江ノ本のつれづれblog

映画やゲームのレビュー・感想を中心に書いていきます。

お世話になったおもちゃ屋さんが取り壊されていた。

先日、日課のウォーキングをする際にいつもと気分を変えて普段と違う道を歩いていたら、さみしい光景を目にした。子供の頃にお世話になったおもちゃ屋さんが取り壊されていたのだ。

子供が集まる「町のおもちゃ屋」

このおもちゃ屋さんはご夫婦が個人で営んでいたもので、プラモデルやテレビゲーム、ラジコン、ミニ四駆、ヨーヨー、カード、フィギュア、ヒーロー変身グッズ、おもちゃならとにかくなんでも扱っていた。玩具だけでなく駄菓子も置いていたので地域の子供たちのたまり場でもあった。

お店には楽しみがたくさんつまっていた。販促用の巨大なゲームボーイが置いてあった。店内には金のマリオ像が置いてあった。店頭には試遊用のニンテンドウ64が置いてあり、コントローラーが4つセットしてあった。古臭いメダルゲームもあった。胡散臭いガチャガチャも置いてあった。

親子の思い出の場所でもあった

私はこのおもちゃ屋さんで親にゲームをよく買ってもらっていた。ゲームボーイの本体、ニンテンドウ64の本体を親に買ってもらったことを覚えている。『マリオペイント』も買ってもらった記憶がある。96年頃、大ブームの『ポケットモンスター』を親にねだってつれていってもらうと、お店のおじちゃんが「もう『緑』しか残ってないんだよねえ」と言っていたのを覚えている。

お店を営んでいたご夫婦は私が小学生だった30年前でも60代くらいだったように思う。子供から見るとすごく年寄りに見えただけでもう少し若かったかも知れない。子供からしたらおじいおばあなのだが、ゲームの流行をわかっていて、野球を私に教え込みたかった父が「何か野球ゲームでいいのありますか?」と聞けば『実況パワフルプロ野球4』をおすすめし、気まぐれにレースゲームで遊びたくなった私の父が「レースゲームでいいのありますか?」と聞けば『Gran Turismo 4』をおすすめしてくれた。さすがである。

フライングゲットもOKなおおらかさ

小学校高学年から中学生くらいまではこのお店でゲームをよく買っていた。お年玉はほとんどすべてこのお店で使っていたと思う。個人で営む小さなおもちゃ屋さんなので、ゲームソフトを予約しておくと発売日前日にこっそり売ってくれた。私はゲームの発売日前日からソワソワしていた。

「もしもし、○○さん?予約されてる『大乱闘スマッシュブラザーズ』が入りましたよ」

「もしもし、○○さん?予約されてる『マリオストーリー』が入りましたよ」

「もしもし、○○さん?予約されてる『パワプロクンポケット』の新しいやつが入りましたよ」

「もしもし、○○さん?予約されてる『ゼルダの伝説 風のタクト』が入りましたよ」

「もしもし、○○さん?予約されてる『逆転裁判3』が入りましたよ」

「もしもし、○○さん?予約されてるニンテンドーDSの本体が入りましたよ」

懐かしいなあ。いろいろ買わせてもらったなあ。

このブログを書いていて思い出した。PS2で発売された『ウルトラマン』(製作KAZe。初代ウルトラマンを再現した名作)を買うために部活をさぼって買いに行った帰りにキャプテンとすれ違ってしまうというミスを犯したこともあった。なぜあの時もっと裏道を選ばなかったのか。優しいキャプテンで助かった。

建物は消えても思い出は消えない

数年前からお店は閉められていたが、いざ建物ごと無くなるとさみしいものだ。取り壊された後は、小さな小さな空き地になった。こんなに小さかったのかと、お店が無くなったことが余計にさみしく感じられた。こじんまりとしたささやかな生業だったかもしれないが、私達の記憶に残る温かい仕事だった。

プラザ玩具センターさん、長い間、本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。

ジャンクガレッジ「パワフルまぜそば」大宮No.1ジャンクフードを食べたいならコレ

今回はジャンクガレッジの「パワフルまぜそば」を紹介。ジャンクなヴィジュアルに臆することなく、是非ご賞味いただきたい。

ジャンクガレッジってどんなお店?

