトの報告をしました。今回は、ウクライナ戦争をはじめとして、紛争地域で活動している人たちの実践報告がいくつもあり、修復的正義について何ができるのかについての議論が起きていました。切迫した状況でも、対話の可能性を拓き、未来を信じて新しい取り組みを続けていく声がありました。私はいつもこの学会で「諦めない」「変えることを続ける」ということの重みを学んでいるように思います*1。

www.euforumrj.org

 6月8日には、東北大学で「関係論的価値の謎」という小規模なワークショップをやりました。いろんな国・地域の出身者が参加してくれたので、地域の歴史的・文化的・政治的文脈に沿って自然観を考慮することについて議論しました。最近は私は環境について「言葉にならない価値」をどうやって表現していくのかに関心があります。

www.sal.tohoku.ac.jp

 6月29日には、沖縄・琉球大学で日本被害者学会で報告「被害者性を持つ地域と記憶の継承 水俣地域を事例にあげて」を行いました。沖縄で初めて被害者学会が開催され、沖縄という地域の文脈の上で、被害者の問題が議論されました。被害者学とローカリティの問題はずっと気になっていたので、参加できて本当によかったです。沖縄での開催は、梅雨や台風の心配、交通機関の配慮、オンラインとのハイブリット開催等、準備が大変だったそうで、スタッフの皆さんに心から感謝しています。

 そして、日本の被害者学会は久しぶりの参加でしたが、登壇者、参加者ともにジェンダーバランスが良くて、とても快適でした。ジェンダー・セクシュアリティの観点からの議論も活発で、男性の性被害者の問題もしっかり取り上げられていて、ここ10年ほどの日本の被害者学の変化を感じました*2。修復的正義の話も関心を持っていただけてよかったです。

www.victimology.jp

 そういうわけで、いろいろと活動をしております。9月はヨーロッパ犯罪学会で報告予定です。今年はルーマニアのブカレストで開催予定です。

www.eurocrim2024.com

 

*1:勤務を始めていろいろあったのですが、投げやりにならないで頑張っていけるのは、こういう場所があるからだと思っています。

*2:沖縄開催ということで、今回は特別に、ということもあったかもしれませんが……

近況

 2月は水俣にいました。昨年から、長く滞在するようになり、「調査」という形で質問をして現地の情報を得ることよりも、親しい人たちと近況をお話しする機会が増えました。私はずっとセネガルの話をしていました。

 経済発展を心から願い、貧しい暮らしから脱しようとするセネガルの人たちと、高度成長期に公害が起きた水俣の地がオーバーラップして見えることがたびたびあります。いま「環境問題どころではない」という人たちのリアリティに直面して、改めて水俣の歴史に向き合っています。水俣とは何度も出合い直すし、なにかあれば水俣を思い浮かべるけど、私は全然地元の人ではなく、ほかのところに行ってしまう研究者であるということを、今も考えています。

 そんな繊細な話はさておき、研究者としてセネガルについて知りたいならば、やっぱりフランス語は必須なのでコツコツと勉強を続けています。やっと「猫がテーブルの上にいます」と言えるようになったのですが、先は長いです。長いスパンでやっていこうと思います。

 現代思想2024年3月号の特集「人生の意味の哲学」に寄稿いたしました。私は「死者倫理の視点から「人生の意味」を考える――遺された者に何ができるのか」というタイトルで、第一次世界大戦の兵士の弔いについて書いています。2020年2月にフランスのアラスという街で、塹壕戦の跡地をガイドさんに案内してもらいました。そのときの経験をもとに、亡くなった人の生に、遺された者が意味付けすることの倫理性について論じています。

 三重でフリースペースなどを運営する「ひびうた」が出す雑誌にエッセイを寄稿しました。「ひびうた」は、もともと障害等を持つ人たちとともに暮らしていくために、街に居場所を作る活動をしてきました。そのなかに、地域で暮らす人たちと本を作ることを目指す「ひびうた書肆室」があります。

 文学フリマなどの手作りの本の発行・頒布は、東京を中心とした都市部では盛んになっています。でもそこには地方格差があります。地方にいる人たちは、イベントに参加するためにも旅費を払い、重い荷物を持って、東京や大阪に行く必要があります。それに対して、「ひびうた書肆室」は地域の人たちが、地域の人たちのために、地元で本を作って買うような活動を目指しているそうです。

