2月5日、新国立美術館「第19回文化庁メディア芸術祭」にて「テレビゲームの時代:世界へ羽ばたく日本のゲームとアニメーション」と題されたシンポジウムが開催され、講師にファミコンの生みの親である上村雅之氏と、マリオの公式イラストを手掛ける小田部羊一氏が登場した。
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ファミコンの生みの親とスーパーマリオのデザイナーが登場! (GAME Watch)
ファミコンは1983年に発売以来、いきなりブームになったような印象があるかもしれないが、上村氏が語ったところによると、当初は苦戦していたという。
以下、記事より引用↓
1983~84年までの間は、日本でもファミコン本体はまだ44万台しか売れていませんでした。また、アタリショックの後はMSXのようなパソコンの時代になると国内でも言われたりして、非常に苦戦を強いられていました。
続けて、海外へ進出した理由について以下のように語った。
そこで、じゃあ海外にも売らなければしようがないだろうということで、1985年にNESを出すことにしました。ところが、最初は向こうの流通からはまったく相手にされず……
× 国内でブームになる → その勢いで海外進出
○ 国内で苦戦する → 仕方なく海外進出
どうやらこれが正解だったようです。しかしそんな苦戦中の任天堂のもとへ救いの手がさしのべられます。それは任天堂が1984年に発売したアーケードゲーム機「VSシステム」を評価してくれてたという米国の玩具チェーンストア「トイザらス」の担当者だったという。
※トイザらス社公式サイト(英語)
しかし、ここに救いの神が現れた。上村氏によると、それは1984年に任天堂が発売したファミコンを使用したアーケードゲーム機「VSシステム」を以前から高く評価していた大手おもちゃチェーン店「トイザらス」の担当者だった。「NESを実際に遊んでみて、『ウチでなら扱ってもいいよ』と言ってくれたので、11月頃にNESを投入することができたんです。『トイザらス』はまさに恩人ですよ(笑)」とのことだった。
任天堂とトイザらスの知られざる関係。大変興味深いお話でした。ぜんぜん関係ないけど「トイザらス」って一発変換できるのね……
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