『「食い逃げされてもバイトは雇うな」』(上)(下)を読んで思ったこといろいろ


とても面白い本でした。タイトルの付け方もさることながら、本の構成が見事です。




上巻の『食い逃げされてもバイトは雇うな』は会計の基本的な考え方の紹介といった感じでしたが、下巻の『「食い逃げされてもバイトは雇うな」なんて大間違い』は著者の思いが込められた、熱い本でしたね。

またこれらの本はいずれメルマガの方で紹介すると思います。


今日はこの本に触発されて考えたことを、脈絡なく書いてみようと思います。

家計簿をつけることの効用


この本では「金額重視主義」という言葉が頻繁に出てきます。

「金額重視主義」というのは、たとえば「前年比売上50%アップ」という言葉を見たときに、100万が150万になったのか、それとも1億が1億5000万になったのか、というように、「金額」で理解しようとする考え方です。


で、家計簿の話。


私は今年の4月からずっと家計簿をつけてるんですが、家計簿をつけるメリットとしては具体的な収支が分かるとか、将来の予測がたてやすいとかいうことがあると思います。

これらのメリットに加えて、「金額重視主義」という考え方が自然と身につくというメリットもあると思うんですね。

というのは、家計簿をつけるといくら出て行っていくら入ってきたという「金額」で把握するので、店頭で値札に「何%引き」というシールが貼ってあっても、「それはお得」と考える前に「結局財布からいくら出て行くのか」を考えるようになるのです。


ビジネス書によく家計簿をつけろと書いてありますが、たぶん上に書いたような感覚を身につけるためというのが一番大きな理由かなぁ、と思いました。

国家という文脈における無駄って何?


私の財布の話から一気に国家の話に飛びます(笑)


よくマスコミが行政に対して「160億円の無駄遣い!」とか言うのを聞きます。

しかしその話を聞くたびに、「無駄って何?」そして「無駄遣いって悪いの?」と思うのです。


一般にお金に関して「無駄」という場合は、「出す必要のないお金を出した場合」であるように思います。でも「出す必要がないかどうか」の判断は人によって変わってきます。

奥さんからすれば、旦那が趣味につぎ込むお金は「無駄」なんでしょうが、もちろん旦那さんは「無駄」とは思いません。

この議論をそのまま国家にも当てはめられるとは思いませんが、マスコミは一体どんな基準をもって「無駄」と判断してるんでしょうね?


次に「無駄遣いって悪いの?」という話です。


私はマクロ経済学をまともに勉強したことはありませんので詳しい理屈は知らないのですが、マクロ経済学的には「無駄遣いは経済にとってよいこと」ということになると思います。


まず、経済はお金が社会をぐるぐる回ることで動いています。お金がぐるぐる回るのが加速すると好景気、あまり回らなくなると不景気と呼ばれます。

今の日本は不景気といわれていますが、これは銀行が貸し倒れリスクを恐れて前よりお金を貸さなくなり、企業の方は運転資金がなくなるから倒産が増え、さらに消費者も将来の不安から財布のひもを締める、という社会をお金が回っていない悪循環に陥っている状態です。

逆に言えば、銀行がどんどん貸し出して、企業がどんどん設備投資して、消費者が金を使いまくれば=無駄遣いをしまくれば、景気はよくなるわけです。まあ、この状態がさらに加速してしまうとバブルになるんですけど。



そして国家が無駄遣いをすればそれだけ民間に資金が供給され、経済成長を促進させます。これの最たるものが、いわゆる「公共事業」ってやつですね。

不景気の時は失業者が多い+工事するには人手がいる
→じゃあ国家が公共事業して人雇って失業者減らしたらいいじゃない!
→人を雇ったらその人たちはさらに消費するから政府の支出より経済効果大きいんじゃね?
→ビバ公共工事(^o^)v


以上がいわゆる「ケインズ主義」の考え方で、この理論に基づいて実際に行われたのが世界恐慌後のフランクリン・ルーズヴェルト大統領によるニューディール政策なわけです。

余談:世界で初めてケインズ理論を実行した人の話


ちなみにこのケインズ理論を世界で初めて実行したのは誰かご存じでしょうか?


高橋是清です。


「ケインズ理論を世界で初めて実行した」というのは語弊があるかもしれません。

なぜなら、高橋是清はケインズ理論が発表される前に公債による財政政策や、公共事業などの積極政策で需要を発生させるといった、ケインズが後に主張することになる政策をすでに実行していたからです。


犬養首相の下で高橋是清が大蔵大臣になったのが、1931年。

一方、ケインズ理論の主著が発表されたのが1936年。これは高橋是清が二・二六事件で殺された年でもあります。
殺されるまでの5年間の間に、高橋是清は以上の政策を実行し、世界最速で日本を世界恐慌の影響から脱出させたのです。


高橋是清は「東洋のケインズ」と呼ばれることがありますが、そうではなくケインズが「西洋の高橋是清」だといいたいですね。


ちなみに高橋是清が殺された理由は、インフレ抑制のために軍事予算を減らそうとしたことが軍部の反発を招いたから。

積極政策というのは国から民間にお金をジャブジャブ流すわけですから、当然通貨の量が増えます。そうすると通貨の価値が下がるので、インフレになります。そこでインフレを抑えるために国債を発行したりすることでお金をちゅーちゅー吸い取る必要があるわけです(これを金融引き締めといいます)。

民間に流すお金の量を減らすには、国家の歳出も減らさないといけません。そこで軍事予算を減らそうとしたわけですが、それが軍部の怒りを買って、高橋是清は殺されてしまったのです。


二・二六事件のあと、もう軍部を止めることはできなくなり、暴走をはじめます。

高橋是清を殺さず、素直に予算削減に応じていれば暴走することもなく、泥沼の戦争に突入することはなかったかもしれないと考えると、軍部の青年将校たちは何てことをしやがったんだ!と思いますね。

まとめ


・・・ずいぶん迷走してしまいました。

まあ要するにマスコミは道路=無駄!といっていますが、市民の目から見て無駄にみえる道路も、財政政策としてみればそれなりに意味のあることなのです。


最も、現代においても公共事業は効果があるかは疑問です。昔は公共工事といえば一大事業でしたが、今はいくつかの建築会社に恩恵を与えるだけ、という側面も否定できません。

高橋是清の時代よりは公共事業の財政政策的な効果は薄いということは否めないのではないかと思います。


結局何が言いたかったのかというと、マスコミや他の人がいうことを一面的に捉えるのではなく、一体それはどういうことなのか?他の考え方はできないのか?ということを考えるべき、ということです。



ところで、「食い逃げされてもバイトは雇うな」の下巻の方のタイトルは、『「食い逃げされてもバイトは雇うな」なんて大間違い』

なぜ著者の山田真哉さんはこのようなタイトルをつけたのか。

引用します。

『食い逃げされてもバイトは雇うな』『「食い逃げされてもバイトは雇うな」なんて大間違い』
という正反対の言葉には、180度違う視点であっても知るべきである、という私の仕事のスタンスを込めています。(本書234頁)

「食い逃げされてもバイトは雇うな」というのは、単一の視点であることこそが、大間違いなのです。(本書235頁)


きれいにまとめられましたかね?(笑)