 今回創刊された「まちうた」も地元の人の原稿を優先して掲載しています。そんななかに、私もお邪魔して、「ゆめみる同人誌」と題する話を書きました。私も神戸の山側にある小さな街で、ジャスコのコピー機で同人誌を印刷していました。その頃の話です。

hibiuta.stores.jp

 

近況

 年明け早々に西アフリカのセネガルを訪問しました。大学院で人類学を専攻する友人を頼って渡航したのですが、現地で暮らし日本からの在住者にとても助けられました。実は大学院の修士課程は途上国の開発支援を研究する人の多いところで、私も関心はあるもののその頃は性暴力の問題を考えるので手一杯でした。まさか、今からアフリカに関心を持つとは夢にも思っていませんでした。

 行くと決めてからわかっていたことですが、セネガルに惹きつけられたし、今後もアフリカついて学んでいきたい気持ちになりました。「もう40を越えてしまった」という思いと、「まだ40過ぎだぞ」という思いの間で揺れます。言語も、フィールドワークのスキルも全く足りないですから……それでもやれることはやって、悔いのない研究者生活を送っていきたいです。

 さて、筑摩書房から嬉しいお知らせもいただきました。拙著が増刷になったそうです。五刷目です。出版から2年が経つにもかかわらず、今もお手にとっていただけことがありがたいです。時事的な本ではないので、末長く読んでいただけるといいなあ、と思っています。

 東京人権啓発センターが発行する「TOKYO 人権」の第100号に、私のインタビューが掲載されています。表紙がでかでかとした顔写真で気恥ずかしくはあるんですが、とってもよく写してもらいました。写真家の方がすごく上手だったので楽しく撮影できました。

www.tokyo-jinken.or.jp

 内容は、多くの人権センターの記事とちょっと毛色が違い、挑戦的な内容になったようです。担当者が頑張ってくれました。読んだ方からお仕事の依頼があったりして、ありがたい話だな、と思っています。

 集英社の「すばる」に翻訳者の小山内園子さん、作家の井戸川射子さんとの対談が掲載されています。

 翻訳者のくぼたのぞみさんと斎藤真理子さんの書簡集『曇る眼鏡を拭きながら』について、お話ししました。私は文学も翻訳も門外漢なので恐縮ですが、いつも通り自分の話をしています。また、私にとって文章を書くことは、自分の奥底に沈潜して言葉を探す作業なのですが、翻訳の仕事は周囲を見回して風景を観察し、文脈を掴みながら進めていく作業だということがわかったことが、とても興味深かかったです。

あけましておめでとうございます

 昨年は、ベルギーから帰国して、日本社会に最適応するために四苦八苦してました。今もあまりうまくいっていないところはありますが、生活面は立て直しができたかな、と思います。今後の予定がまだ不確定なことが多いのですが、今後も研究を続けていきたいと思います。

 ここ数年は、環境修復的正義(environmental restorative justice)の研究が主になっています。環境破壊において、刑事罰以外のアプローチでどのように処遇・抑止ができるのかが課題です。水俣での調査は継続していて、社会運動史や地域で活動している人を中心に研究しています。今は、集団的記憶の問題として、水俣病の記憶の将来世代への継承が大きなテーマとしてあります。去年に引き続き、今年も資料調査を中心に進めていきます。

 年末に研究倫理についての記事を書いたので、元旦から別の方の記事で言及いただいています。以下です。

fromdusktildawn.hatenablog.com

 私の前回の記事は、大学の哲学倫理学アカデミアの内部的な話なので、おっしゃるように外部の方は「そんな話もあるんだな」程度で気にしなくて構わないと思います。日本でもここ数年で、研究倫理の審査が急激に厳しくなり、各分野でこういう議論が増えています。哲学の学会ではまだ研究倫理のガイドラインや審査基準がほとんど定められていないこともあり、今後の課題になると思います。ひとつの時代の変化ではあります。

今年の三冊

 年末なので久しぶりに、今年読んで印象に残った本を紹介します。

一般書編

 哲学のアプローチで、DVや共依存について研究する小西真理子の新著。DVから逃げない(とされる)被害者たちの側に立ち、なぜかれらが暴力的な関係にとどまろうとするのかを掘り下げて考える。小西は、どこまでも当事者に寄り添い、かれらを擁護する。DV被害者支援の現場で、一度は読んで議論してほしい一冊です。この中で私の本も批判されていて、私は一部は立場が異なるが、いろんな意味で「沈黙を破る」本だと思う。

