松嶋クロス
まつしまくろす
現役時代はマトイ(特攻服)、バイクおよびステッカーのデザインや、仲間の集合写真の撮影などの暴走族限定のマスコミ的な役回りをしていたなど、不良・暴走族業界でも指折りのインテリヤンキーであった(さらに、敵対組織の人間にあられもない行為を強要した写真を撮影し、後年インタビュー雑誌に掲載)。
暴走族を引退後、現役時代に培った技能を生かしてAV監督や音楽プロデューサーとしてデビューし、そこでも辣腕を振るった。また、暴走族全盛期および関東連合の生き証人の1人としてインタビューに応じ、また当時撮影した写真も掲載するなどした。
後にかつての仲間による市川海老蔵暴行事件が報道された際には、(海老蔵の素行不良を知っていたかは定かではないが)その仲間を擁護するためにマスコミを使い、海老蔵に対するネガキャン・バッシングのプロモーションを取り仕切る。そのためか、当時の海老蔵の記者および謝罪会見が2、3週間以上長引いた。
これまでの既成概念的にありがちなAVの内容の額縁を外し、「異色」と呼ばれる作品を世に送り出す。後にAVメーカー「クロスワールド」を設立するが、このとき24歳であり、AV業界史上最年少の異例の出来事であった。
さらに、インジャン古川と共にAVメーカー『古松映像』を設立し、ある作品で「オレンジ通信最優秀監督賞」および「ビデオ・ザ・ワールド準優勝」を受賞。
そのまた新たにAVメーカー『CRØSS』を設立。そこでも「2006年度オレンジ通信編集部が選ぶアダルトビデオ第1位」に作品の1つに選ばれるなど、その他数々の賞を獲得するなどその業界で大活躍したが、同時に数々の問題作を発表していた。
次第に仕事の限界を感じたのか、2007年6月9日にて、インジャン古川と共にCAMPAKEX解散および自身の監督引退を突如発表。一部の熱狂的なファンは衝撃を受けたため、松嶋の功績を称えて松嶋本人監修の下、7月に『松嶋クロスを後世に伝える会』が発足される。
引退作品『さっちゃん』のリリース後、AV監督を引退した。
しかし、覚醒剤所持及び使用により逮捕された小向美奈子が釈放後、フィリピンに出国。これを聞きつけた松嶋は彼女のもとに赴きAV撮影の交渉を持ち掛ける。度重なる拒否を受けるが辛抱強く交渉した結果了承を得ることに成功し、かつての撮影クルーを現地に呼び出し再びAV監督として活躍する。
『ギロッポン』で有名な鼠先輩の芸能界での活躍をサポートをしていた。また、音楽プロと並行してAV監督をやっていた折、2005、6年のMOODYZ感謝祭にて、古河とともに「CAMPAKEX」というバンドで参加していた。