【読書メモ】群像2024年10月号~「西瓜糖」を検索せずにいられるか?

思えば昔から本の中の「おいしそうな場面」ばかりを好んで読むこどもだった。

ローラ・インガルス・ワイルダーのシリーズでは豚のしっぽをじゅうじゅう焼く場面やカエデの木からメープルシロップを採取する場面。

『若草物語』ではクリスマスの朝のごちそうを「フンメルさんの家にプレゼントしてはどうかしら」と言うお母さまに「それはない」といまでも突っ込んでしまう。

そういうわけで図書館で見つけて嬉しくなったのが群像2024年10月号。

・エッセイ
「おいしそうな文学。」
江國香織/枝元なほみ/木村衣有子/くどうれいん/斉藤倫/最果タヒ/向坂くじら/関口涼子/武塙麻衣子/田中知之/崔実/中条省平/土井善晴/奈倉有里/野村由芽/花田菜々子/原武史/原田ひ香/平松洋子/藤野可織/穂村弘/堀江敏幸/益田ミリ/町田 康/三浦裕子/宮内悠介/宮崎純一/山崎佳代子

 

エッセイはどれも楽しく読んだが、中でも印象に残ったのはこのふたつ。

 

魅惑のミントジュレップ/花田菜々子

江國香織の『きらきらひかる』に登場する【ミントジュレップ】に憧れた中学生の頃。大人になってからミントの葉が入ったカクテルを見つけたが、それはモヒートだったとか。そしてここがすばらしいと思うのだが、筆者はミントジュレップを検索しないのだ。

しかしここまできて検索などできるわけがない。現実のミントジュレップは、おそらく私の頭の中のミントジュレップほどすてきなものではないのだから

憧れを憧れのままとどめておく。なんという勇気だろう。私にはできない。なぜなら実際に検索したことがあるからだ。それは「西瓜糖」である。

 

西瓜糖のない日々/藤野可織

ブローティガンの『西瓜糖の日々』を読み、私が真っ先にしたことは「西瓜糖」を検索することだった。それまでに思い描いていたのは「儚くて小さくて金平糖のような菓子」で、筆者も「薄いガラス片のような見た目の、かすかに冷たい、小さなお菓子」と理想の西瓜糖を想像していたらしい。おそらく大半のひとが同じようなイメージを抱いていると思う。

ところが実際に検索してあらわれたのは想像とはまったく違う形状のものだった。(興味ある方は検索してください)

筆者がすごいのは検索してもなお「私の西瓜糖」にこだわるところだ。

検索してみるとこの世には実際に西瓜糖というものが存在しており……(中略)でもそれは私の正解ではない。そんな西瓜糖は甘すぎるに決まっている。

検索してもなお「これではない」と言い切れる強さ。私など検索して「これが西瓜糖なのか……」としばらく呆然としたというのに。

そういえばそもそも原題は?と調べたところそのまんま『In Watermelon Sugar』

じゃあその『Watermelon Sugar』ってなんなのよ、とこれまた調べてみると思いがけないスラングがハリー・スタイルズの曲とともに紹介されており、ここでもまた「なんでも検索すればいいってもんじゃない」と思ったのだった。

このエッセイでは他にも江國香織の『きらきらひかる』が挙がっていたが、江國香織の作品は小説でもエッセイでも本当においしいものが印象的に描かれており、お酒を飲みながらおいしい文章を味わえる。ちなみに当エッセイで江國香織本人が挙げているのは庄野潤三だった。

その他、武田百合子を挙げているのが3人。(『ことばの食卓』、『日々雑記』、『富士日記』)武田百合子の場合は「まずい」ものを書いてあっても食べたくなる、とあり、また『日々雑記』を読み返したくなった。

私の好きな「おいしい文学」はとてもひとつには絞りきれないのだが、いまぱっと思いついたのはこんな感じ。圧倒的に女性作家が多い。

(「開幕ベルは華やかに」はジャンルとしてはミステリになるのだろうが、私にとっては「おいしいもの小説」である。)

おいしいものを食べながらおいしい文章を読む。悪癖なのかもしれないがこればっかりはやめられない。

 

 

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