まず若い世代の教育・福祉を

 メディア的には昨年ほど盛り上がっていない「事業仕分け」だが、聞こえてくる話はますますひどくなっていると思わざるを得ない。

 緊急性の高い高齢者福祉の予算を確保するために、緊急性の低い(と思われている)若い世代の教育・雇用関連の予算を削る、その結果、若者はますます年金や健康保険を支払う力がなくなり、少子化もどんどん進んで社会保障制度の危機が進行するという悪循環が、この10年来繰り返されている。「事業仕分け」は明らかに、それを一層加速させている。

 「無駄を削って福祉に」という場合、教育や雇用は全く含意されていない。だから、この超就職氷河期の下で公務員採用を激減して、若い世代の失業問題をより悪化させることに対して、何の矛盾も感じていない。上の世代は「仕事なんて探せばいくらでもある」(高度成長期には一応リアルだった経験に基づく)の一言で、そして経済人は「まず企業が成長してこその雇用」の一言で終わりである。言うまでもないが、失業問題の悪化は社会保障の崩壊の第一歩である。

 2000年代以降、高齢世代が世論の中心、選挙の票田になったことによって、もともと手薄な若い世代の教育・福祉は、ますます軽視される傾向にある。「改革派知事」などという人たちも、ほとんど票田である高齢世代に受けるようなことばかりしか言わない。「政治家が育児休暇をとるのは非常識」などと言い放った知事がいたが、まさに育児休暇とは何の関係もない(というかそういう制度が「有り得ない」ものだった)世代に受ける言説としか言いようがない。

 たぶんより事態を複雑にしているのは、若い世代の少なくない部分、特に「ニート」「ひきこもり」と言われるような人たちが、親の高齢者福祉によってなんとか生きならがえている側面があるところだろう。こうした「家族福祉」が、問題の顕在化を妨げきた側面は少なからずあるように思う。

 こういう事態になっても、行政不信や世代間対立を煽って問題の解決からますます遠ざけ、それで利益を得ようとしている政治勢力が学者が少なからず存在している。そして事態が悪化すればするほど、こういう言説が説得力を強めていくという悪循環にはまっている。

 まず若い世代の教育・福祉を充実させることが持続的な社会保障の第一歩であり、そのための負担を社会全体で少しずつ分け合うべきであり、そのことが結果として国民全体の負担感を減らしていくという、この程度の当たり前のことが語れないほど、今の日本は絶望的な状況にあるのだろうか。

 (追記)

 「事業仕分け」が「骨抜きになっている」「所詮はパフォーマンスだったか」と批判されているが(やる前から予想されてはいたが)、誤解を恐れずに言えば、非常にいいことだと思う。「無駄の削減」でダメージを受けるのは霞ヶ関官僚だけではない。むしろ、「無駄遣いの削減」の名の下に、政府の分配に依存しなければ生きていけないような人々が、真綿で首をしめるように苦しめられることになる。「事業仕分け」の主要なターゲットになっている、雇用や科学技術・アカデミズム関連の底辺にいる人は、特にそうである。

 予算不足と赤字財政の解消は、経済成長と税制の改正(特に所得税の累進強化)という王道で行うべきであって、「無駄遣いの削減」など景気回復が軌道に乗ってからゆっくりやるべきである。いま「無駄遣いの削減」なんてやっている場合じゃないことは明らかだ。それとも、自分の頭が異常なのだろうか。