ジャンクガレッジは埼玉県を中心に展開するラーメン屋である。主なメニューはラーメンとまぜそばだ。

ラーメンはいわゆる二郎系であり、野菜ドン!背脂ドン!ニンニクドン!のジャンクな味わいを楽しむことができる。ジャンクガレッジではにんにくの代わりにショウガを選ぶことができる(ショウガが選べるのはラーメンのみ)。ニンニクとは違った爽やかな刺激が、これまた中毒性があってたまらないのだ。私はジャンクガレッジではいつもショウガを選ぶ。

もうひとつの看板メニューまぜそばはいわゆる汁なしラーメンの一種である。まぜそばの元祖とのこと。ジャンクガレッジまぜそばの一番の特徴は、トッピングにベビースター(醤油味の香ばしいボリボリしたスナック菓子のアレ)が使われているところだ。みなさん、この時点でかなりジャンクな予感がしているはずである。さらにトッピングにはニンニクや背脂(アブラ)、マヨネーズ(エビマヨ)が存在し、これらは二郎系でお馴染みのマシ・マシマシが可能なのだ。なお、ジャンクガレッジでは増し・ダブル・トリプルの三段階となっている。

トッピングの説明。予習しておけばドキドキせずに臨めるぞ。

大宮のジャンクガレッジは2店舗ある

大宮のジャンクガレッジは大宮駅東口近くに1店舗、氷川神社方面に少し歩いたところにもう1店舗、計2つの店舗を構えている。

大宮駅に近い大宮駅前店は常に誰かしらお客が入っていて座れないこともよくあるが、氷川神社方面の2号店はランチやディナーの時間帯を避ければ座れないということはほとんどない。私はもっぱら2号店を利用する。ジャンクなメシを食べるのだから、せめてもの悪あがき、健康のことを考えて少しくらいは駅から歩こうじゃないか。

よその店舗のことはちょっとわからないが、大宮のジャンクガレッジは二郎インスパイアのお店の中でもかなりゆるい雰囲気なのでとても入りやすい。女性の店員さんが厨房に立っていることも多い。たまにカップルで訪れているお客さんも見かける。うらやましいね。

「パワフルまぜそば」とはナニモノか

既に記したようにジャンクガレッジのまぜそばはそもそもパワフルな一品なのだが、さらにその上を行く「パワフルまぜそば」というものが存在する。

こちらがその「パワフルまぜそば」である。

パワフルまぜそば(並盛・全増し)の写真。提供時の盛り付けはにぎやかでキレイだ。

みなさん、どうだろう、美味しそうに撮れているだろうか。この写真はGalaxy S22で撮影した。全体に振りかけてある赤い特性スパイスがパワフルまぜそばのパワフルたる所以である。手前にチャーシュー、左手にチーズ、右手にエビマヨ、右上にパラパラッとあるのがベビースターである。他のトッピングのせいで目立たなくなっているがニンニクとアブラもバッチリだ。

この状態から豪快に混ぜて食べるのがまぜそばである。混ぜると一気に見た目がジャンクになる。あまりのジャンクさのため写真は撮らなかった。混ぜた後のジャンクさに一役買っているのがエビマヨと特性スパイスである。器全体が白と赤のドーパミン調味料で覆いつくされる。かなりインパクトのある見た目になるが臆することなくその目で確かめてほしい。

お味の方はというと、ジャンクな見た目とは打って変わって、それぞれのトッピングが互いに存在感を見せつけつつも計算されたハーモニーを脳に響かせてくれる。濃い醤油味のタレと濃厚なアブラが舌にバチッときたかと思えば、エビマヨの酸味がさっぱりとした印象を与えてくれる。ベビースターは食感のおもしろさを狙っただけに思えるかもしれないが、その香ばしさがいいアクセントになっている。ニンニクはビリビリと舌を刺激してきてパンチを効かせている。チーズはそれ自体の味だけではなく、チーズが麺の熱で溶けることによって他のトッピング達をつなぎ合わせるという形でまぜそばの完成度アップに貢献している。特性スパイスはほどよいピリ辛加減で、もともと完成されたまぜそばの邪魔にならない(これだいじ)ちょうどいい塩梅だ。