 滋賀に魅せられた写真家のエッセイ集。滋賀県立美術館で、著者の今森光彦の写真展を見たのがきっかけで読んだ。ちょうど夏休みで子どもたちが虫の写真に歓声を上げていて、とても楽しそうでした。最初は琵琶湖を対象にはしておらず、滋賀の山の人々を撮っていて、そのうちに漁師と出会って水辺の写真を撮り始めたという経緯が印象的だった。人々の暮らしの写真が生き生きとしていてとてもよかった。

 絶滅したと言われるニホンオオカミについて書いた本。著者が最初は軽い気持ちでこの話題に足を踏み入れ、ニホンオオカミの目撃者の話を聞いているうちに、どんどんと深みハマっていく。まるでミステリ小説のような話だった。最終的にはある生き物が「絶滅した」と人間が宣言するという行為そのものへの疑念に繋がっていく、面白い本だった。

漫画編

 いま、一番楽しみな漫画。フィギュアスケート選手の漫画は多いのだけれど、この作品はノービス(13歳以下)の女の子たちの様子を丁寧に描いている。主人公・いのりはオリンピックに出ることを目指しているが、そこに辿り着くまでは無数の「才能ある子どもたち」のなかで競い会うことになる。挫折や経済的問題などで途中でやめていく子たちの小さな物語も拾っていく。ルールの解説も詳しいのでフィギュアスケートの入門書としても良いと思う。

 サッカー漫画だが、従来の選手たちが協力しあって勝利を目指す価値観を全否定し、個人が才能を突出させることでスーパープレイに至ることを是としている。先日、ネットである人が成功する鍵になるのは「環境か、努力か」という議論が起きていたが、この漫画では環境は整えられ全員が努力している中で、誰が勝つのかという思考実験的な面白さがある。

 1988年から連載しているスーパードクターKシリーズの最新作。劇画タッチのイラストで時代を思わせるが、内容は監修がしっかりしていることもあり医療の最新情報が盛り込まれている。2000年代前半のK2では明らかに臓器移植の推進が標榜されていたが、その後、再生医療の推進へと舵を切っている。現在は「若者たちの育成」がテーマで、新しい医療教育のあり方が模索されている。ネットでの無料公開がきっかけで、思わぬヒットとなった作品。

その他

www.kitaro-tanjo.com

 こちらもネットの口コミで爆発的に人気を博した「ゲゲゲの鬼太郎」の最新作映画。サラリーマン水木と鬼太郎の父・ゲゲ郎の物語。主人公の水木は、水木しげるの実人生と重ねられ、南方の戦地の帰還兵という設定だ。日本の明るい未来を描く戦後復興の陰で、犠牲にされてきた者たちを妖怪と重ねながら物語が展開していく。「日本人」は決して、その過去を忘れてはならないという明白なメッセージが込められていた。この映画は、日本の戦争責任を問う作品でありながら、楽しい妖怪バトルのエンターテイメントになっていて、それを両立させたところが面白いと思う。

永井均の発言について

 永井均が、あるトランス差別に擁護ともとれる発言をして、ネットで話題になっている。発端は、永井の元教え子の谷口一平が、自分の投稿論文につけられた査読コメントをSNSで公開したことだ。谷口の論文はトランスジェンダーをテーマにしているが、査読の結果、不採用となった。しかしながら、谷口は査読者が、哲学研究者ではなくジェンダー論者であったことを批判し、不当な査読であったと訴えている。

togetter.com

 谷口の主張の内容には踏み込まないが、これらの発言を一般論として「査読への不満」として理解する。トランスジェンダーをテーマにした論文であれば、どんなジャーナルであれ、ジェンダー論者が査読を担当することは十分に予測できる。そのために、学際領域を扱う哲学研究者であれば、先行研究を十分に精査し、査読者を説得できるよう先回って論を組み立てる必要がある。私自身、学際領域にいるし、うまく書けずに査読者に全然内容を理解されず、不採用になったことは何度もある。なので、論文投稿者としては谷口に同情はするが、査読とはそういうものなので、書き直して別のジャーナルに投稿するか、読み物として査読なしで公開するしかないと思う。査読制度に対する不満は私もあるが、こちらが査読付き論文を通したいと思うならば、そこに合わせて書くしかない*1。

