【ネタバレ】『劇場版モノノ怪 唐傘』と『ルックバック』をクリエイターの自伝として読み解く
『劇場版モノノ怪 唐傘』を公開日に観ました!
『ガッチャマンクラウズ』ファンとして、中村健治監督の新作映画ということで再放送などを履修しつつ、『モノノ怪』自体はほとんどミリしらに近い状況で観に行ったのですが……
めっちゃよかった!
普通おもしろい作品って、非常に繊細なバランスの上で成り立ってることが多い気がするのです。
だからこそ「このカットが……」「ここの音楽が……」「このキャラが……」みたいな、他の部分は良くても一部のせいで全体の印象まで悪くなってしまうことがままあるわけで、ほとんどの作品はそのバランス調整に心を砕いていると思うのですが、『劇場版モノノ怪』は絵とカットと音と声といった、映像作品に求められる要素をどれもこれも過剰にすることで逆にバランスさせる、それによって限界突破して名作たろうとする取り組みを行っていた印象でした。そこが個人的にめちゃくちゃ好感度が高かったです。
(自分がずーっとファンであるニンジャスレイヤーと同じ思想を感じるので、そういう作品が私好みなのだと思う)
そのうえで、ネットの感想なんかを漁ると古参ファンからの不満も多く見受けられました。確かに再放送でみているストーリーや絵柄から乖離している部分が多いので、理解はできるものの、これでストーリーまで混み入ってたら私のような新規勢は完全に置いてけぼりになったと思うので、苦渋の決断なのでは……と推察します。
すでに三部作として発表されているので、続きを楽しみにします!
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— 『劇場版 モノノ怪』公式 (@anime_mononoke) 2024年7月28日
『#劇場版モノノ怪 第二章 火鼠』
2025年3月14日(金)公開決定!
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『#劇場版モノノ怪』は全三部作での制作が決定!
第二章のモノノ怪は”火鼠”。続報に乞うご期待!#モノノ怪 pic.twitter.com/jK9HaFei4O
■『劇場版モノノ怪 唐傘』と『ルックバック』をクリエイターの自伝として読み解く
今回の唐傘のストーリーを私がどう読み取ったかという点も書いておきます。
「大奥の女中として、まず自分が大切にしているものを捨てよと命じられ、毎日生臭い水を飲むしきたりに嫌悪を抱きながらも我慢し続け、数日後に控えた大餅曳のために新人なのにめちゃくちゃ仕事を振られつつ、ダメな同期をサポートしながらなんとか進めていく……」
私はもうこの時点で泣けてました。
「中村健治、アニメ業界つらかったんやな……」って。
アニメ業界という激務薄給な世界で、大事なものを捨てて、嫌なことも飲み込んで……そこまでしてなんでやってるんだろうな……とか思ってたんだろうなあ。
そしてしっかりもので信念を持って働くアサ、ちやほやされたいだけで怠け癖があるカメ、これは会社員あるあるでもあり、同時にどちらも中村健治のペルソナなんやろなあ……と感じました。
ラスト、田舎に帰るカメと、カメとの心のつながりを支えに、仕事に人生を捧げ出世していくことを決意するアサ……そこで
「二章・火鼠へつづく」泣くわ(´;ω;`)
中村健治、ほんとに田舎に帰るつもりだったけど、アニメ業界でまだまだやってくれるんだな……ありがとうな!応援するよ!
大奥という因習村を今描く必然性 『劇場版モノノ怪 唐傘』中村健治監督インタビュー - KAI-YOU.net
別にこの理解が正解だというわけではなく、あくまで解釈のひとつとしてそういう見方もできると思います。
加えて、私は『ルックバック』もそういう見方ができると思ってます。
「藤野」と「京本」、このふたりも作者藤本タツキのペルソナと読み解けば、『ルックバック』の物語はマンガ家志望の藤野と、画家志望の京本が袂を分かつストーリーだともいえる。
どちらの夢も叶えられたらいいけど、どちらかを選ばないといけないことが人生には必ず現れる。藤本タツキにとっての藤野と京本、中村健治にとってのアサとカメの関係は、クリエイターたちの人生の選択を仮託したキャラだと読み解くこともできると思います。
公開タイミングが近いのは偶然でしかないとは思うが、東日本大震災や京アニ事件、コロナ禍を通じてクリエイターがなんのために創作をするのか?その自問自答ととりあえずのアンサーをどうしたのか?という比較で『劇場版モノノ怪』と『ルックバック』は語ることができるな……と思ってます。
せっかくだしメディアミックスも読んでみて、続編を待とうかな