特にアピールされていないが、ジャンクガレッジのまぜそばを食べていると魚介系の風味を感じる。各トッピングがそれぞれの個性を発揮して奏でる刺激的なハーモニーを支えているのはこの魚介の力だろうか?魚介系の粉末がどこかに隠れていたのか、特性スパイスに盛り込まれているのか、はたまたエビマヨのエビの風味なのか。混ぜる前にトッピングひとつひとつを確かめるのも野暮というものなので私にはわからない。この秘密の真相はあなたの手で確かめてほしい。私はしばらく食べないし。しかし必ずもう一度食べてしまう。なぜならジャンクフードだから。

あとがき

ジャンクガレッジが埼玉を中心に展開しているということを、この記事を書くにあたって初めて知った。もっとあちこちにあるのかと思っていたが、そういえば東京では見かけない。日高屋を埼玉県外では埼玉ほどは見かけないことを不思議に思っていたところに、日高屋の本拠地が埼玉の大宮であるという事実を知った時と近い驚きというか納得感を覚えた。

近い将来、ジャンクガレッジも日高屋同様に「埼玉といえば」という形でテレビ等で取り上げられることがもしかしたら増えるかもしれない。そうなるとちょっと混みやすくなったりして、困っちゃうなあ。

junk-garage.net

原因不明の肩の痛み 思い込みの四十肩

5日ほど前から右の肩関節が痛い。腕を上げようとすると痛む。腕をまっすぐ伸ばして手のひらを地面と水平にした状態で腕を上げるときは痛くないが、肘を曲げた状態や手のひらを地面と水平垂直にさせた状態で腕を上げようとするとズキンと痛む。

私はもともと肩こり首こり体質だが、肩の関節が痛むというのは珍しい。中学時代に野球をやっていて痛めて以来の久しぶりの肩の痛みだ。今回は、34歳になってなぜ肩を痛めたかというと原因は不明である。朝起きたら痛かったのだ。寝てる間に延長17回270球の力投でもしたのだろうか。

私は少し焦った。この歳になってこの肩の激痛は、もしや噂に聞こえた四十肩なのではないか?こんなものは人よりちょっぴり早く先取りしたくないものである。できれば一生ごめんである。

いつまでも肩の痛みが引かないので、いよいよこれは四十肩に違いないと思い、昨日近所の形成外科で診てもらった。医師の触診とレントゲンの結果、骨には異常無し、筋肉の状態からするに肩甲骨の動きが悪いので肩を動かす際に余計な力が加わって肩が痛むのではないか、とのことだった。日常生活に支障は無いでしょうということで湿布も痛み止めも処方されなかった。

確かに私は荷物の上げ下ろしをする仕事でもないのでそこまで困ることはないが、服を着るときやカバンを肩から下ろすとき、重いドアを開けるときにはしっかりと痛むのでそれなりにストレスである。

こうなったら日常生活で積極的に左手を使ってみようか。脳トレになりそうだ。そして行く行くは左投げ右打ちに転向し、左のワンポイントとして草野球で活躍してみせようじゃないか。うーん、無理なポジティブ思考と空元気はむなしいものである。

それにしても不思議なもので、四十肩ではないならそれはそれで良いのだが、なんだか拍子抜けしてしまった。体の症状に名前をつけてもらったほうが気持ちの整理がつくし向き合う気持ちも湧いてくるものである。筋肉の強張りというふんわりした診断では、そんな理由でこんなに痛くなるのか?!本当に??とかえって不安な気持ちにもなる。

とはいえ、こんな呑気なことを言っていられるのも、先にも書いた通り私が腕の上げ下ろしをする仕事に就いていないからだ。体をたくさん動かす職業の方は気をつけていただきたい。あ、ちゃんとケアしていれば体を動かす仕事をしている方のほうが健康体か…。余計なお世話でごさいました。