 それはともかく、話が大きくなったのは永井均が積極的に谷口論文の公開を求める旨の発言をしたからだ。永井は谷口を尊敬しており、今回のネットの騒動は谷口論文のPRになったと公言している。その永井の態度に対し、トランスヘイトを助長するふるまいだとして批判があった。永井はその批判に対し、次のように述べている。

谷口氏と私の間には自認問題に関して対立があり、それを学術的に議論したいと思っているだけです。(中略)ツイッターを読まれるだけでもわかると思いますが、私の関心事はジェンダーに関して「も」成り立つ自認と同一性の関係の問題で、それを議論したいだけです。*2

 この永井の発言から読み取れるのは、トランスジェンダーの問題を、脱政治化して抽象的な哲学的な議論を展開したいと言う旨の主張である。つまり、生身のトランスを視界から外して、自分たちの知的好奇心から「自認と同一性の関係」を論じる素材としてトランスジェンダーのトピックを使いたいというのである。

 こうした態度は、哲学研究者には度々見られる。自分たちは社会学者が心理学者と違って、あくまでも哲学的に議論をしているとして、それまでの他分野での議論の蓄積を無視して「新しい見解」を発表する。しかしながら、「新しい見解」は過去の先人の営みに敬意を払った上で生まれる。他分野の研究者との交流なしに、学際領域での哲学研究は成立しない*3。

 また、この手の議論は今に始まったことではない。たとえば、水俣では市井ー最首論争が起きた。これは1983年に発行された『水俣の啓示』の上巻に掲載されている。

 哲学者の市井三郎は、1976年に色川大吉を団長として発足した不知火会総合学術調査団のメンバーとして、水俣での研究を始めた。彼は来水当初は水俣でのフィールドワークを計画していたが挫折し、哲学論文を書くことになった。そこで市井は、当時、興隆してきていた社会生物学の中にある「人間淘汰」の考えをを批判的に取り上げた。不条理な苦しみのなかでまさに淘汰されていく水俣病患者について考えることで、社会生物学的な考え方の誤りに気づき、人の生きる価値を生産性で捉える見方を転換できるとの提起を試みたのである。しかしながら、この水俣病患者が今、淘汰されていっているという市井のものの見方は、患者やその家族、地域の人々に衝撃を与えた。その中で最首悟は、水俣病患者の苦しみは人為的に加害者(加害企業)によって与えられたものであることを指摘し、市井の脱政治的な哲学論文を批判した。

 この市井ー最首論争は、川本隆史や鬼頭秀一に取り上げられ、哲学倫理学分野の課題として再提起された。つまり、生身の身体を持ち、苦しんでいる人々を前にして、哲学研究者が何をすべきかという問いである。哲学研究者の知的ゲームのために苦しんでいる人々を素材することは倫理的に許されない。そのことがわからない哲学研究者は、あくまでも論理の世界でのみ議論を展開し、人々にかかわる学際領域に踏み込まなければいい。

 さて、永井はこのような哲学倫理学分野における、「現場との葛藤」「人々の苦しみにどう向き合うか」という課題を知らなかったのだろうか。そんなわけはないだろう。彼は哲学研究者として名を馳せ、大学教員の仕事をやってきた。市井ー最首論争の経緯も知っているはずだ。知っていてなお、人々の苦しみを無視して、抽象的な議論を展開する欲望をあからさまにしているから、私は批判的にこれらの発言を言及せざるを得なかった。永井個人の問題ではなく、今なお哲学倫理学分野に残っている問題として指摘したい。

*1:そして、私は国内学会の査読付き論文は通せなかったので、英語で書いて国際ジャーナルで通した。

*2:発言元は次のツイート→ https://x.com/hitoshinagai1/status/1740699313880318324?s=20 https://x.com/hitoshinagai1/status/1740701249467732398?s=20

*3:他方、先行研究集めに終始して、新しい見解を生むことなく、人の研究を批判ばかりする態度も良いとは言えないだろう。私はそういう研究者を他山の石としたい。