公務員数は多すぎるのか

 マスメディアでまったく出ててこないが、日本が先進国の中で統計上公務員数が少ないということは周知の事実である。しかし、日本では多くの人は公務員の数は、多すぎると感じている人が少なくない。私は組織の効率化や賃金体系の見直しを前提に増やなければいけないという立場だが、おそらく公の場でそれを口にすれば「時代に逆行」「社会主義的」とバッシングされるのは目に見えている*1。

 おそらく諸外国では、公務員がそこそこ多いほうが社会サービスや雇用も充実し、市場経済にとってもよい環境を創り出すことを経験として理解している。医療・介護・育児・教育・職業訓練を個人、家族、地域の自助努力に委ねることのできた時代は過去のものになった以上、公務員を税金で雇って仕事を任せたほうが国民全体の負担は減る。そして景気が悪いときの雇用のクッションにもなる。

 そして民間企業にとっても、そうした低所得者・貧困者を相手にしなければならない分野は政府に任せて、消費能力・意欲の高い人たちだけを相手に商売をしていたほうが、より活力のある健全な市場競争を可能にするはずである。公務員増と、行政の効率化や規制緩和・経済成長が決して矛盾しないことは、別に専門家でなくても理解できることだ。しかし日本では、公務員を増やすと「社会主義に逆行」するかのような、大学生のレポートでも赤点の理解が真面目に大声で語られている*2。

 公務員が減り、医療・介護・育児・教育・職業訓練といった分野の業務を民間に委ねるとどうなるか。膨大な低所得者・貧困者を相手にしなければならない、これらの分野で働く労働者の待遇が銀行員並みによくなることは、基本的にありえない*3。待遇が悪ければ労働者は集まらず、結果的にサービスの質や供給量も悪化せざるを得ない。かといって労働者の給与を上げようとすれば、その企業が破綻してしまうことになりかねない。繰り返すように、こうした矛盾が結果として市場原理そのものへの広範な不信感を生んでしまう。

 ギリシアの財政危機が公務員が多いのが原因だという、変な話が流通している。緊急避難的に減らさなければならないとしても、まず理屈としてよくわからない*4。そもそも公務員の人件費で財政が破綻した、などという例が過去にあっただろうか*5。


(追記)

 ギリシアに比べて、日本が国際比較で議員数や公務員数が少ないほうであり、公共事業もすでにかなり削減されており、一人当たり労働時間もきわめて長いのに、これだけの財政赤字を抱えているというのはまさに異常と言ってよい。ギリシアと日本を比較する人がいるが、比較するのが無意味なほど条件が違いすぎる。日本の財政赤字はデフレを放置し、必要な予算と再分配を税ではなく国債でまかなってきたという単純な理由によるものと理解すべきで、いまだに「無駄がある」と騒いでいる連中は、まさに国民全員のハードワークで乗り切ろうという竹槍精神主義としか言いようがないだろう。最近「これは税金の無駄」と思ったのは、茨城空港の話くらいで、それも昔に比べてかなりみみっちい。

 とにかく、みんな社会問題のすべてを「行政の無駄」のせいにしたがっていて、それを虫眼鏡で血なまこになって探してまわっている。これを異常だと思っているのは自分くらいなのかなあ・・・。

*1:もちろんそうなっているのには、それなりの理由があるわけで、私も理解できる部分は少なからずある。これについては、また改めて論じたい。

*2:公務員削減に反対しているのが共産党だけなので仕方がないと言えばそうなのだが。

*3:一部にそういう事業者が出現してメディアで好意的に扱われることはあるが、全体がそうなることは断じてない。

*4:労働人口の25%が公務員というのは一見多いように思うが、人口千人あたりの公務員数はフランス、ドイツ、イギリスといったEUの中心国よりも少し少ないぐらいだしhttp://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/5190.html、公務員労組の発言力が高いことも変わらない。少なくとも、ギリシアが極端に「大きな政府」であるとは言えない。EU諸国の今までの状況を見ていると、似たようなことが起こればフランスやドイツでもデモや暴動が即座に発生しただろう。

*5:「行政の肥大化」で最も問題なのは、人件費ではなく統制力の弛緩(いわゆる大企業病)による、行政の非効率化と機能不全である。つまり組織が複雑化し、目の前の仕事の意味を理解している人が組織の中に誰もいなくなって(また考えるのも面倒くさくなって)、重大な問題が起こるまで放置されてしまうことである。「仕事をサボっている」という批判される実際の内容のほとんどは、おそらくこれだろうと思う。