【感想】ななチキ味には冒険が足りない(Calbeeポテトチップス)

セブンイレブンのななチキ7周年企画商品『Calbeeポテトチップス こだわりのスパイスななチキ味』を食べた。

心の栄養の為に欠かせないポテトチップスを近所のセブンイレブンに買いに行ったところ、この商品が目に飛び込んできた。企画系ポテトチップスには目が無い私としては買わずにはいられなかったのである。

再現度高し!風味と食感で食べ応えあり

確かにななチキの風味が再現されている。美味しい。思いの外再現されていたので驚いた。

スパイシーな香りが楽しめるという点で言えばコンソメと同系統のポテトチップスになる。コンソメと比べるとこちらの方がキレのある味わいでビールやハイボールに合いそうだ。

ななチキの風味があるおかげでコンソメやサワークリームほどではないが食べ応えがある。厚切りのザクザクとした食感も満足感を高めてくれている。

1枚1枚の安定感に欠ける

一袋をペロリと平らげながら感じたのは、1枚1枚の味のバラつきだ。

私の感覚では「いわゆるスナック菓子のカレー味」っぽいチップが全体の3/4を占めていたように感じた。残りは見事にななチキの風味を感じる。

「ななチキだ!」と思う1枚と「カレーっぽいなあ」と思う1枚が混在し、むしろカレーっぽいチップの方が多いというのは、なんとも安定感に乏しい。惜しいなあと思う。

もっと香辛料(ブラックペッパー?)を1枚1枚に満遍なくまぶしてくれればななチキっぽさが安定したように思う。

7周年企画としてはもっと大胆さがほしい

さらに本物のななチキを感じさせるならば鶏肉の肉汁感、揚げ物としての脂感がもっとほしい。とはいえ、あまりベタッとしてしまってはスナック菓子としては失格なので難しいのだろう。

例えば、『ピザポテト』のようにチップ1枚1枚をコーティングするのはどうだろうか。ななチキの衣をそのまままぶすのだ。チップの食感と衣の食感が口の中で踊る。味もさらに濃くなる。想像するだけで背徳的だ…。

企画や開発のみなさんはどのようなアイデアを出したのだろうか。素人の私には想像もつかないようなたくさんの案と会議を経て、さまざまな制約のもと商品を世に出しているのだから頭が下がる。

そうは言っても、自社の人気ホットスナック7周年のお祭り企画にしては、どうも誰かに気を遣ったようなおとなしさを感じてしまう。どうせ記念企画の一発屋なのだから、この際もっと冒険したポテトチップスが食べてみたかった。この商品がもう少し「ちょっとやり過ぎ」なポテチになっていれば、企画としても商品としてもインパクトが強くなり、背徳系ポテトチップスの新しいリーダーになったかもしれない。

あとがき

夜中にポテチを食べ、その勢いでこうしてブログを書く。こんなことでいいのだろうか。いや、これでいいのだ。

みなさんも心の向くままにポテトチップスを食べましょう。自己責任で。

ゴジラ次回作の無責任予想

山崎貴監督によるゴジラ新作の制作決定が発表されましたね。VFXに明るい山崎貴監督がゴジラの次回作を再び監督するというのは嬉しく楽しみなニュースです。そこで次回作をあれこれ夢想するのはファンの性(さが)というものです。

次回作で触れられるであろう要素

私が思うに、以下の要素は間違いなく次回作において触れられるでしょう。

  1. 典子の首筋に見えていた黒い影(ゴジラ細胞)
  2. 冷戦を理由にゴジラについて知らぬ存ぜぬを決め込んでいたアメリカ軍
  3. アメリカの言いなりになってゴジラの情報を隠蔽していた日本政府

つまり、「ゴジラ細胞を取り込んだ典子はどうなるのか」、そして「米軍および日本政府は再び姿を表すゴジラにどう対応するのか」、この2点を軸にゴジラ次回作は制作されると思います。ゴジラ細胞を取り込んだのは典子だけなのか、あるいは他にも典子のような人が存在するのか、ここも気になるところです。

