鎌倉、川崎物語 胸打つ衝撃の弾丸 ベアバッキューン

サザンオールスターズの鎌倉物語を聴きながら

雨に濡れる紫陽花を眺めるのが子供の頃から好きだった。

 

初めての鎌倉観光は車の免許を取得しすぐだったと思う。

鶴岡八幡宮、鳩サブレ、他はよく覚えていないがそこから鎌倉、江の島が私の愛する街となった。

 

そんなわけで川崎競馬の名物レースでもある鎌倉記念を観に行ったのだが、久しぶりの修羅場のような珍事を起こしてしまった。

 

パドックで写真をバチバチと撮影してる時に目の前にいる半グレのようなお兄さんの頭にカメラを乗っけてしまったのだ。

 

決して故意ではなく撮影に夢中になってしまった自然の流れだ。

 

それと耳元での連写がお兄さんを刺激してしまったようで、振り返りざまに「バッキューンしちゃうよ」と言われたのも束の間、お兄さんでなく若作りしたおじいちゃん。

 

日本一元気な街、川崎から世界へ。

ベアバッキューン。

日本ダービーの歴史を後世へ繋げ 第3回東京優駿大競走 優勝 フレーモア

フレー!フレー!

もっと、もっと!

そんな声が聞こえて来そうな第3回東京優駿大競走。

勝ったのはシアンモア産駒のフレーモアだ。

 

ちなみにこの年(昭和8年)の11月に競馬場が目黒から府中に移り、翌年(昭和9年)4月に東京競馬場で初のダービーが催された。

 

この年も前日の雨の影響で不良馬場。

フレー!フレー!

もっと!もっと!

雨が降ってしまったようだ。

 

この年の主役はミラクルユートピアだったがダービー当日の調教で捻挫脱臼し、出走不能になってしまった。

出走馬がわずか10頭だったのも相手陣営が尻込みしたからだ。

 

断然の人気馬が不在となり、次いで人気のあったフレーモアが1番人気に支持された。

 

フレーモアは、シンシモア産駒で秋田県土田農場の生産馬。

民間の個人牧場の産駒が中央の檜舞台でついに栄冠を掴み取った。

 

余談だがこの年の4月に渋谷駅前に忠犬ハチ公の銅像が建てられ、5月に海軍元帥東郷平八郎没、国葬。11月ベイブルースら来日。12月初のプロ野球チーム「東京野球倶楽部」誕生。

 

東京競馬場のダービー人気に対抗して中山競馬倶楽部は、農林省賞典中山大障害競走(当時は大障害特別)を創設。

12月5日に行われた第1回優勝馬はキンテン号。

 

 

日本ダービーの歴史を後世へ繋げ 第2回東京優駿大競走 優勝 カブトヤマ

第2回も目黒競馬場で催された。

前回同様、雨の不良馬場。

 

前日の土砂降りで馬場は最悪のコンディション、暗雲が空を覆い視界が非常に悪くスタートが30分も遅れたそうだ。

 

ダービー直前、鞍上の大久保房松は39℃の熱に苦しみオーナーに代わりの乗り役を頼んだが「あなたが好きな馬だと言うんで買ったのたがら自分で乗りなさい」と言われ腹を括り覚悟を決め勝負に挑み、道悪が苦手なカブトヤマだったが大久保房松騎手の鬼気迫る追いに応え見事先頭でゴール板を駆け抜けた。

全てのサラブレッドに感謝を贈ります。

ありがとう。

 

flowers flash orchestra

GOAL

日本ダービーの歴史を後世へ繋げ 第一回 東京優駿大競走 優勝ワカタカ

日本ダービーの正式名は東京優駿である。

記念すべき第一回は昭和7年目黒競馬場で催された。

 

勝馬ワカタカの父はトウルヌソルは戦前の日本競走馬の基礎を築いた根幹種牡馬であり、昭和10年から連続5年間リーディング・サイヤーとして君臨、6頭のダービー馬を出した。

余談だがワカタカと言う名前を目にし思い出すのが相撲の若貴兄弟。

貴花田のふるさと納税「ふるなび」のCMを見るたびに生きるとはそういう事だと思う。

元横綱、親方だろうが懸命に走る姿は美しい。

 

話が大きく脱線したが第一回ダービー馬はワカタカだ。

 

全てのサラブレッド達に感謝。

ありがとう。

 

flowers flash orchestra

GOAL

https://music.apple.com/jp/album/goal/1729335080?i=1729335081

 

 

 

 

川崎熱帯地帯へ小旅行

川崎と聞いて思い出すのは川崎麻世だろう。

世間一般的に麻世よりカイヤのほうが爆発力がありインパクト大だ。

 

そうあれは羽田空港からほど近い海浜公園だがカイヤが犬の散歩をしていて驚いた。

 

そんなわけで川崎に旅に出た話をしようと思う。

 

川崎大師、川崎競馬場、これが人気の川崎観光コースだと誰も言ってないがおそらく戦後生まれの昭和人ならば一度は体験した事があるのではないだろうか。

 

 

小さな競馬場には元気な人達がいっぱい。

戦後復興から現在までたくさんの人に活力を与えたに違いない。

 

川崎競馬場から1番近い港町駅。

音楽好きやレコードコレクターならご存知だと思うがここにビクターのレコード工場があった。

 

川崎大師は神社でないから色んな人が訪れる。

 

夕暮れのイトーヨーカドーが美しくもありなんとも悲しげ。

閉店が決まったそうだ。

次に来た時は何になっているのだろうか?

 

この日の気温は37℃、体感温度は39℃ぐらいだろうか、来年の夏は40℃のオンパレードかもしれないな。

 

 

今週のお題「夏の思い出」

令和の米不足

実に2週間振りに米を食べた。

どこのスーパーにも売っておらず

さ迷い続けた2024夏。

 

米がなくても他の物を食べて生きていけば

よいのだが私は生粋の日本人、納豆ご飯もおにぎりも食べたい。

 

昨年より価格が倍になり、これからの時代はパンや麺類、ビックリマンが主食になりそうな時代になりそうだがどうかペヤングばかりを食べないで。

 

バランス良い食生活を。

 

今週のお題「お米買えた?」

フィッシュマンズの虜になった友人とロックばかりを追求する自分

友人が教えてくれた新しいジャンルのミュージシャンこそフィッシュマンズだ。

もう30年ぐらい前の話だ。

 

「宇宙日本世田谷」というアルバムタイトルで初めはコミックバンドだと思っていたわけだが、実際はそうでなく何ともホワっとした雰囲気と今までにない音の詰まった不思議な魅力が印象的だった。

 

しかし当時の自分にはしっくり来ず何度も聴く事はなかった。

 

改めてこのアルバムをかけながらその当時の事やフィッシュマンズを教えてくれた友人の事を思いながら不思議な音に包まれている。

 

今さっきまで暴雨だった事もあり、アルバム2曲目の「WeatherReport」の歌詞が頭から離れられない。

 

あの頃のその友人は家に籠りがちで少し病んでたのかなと今更ながら思うのだが、まだ精神的に未熟だった自分は優しい声をかけれなかったが今ならマジックラブな精神で寿司でもご馳走したい気分だ。

 

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