小娘のつれづれ

一人で自分の”好き”を追いかけています。

「ある日他人のブログで自分が書いたはずの文章を見つけた」

まんまです。
今日、いつものようにはてなブックマークの人気エントリーを見ていたら、とあるブログで、ものすごく既視感のある文章に当たりました。

ていうかそれ私が去年書いたやつではないのか。

最初は引用なのかなと思って、前置きや参照リンクを探してみたんですけどさっぱり見当たらないし、それどころか、原文から微妙に言い回しや構成を変えて記事にされてる。
次に偶然なのかなと思いました、いやでも723文字、26行にも渡る文章が偶然そっくり出来上がるなんて、あるわけないじゃないか。


私個人としては、Tumblrで自分の文章がガンガン転載されていく事に関しては、結局書いたものを評価していただいてる流れでの事だと思うので、素直にありがたいという方向で受け止めています。
ただブログという形になると、ブログは(よっぽどの前置きがない限り)大抵受け手が「その人の言葉」という前提から読み進めていく場所になるので、そこで他人が書いてるものを「自分の言葉」として、しかも微妙に文章いじりながら発信されるのは、ちょっと違うと思うのですよ。


私がブログの文章に関して良いなぁと思ってるのは、ブログの文章には、どこかその人の暮らしが乗っかってる感じがあることなんです。
例えば私だと、このブログで書いてることは基本アイドルの話で、文意も基本は記事で読み取ってもらってる通りになるんですけど

それを書いてる自分の周りには、実際主題の他にもパソコンの周りに見えている景色があって、かかっていたテレビの音声、外を走っている車の音、あと時には書くのを中断して洗濯しなきゃとか掃除をするような瞬間もあったり

ブログの文章ってそういう人間の暮らし一つ一つが重なって、実は成立してると思うんですよね。
だから魅力があって、私は書き手としても、読み手としても、ブログの文章ってすごく好きです。

でもそういう経緯を全部すっ飛ばして、というかまるごとよその個人ブログから文章をもっていくのは、果てはその人がお昼に食べた肉じゃがの味とか、ふと外出した時に感じた冬の匂いとか、そういうものまで全部もっていってる行為だと思うんですよね。

すっげぇダセェ。

実はこういう事は、今までにも何度かありました。
ただ今回の場合は、はてなの人気エントリーに載っていたという事で、それなりにアクセス数もあったはずなので、さすがにスルーできません。
一応ブログに載せるまでには、人に読んでもらうという事も含めて唸って、ねじって、時には長時間費やして、やっとこさひねりだしてる私の毎日というものがあるので、いくら構成変えてもすぐわかりますよ。
それは、私が書いた文章です。


しかしこの手のことをあまりわーわー言うとりますと、私には「ぬっち」という悲しい思い出があるのでございまして、私個人としてはこれからも、素敵だなと思っていただける文章を書けるよう、日々精進してまいりたいと思います。

だって生きてかなくちゃ!(完)


<STORE>