予想されるストーリーの大枠

そこで私が予想するゴジラ次回作のストーリーの大枠は以下となります。

  1. 『ゴジラ−1.0』ラストで心臓だけになっていたゴジラが復活する
  2. アメリカ政府主導のゴジラ細胞の研究の為に典子はアメリカ占領下の沖縄に移される
  3. 典子の体で増殖したゴジラ細胞に引き寄せられるようにゴジラは沖縄を目指す
  4. 沖縄を目指すゴジラが西日本の各地でたびたび目撃される
  5. 東京を襲ったゴジラについて隠蔽し、撃退に失敗していた日本政府に非難が集まり、日本政府は対応に追われる
  6. ゴジラが沖縄を目指していることを予測した日本政府はアメリカ政府に協力を求める
  7. アメリカ政府は沖縄でゴジラを迎え討つ準備を進める
  8. 対ゴジラ沖縄決戦に向けてアメリカ政府は秘密裏に典子の有効利用を模索する
  9. ゴジラに対して核兵器を使用する案が米軍から国連に提出される
  10. 核兵器使用案の裏で、秘密裏に進んでいたゴジラ細胞の研究により典子を対ゴジラ決戦用生物兵器とする「ビオランテ計画」がアメリカ政府から日本政府に突きつけられる
  11. 日本政府から「ビオランテ計画」の知らせを受けた敷島はある条件付きで典子の生物兵器化を承諾する
  12. 「ビオランテ計画」で巨大生物兵器と化した典子が米軍と共に沖縄でゴジラを迎え討つ
  13. 巨大典子はゴジラを撃退したかに見えたが、典子のゴジラ細胞がゴジラを吸収し巨大典子はほぼゴジラ化してしまう
  14. そこに巨大生物兵器と化した敷島が現れ、典子ゴジラの核として生存している典子を引き剥がす
  15. 抜け殻となった典子ゴジラは海底へと沈んでいく
  16. 敷島は典子を米軍に引き渡すと海の底へと姿を消してしまう
  17. 終

ふう…完璧だ。

そう、ゴジラの次回作は『フランケンシュタイン対地底怪獣』を彷彿させる「人型の怪物 VS 大怪獣」という娯楽作品になるのです。

ゴジラがしっかり人型のフォルムの怪物と戦うというのもなかなか新鮮だし、いいじゃないか。ジェットジャガーはロボだし。パチンコだとエヴァンゲリオンと共演してるけど。

あとがき

これで山崎貴監督の東宝怪獣映画3作目は『サンダ対ガイラ』のリメイクに確定しますね。めでたしめでたし。

『サンダ対ガイラ』リメイクの暁には樋口真嗣さんにも協力してもらいましょう。『進撃の巨人』実写版のリベンジだ!

あ~、私が東宝関係者じゃなくて、よかった^^

『ゴジラ−1.0』何度も観て引っかかるポイント

金曜ロードショーで『ゴジラ−1.0』が地上波初放映されました。

今回は『ゴジラ−1.0』の個人的に引っかかるポイントを書いていきます。

何度も観てると感動は薄れ…

金曜ロードショーで初めて『ゴジラ−1.0』を観たみなさん、いかがでしたか?おもしろかったでしょう。でっかいゴジラが日本で暴れて人間が必死になってゴジラと戦ってればだいたいおもしろいですからね。怪獣映画とはそういうものです。

私は映画館で3回(うち1回はモノクロ版)、Amazonプライムビデオで6回(好きなシーンのつまみ食いが主)、Blu-rayで1回(メイキングを楽しんだ後の見直し)の計10回は観ていますから、金曜ロードショーでの放映も観ましたけども、初めて視聴した際の新鮮な感動は消え失せてしまっていて、Xでみんながどんなリアクションをしているかなあということを考えながら観ていました。

そして、これだけ観ていると引っかかるポイント、言い換えれば個人的に好きになれない要素が目立ってきて、初回視聴ではちょっとした違和感程度だったものがどんどん鼻についてきました。そんなネガティブな内容を今回はわざわざ書いていこうと思います(^^;

