楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

ミスターみたらし

風のように過ぎた一日だった気がする。すなわち、意味的なまとまりが乏しい。今日も昼前に起きた。昨日今日はこれといった用事もなかったので、好きなだけ寝た。昨日はついに午前5時ぐらいまで目を覚ましていた(夜更かしの限度が年々押し下げられていて、数年後には徹夜しているかもしれない)んだけど、起きたら案外スッキリとしていて、自分の体を自分の思ったように動かせた。これ自体ひさしぶりな感覚。

最近ネットで日記を書き始めた人の話をPodcastで聞いて、その人は日記を書くには日記を書くにふさわしい〈良い〉生活をしていることが前提になると思っていた(が始めてみるとそうでないことがわかった)という趣旨のことを言っていた。それと私が書いているようなものとは意味合いが異なるのかもしれないけど、ともかく私はそういうことを考えたことがなかったので驚いた──というか〈日記を書き始める決断〉みたいなものをしたことがなかった。

じゃあ私はいつ日記を書き始めたんだっけ? と洗い物をしながら振り返ってみると、はじめは中学生ぐらいの頃にゲーム系のサイトをやっていたんだっけか。FFFTPとかを見よう見まねで使って更新していた気がする(今思うと中学生でよくできたな)。そこに日記 (diary) のコーナーも設けていたんだった。当時、個人がやってるゲーム系のサイトとか音楽のレビューサイトをよく見ていて、でもって趣味系のサイトでもコンテンツの中に「日記」があるのはわりと普通だったんだよね。それで、メインコンテンツよりも「日記」のほうがときに面白いぞ(更新頻度も高いし──SNSのなかった時代だ)ということを感じるようになり、それで自分のサイトにも自然に設置していた気がする。

そのあと、そのゲーム系のサイトを畳んで、別のサイトを作るぞとなったときに、日記一本で出発することにして、それが何を根拠とした判断だったのかもう思い出せないけど、当時はもう(終わりかけていた)テキストサイト文化みたいなものも知っていたから、文章だけのサイトでも変じゃないという意識はできていたのかもしれない。当時は忍者ツールズのレンタルサーバを借りていて、やがてはてなダイアリーに参入したり、レンタルサーバがさくらインターネットのやつに移転したり、Twitterに参入したりして場所は変わったけど「日記」的な文章を発信するという基本ラインは変わらずに18年ぐらいインターネットで息してますよと。

なんか自分しかうれしくない薄い振り返りになってしまった。でもひさびさに思い出したなー。もう「物心ついたときには日記を書いていた」ぐらいの歴史認識になっていたよ。

今週の昼はカルボナーラを作りたいので成城石井でベーコンとパルミジャーノを買った。ついでにお菓子も。会計のときに目玉が飛び出る。しかしカルボナーラは自分の思う「ちゃんとした」素材でやりたいんだよね。そうでないとカルボナーラした甲斐がない。

夜にカラオケ。しっかり休んだおかげで声が出るようになっててよかった。しかし90分確保したわりには歌いたい歌がそんなにないことに気付いてしまう。2020年代にミスチルに出会っていたら絶対好きにならなかっただろうけど、いま「シーソーゲーム」とかをノリノリで歌えてしまうのは1990年代育ちの業か。聴き始めたのはリアルタイムではなくて後追いなんだけど。