仮文芸

現代邦画とSFの感想

ピーター・ワッツ『エコープラクシア 反響動作』

エコープラクシア 反響動作 上 (創元SF文庫)バイオな災厄が男に活躍の場を与えてハーレムが形成される機序は逆転していて、能力につり合わない厚遇を裏付けるために災厄が引き寄せられる。寄生物学者の技能が役に立たない状況に無能感をあおられる一方で、役に立つ強化人間たちが男を好きすぎるのはいかにもイメクラめいている。能力と待遇のギャップを埋めハーレムを根拠づける工程は、文士の邪念を鎮めるどころか人間を称えるSFのうぬぼれへとそれを拡張する。


強化人間に覚える学者の劣等感は人生的な課題の派生にすぎない。強化人間には階層がありその頂点に君臨するのは学者の妻を寝取ったAIである。AIハンターだった妻はAI殺しに耐えられなくなり、夫と肉体を捨てて集合意識のネットワークに自分をアップロードしたのだった。学者の課題に対応する工程はしぜん強化人間に対する生体の利点を列挙していく人間賛歌となる。


強化人間には生体への羨望がある。彼女は学者とゲームを対戦したがる。生身の人間とやっても勝負にならないのだが、AIとは異なる感触を求めて人とやりたがる。軍人は君のそばかすが気になると言ってくる。吸血鬼は健診と称して口内に深々と舌を突っ込んでくる。旧弊の生身を好きすぎるのは屈辱であるから、彼女たちの愛情表現は屈折してくる。


生体への羨望は究極的には肉体のアウタルキー性に行き着くだろう。文明の支援が絶たれてしまえば強化人間は活動できず、電力の供給がなくなれば妻はネットワークとともに消滅してしまう。学者は未練でめそめそし、妻の方は夫のアップロードを待つ望んでいる。一回限りの人生を送る夫が彼女には勇者に見える。


強化人間の自閉的な臨床像もくすぐりになるだろう。学者の過失によって彼女は伴侶を失っている。長年追ってきた仇を前にして強化人間は学者をそれとして認識できない。人の目を見られないのだ。


「あたしが強いのは数字だけで肉体空間はよくわからない」


よくわからないから好意がヤンデレめいてくる。


強化人間の視点に同化すれば彼女の自閉的な造形は自閉的な読者への迎合となるだろう。男の視点に立てば健常者の優越感が調達されるだろう。観測者の立場を担い読者と同化してきた学者の視点は強化人間の心理に引き寄せられ、ひそかに彼我の境界が曖昧になり始めている。


学者の行動は当初からハックされている。女が仇を前にして認識できないように、男はハックを自覚しながらも行動を御しえない。視点の揺らぎは、ハーレムを後から根拠づけるために災厄を招く予定や宿命の感覚と互換している。最強の吸血鬼が根拠のない好意をあけっぴろげにしたとき、学者は彼女を加害して読者の抱くハーレムの予断を裏切る。公開されてきたハーレム主人公な男の内面はフェイクであり、ひそかに受け手の視点から男を切り離す方策でハックが表現されていたのだ。