秋津淸治がうるさい

佐々木蔵之介さんが演じている秋津淸治(機雷除去用の特設掃海艇「新生丸」の艇長)がうるさいです。豪快で朗らかなキャラクターで嫌いではないのですが、佐々木蔵之介さんの芝居がやりすぎ(監督のやらせすぎ)がちょっと受け付けないです。叫びすぎてちょっと声が飛んじゃってるし。

カラッとした熱い男なのかと思えば、案外皮肉っぽいところもあり、キャラクターの深みは出ていると思います。しかし、大声で叫んでいるかと思えば、日本政府に対して恨み節を呟いたり、見習い乗組員の水島(山田裕貴)にゴジラ撃退作戦から外すことを告げる時にクールに描かれすぎていて、コントラストが強すぎます。そのせいで秋津の陽の面と陰の面がお互いにしつこく見えてしまいました。

セリフ回し、会話の間が気持ち悪い

これは1シーンだけなのですが、初回視聴時からとても気になっています。神木隆之介さん演じる敷島が機雷除去仕事の初日に「新生丸」のメンバーから歓迎されるシーンです。

このシーンでは秋津(佐々木蔵之介)がぶっきらぼうに元海軍技術士官の野田(吉岡秀隆)と見習い乗組員の水島(山田裕貴)を敷島に紹介します。秋津は「こっちは『学者』、こいつは『小僧』でいい」と敷島に言い、野田は「どうかと思いますけどね、その呼び方」とツッコミを入れ、水島も「俺ももう『小僧』って歳じゃ…!」と続けますが秋津に跳ね除けられます。

私としてはここのやりとりがスムーズすぎて気持ち悪かったです。なんというか、練習しまくった漫才の掛け合いのようで、一般人の会話のやりとりに聞こえません。この人達はもう何度も何度もこうやって挨拶をしては新入りが辞めていってしまってるのだろうか、なんてことを思うと、この3人の関係性は表現されていると思いますが、観ている私も敷島と一緒に置いてけぼりにされているような気分で、「あなた達、社会人としてどうなんだ。最初の挨拶くらいもうちょっとしっかりせい!」と思ってしまいました。その後の展開で3人ともいい人達だということはわかるので、いいっちゃいいんですが。

典子のキャラが変わりすぎ

浜辺美波さん演じる浮浪児の女・典子のキャラクターが敷島に初めて会った時点とひとつ屋根の下で敷島との生活を始めた後とでガラッと変わりすぎているのが気になります。これは結構多くの人が引っかかっているポイントのようです。

飄々として言葉遣いも荒く「パンパンにでもなれって?!」と敷島に食ってかかる典子が、あっという間に敷島を「コウさん」と「さん付け」のあだ名で呼ぶようになり、丁寧なデスマス調で話すようになります。別に汚い言葉をいつまでも使うようながらっぱちじゃなくてもいいのですが、敷島にはずっとタメ口でいてほしかったな。

戦争で孤児になる前の典子がどういう家庭でどういうふうに育ってきたのかはわかりませんから、戦争で心が荒んだ結果たまたま序盤は荒い口調になっていたのかとも考えました。そうは言っても戦時中に憲兵をやっていたわけでもない典子の人に対する接し方がそんなに変わるものだろうかと違和感が残ります。

以前NHKのドキュメンタリー番組で戦後にパンパンをする上野の若い女性達のインタビュー音声を放送していました。これは当時の日本放送協会のラジオのディレクター(だったかな)が、放送局員の身分を隠して客引きをしているパンパンの女性達と会話をし、その会話を隠しマイクで録音したものです。パンパンをしないと生活できない女性達は全員スレた話し方をしていました。「こうでもしなきゃ食っていけないじゃない」、「あんた客なの、遊ぶ気あるの」、「このマイクなんなのさ」というような感じで序盤の典子のような雰囲気がありました。

とは言え、典子はこういう女性達とは距離を置いていそうだし、こういった色に染まって口調が荒くなっていたとも思えないし、判断が難しいところ。これは描写が不足しているのに「時代に適応せざるを得なかった女性」を描いたことに問題があると思われます。描写を抑えたおかげで典子についてこうやって考えることもできたんですけど、作品を視聴する上では意味の無い引っかかりでした。

あとがき

あれこれ不満を書いてきましたが、好き嫌いに集結するような話で申し訳ない。共感してくれる人もいるかなと思い書きました(^^;

公開前に懸念されていた山崎貴監督の人間ドラマの作風については杞憂に終わりましたが細かいところはやはりクセがありますね。ちょっとクセがある程度なので、今回私があげつらったような部分をもって「だからこの映画はクソ!山崎貴が監督すべきじゃなかった!」などとは私は思っていません。

ただ、テンポよくドライに進んでいく『シン・ゴジラ』のほうが私は好きです。こっちも庵野秀明監督のクセは強く出てますけど、悪い出方はしてないので。悪い出方をしたのは『シン・仮面ライダー』だと思ってます。でも浜辺美波さんと西野七瀬さんがかわいいのでオールOKです。

ではでは。

「微糖」の缶コーヒーは立ち位置とネーミングが素晴らしい

今ではすっかり定着した「微糖」の缶コーヒーが人々から好まれる理由を考えてみた。

不思議な言葉「微糖」

私は缶コーヒーをよく飲む。大好きだから飲むというよりもなんとなく飲む。自販機で飲み物を買う時に、ジュースは甘すぎるし水はさっぱりしすぎている、お茶はティーパックで淹れたほうがおいしいという理由で缶コーヒーを選ぶ。

缶コーヒーはいろんなメーカーからいろんなバリエーションのものが出ているが、その中に「微糖」というジャンルのものがある。「微糖」という言葉はすっかり身近なものになっているけれど、不思議な言葉だ。「微糖」はコーヒーでしか使わない言葉だ。こういう特定の分野でしか見かけない言葉がここまで身近にあるのはおもしろい。コーヒーの為に生まれた用語がコーヒーでしか使わないままにいつの間にか定着している。

「微糖」は20世紀の終わりに生まれた

最初に大きくヒットした缶コーヒーはUCC上島珈琲の「UCCコーヒー ミルク入り」だそうで、1970年の大阪万博の会場で販売されて広く認知されたらしい。(なお、「UCCコーヒー ミルク入り」は乳固形分の比率が大きいので乳飲料に該当する)。

缶コーヒーがメジャーになって以来、缶コーヒーとは甘くてミルクが入っているものが当たり前だったのだが、これは当時の喫茶店や家庭でコーヒーを淹れて飲む際はミルクと砂糖を入れて飲むというのが当たり前だったからである。そこに来てだんだんとブラックコーヒーを楽しむ人が増え、それに合わせて缶コーヒーでもブラック無糖の商品が増え始めた。従来の甘いミルク入り缶コーヒーとブラック無糖の缶コーヒーだけでは両極端なのではということで生まれ定着したのが「微糖」の缶コーヒーである。これがだいたい1980年代後半から1990年代の缶コーヒーの動きである。

最初に「微糖」のコーヒーを発売したのはUCCであるとか、最初に「微糖」に分類される甘さの商品を出したのはコカ・コーラの「ジョージア」であるとか、いろいろな情報が出てきて世界初の「微糖」はいったいどの商品なのかというのはハッキリしなかった。今年34歳の私が物心ついた時には既に「微糖」という言葉は存在していて、テレビCMでも「微糖…」などと渋いナレーションで宣伝されていた。渋い声で言えば強がってブラックコーヒーを飲んでいる人も取り込めるということなのだろうか。

「微糖」は真ん中だから選ばれる

缶コーヒーの甘さには大きく分けて「加糖」・「微糖」・「無糖」と3種類あり、業界の慣例として100mlあたりの糖分量で分類している。「微糖」が定着したのは、「加糖」でも「無糖」でもないこの立ち位置に理由があるだろう。

「加糖」ほどしっかりと甘くもないし、「無糖」のようなスッキリとした飲み口でもない「微糖」は、下手をすれば中途半端な甘さというイメージを持たれかねないが、この真ん中というのに人は手を出しやすい。うな重の松・竹・梅でいうところの「竹」であり、寿司の特上・上・並でいうところの「上」が「微糖」の立ち位置だ。(「加糖」と「無糖」のどちらが「松」・「特上」なのかという話は置いておく。)

この文章を読んでくれているあなたも初めて訪れたうなぎ屋や寿司屋で今日は奮発するぞと意気込んでいるわけでもないが、かと言ってせっかく来たお店で一番安いものを食べるのもどうかなという気持ちで「竹」や「上」を選んだことがあるだろう。あるいはドリンクのサイズ、S・M・Lを選ぶときに、Sだと足りないかも知れないしLだと多すぎるかも知れないからMにすることがあっただろう。

この真ん中の立ち位置というのは、私達が特別強いこだわりを持っていない時につい選んでしまう存在なのだ。各メーカーでこだわって缶コーヒーを開発しているとは思うが、飲む側が「なんとなく」や「とりあえず」で飲んでいる缶コーヒーならではの現象だろう。これが炭酸水だと「強炭酸」・「炭酸」・「微炭酸」とあった場合、よっぽど炭酸の刺激が苦手でもなければ「どうせなら」で「強炭酸」を選ぶ人が多いのは近年の強炭酸ブームからも明らかである。

「微糖」はネーミングで惹きつける

「微糖」が定着した背景には、思うにそのネーミングの良さにもあるのではないかと思う。「微」というワードを採用した飲料メーカーのセンスを称賛したい。

甘くてミルク入りの従来の缶コーヒーの対となるブラックの缶コーヒーを開発する上で、前者と後者を分類する必要が出てくる。この時、後者を「無糖」と名付けるのはほぼ間違いなく必然と言える。「砂糖が入っていない」ということをここまで強くアピールできる言葉は他に無い。そして従来の缶コーヒーには「無糖」の対義語として「砂糖を加えている」で「加糖」と名付けて分類するのも理にかなっている。

ここで問題になるのが、第三の男、真ん中の立ち位置、そこそこ甘い缶コーヒーをどう名付けるかである。「砂糖が少な目」だから「少糖」だろうか?「砂糖を減らしている」から「減糖」だろうか?「糖分が低い」から「低糖」だろうか?どれも体には良さそうだがあまり美味しくなさそうな響きである。

そこで「微糖」なのである。素晴らしい。この「微」によって「ちょっと砂糖が入っている」ということが確かに表現される。そして「ちょっと甘い」、「甘すぎない」というポジティブなイメージを消費者は抱くのだ。

ではなぜ「微糖」が「少糖」・「減糖」・「低糖」よりもポジティブなのか。それは日本人が「微」という漢字に持っているポジティブなイメージの力を借りているからだ。

日本人は「微」という文字がついている言葉を肯定的に使う場面が多い。「微笑」、「微風」(そよかぜの意)、「微力ながら~」…。ささやかに、さりげなく、謙虚で奥ゆかしいニュアンスで使われる「微」がなじみ深い。

「微妙」という言葉も、日常会話では「ビミョー」として「いまいち」のニュアンスで使っているが、本来は「高尚で深淵な」感じや「なんとも言えない細かい趣」を意味する言葉だ。他にも、「微細」という言葉は単に「極めて小さいこと」なのだが「微細な作り込み」と言ったり、言葉を分解して「微に入り細に入りこだわった~」と言ったりしてポジティブに用いる場面が多い。

そんな「微」の力が人々に「微糖」の缶コーヒーを選ばせているのではないだろうか。

「微糖」缶コーヒーは「微味」なコーヒー

私はこの文章を書いていて「微糖」こそが最もこだわった繊細な缶コーヒーのような気がしてきてしまった。「微糖」缶コーヒーは奥深い味わい「微味」を気軽に楽しめるありがたい存在なのかもしれない。

今度缶コーヒーを飲むときは「なんとなく」ではなくハッキリと強い意志を持って「微糖」を選び、ほどよい苦みと甘みを楽しんでみようと思う。

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