概要
GG1はペンシルバニア鉄道が発注した交流電気機関車である。1934年から1943年にかけてゼネラル・エレクトリック社で15両、自社工場のアルトゥーナ工場で124両の合計139両が製造された。
デザインはドナルド・ドーナーとレイモンド・ローウィによる合作であり、そのデザイン性からアメリカの電気機関車の中でも特に有名である。
導入
当時のペンシルバニア鉄道では最新鋭のP5型電気機関車が存在していたが、増大する輸送需要に出力が見合わず非効率な重連運転や重量列車牽引、高速運転を強いられていたうえに、さらに悪いことに高負荷運転によってP5型の台車枠に亀裂が生じるなどの故障が発生した。
この状況を打開するために高出力で足の速い電気機関車を製造することとしたペンシルバニア鉄道は、手始めにニューヘイブン鉄道からEP-3型電気機関車を借りてP5型と比較した。
その結果、P5型よりも好成績を記録したため新形式の本格的な設計・製造に漕ぎ出し、1934年にGG1型とR1型の試作機各1両を落成した。
GG1型は軸配置2-C+Cー2、R1型は軸配置2-D-2であり、固定軸距が長いR1型では曲線や分岐器の通過時に脱線することがあったため、R1型は量産されずにGG1が量産されることとなった。
デザイン
その姿形から非常に有名になったのは事実であるが、元々の原型となるデザインは前身となるP5型の内のP5a型、さらにそれに踏切事故対策に運転台を中央に寄せたP5a(modified)を源流とするもので、これをデザインしたのがドナルド・ドーナーである。
このスタイルをGG1とR1にも流用し、ついでに量産車を作る時にリベットを溶接に置き換える形で洗練された形に仕上げたのがロナルド・ローウィである。(よってGG1の試作車とR1、P5aの事故対策車に関してはリベット車体となる)
ちなみに後のDD2型電気機関車にもこの洗練されたスタイルが引き継がれたが、こちらは1両のみの製造に終わった。
運用
6動軸の電気機関車であるがモーターを1軸で2基搭載し、計12基のモーターを使うという化け物のような性能のおかげで、運用においては超花形の特急から通勤列車、長編成の貨物列車までなんでもこなす汎用機関車として大活躍をした。
その後、一部の車両がブレーキが効かなくなって頭端式ホームに突っ込んだり(後述)、豪雪で電気部品がイカれたり、車体を半分にぶった斬られて入れ替え機とも除雪車とも言われる改造を施されたりしながらも大活躍し続け1983年に完全に引退した。
以上の詳細は他の方が細かく解説しているのでそちらをお勧めする。(前後編に分割されています。この動画は前編です。)
事故
1953年1月15日、ボストンからワシントンD.C.に向かっていたフェデラル・エクスプレスを牽引中のGG1#4867号がブレーキの不具合で暴走列車と化して、時速56kmでワシントン・ユニオン駅の頭端式ホームに突っ込む事故を起こした。
列車は車止めを突き破り駅長室、さらには売店を破壊して駅のメインホールまで突っ込んだ。その数秒後に列車の重量に耐えきれなかったメインホールの床が崩落、地下室が崩壊して機関車と客車数両が落下した。
まさに大事故であるが機関士の非常警笛、車掌と駅員の緊急避難行動により利用客に死者はなく、機関士、機関助士ともに生存、さらに地下室での作業員もコーヒーブレイクのために退出中であったため人的被害は怪我人のみという奇跡であった。
しかしながらこのワシントン・ユニオン駅は5日後に控えたドワイト・D・アイゼンハワー大統領の就任式で使用予定であり、そのタイミングで起きてしまった事故で見るも無惨な姿となってしまった。
しかしながらアメリカの底力により24時間体制で脱線した客車の撤去を行い、駅長室と売店を修復し、撤去に1番手間がかかるであろうGG1を地下に落としたまま(要は放置)その真上に板とアスファルトでホールの床を仮復旧して就任式に間に合わせた。
式の終了後はGG1の車体を3分割してアルトゥーナ工場へ輸送、再結合してその後30年も活躍するという復活を遂げて、現在では博物館にて保管されている。(なお現在は修復待ちでボロボロである)
*ちなみに車体を切断して繋げ直すという荒技は、当時の電気機関車がアーチキューレート式(台車牽引式:日本ではEF58やEF15などの旧性能電機が該当)といって車体が牽引力を負担しない構造だったためであり、EH10以降のボギー台車を用いるスイベル式(車体牽引式)では車体に牽引力が伝わるため、強度の問題で今の電機で同じことをする例はほぼないと見られる。
余談
流石に老朽化が進行してきた70年代前半にはアムトラックにおいて後継機であるゼネラル・エレクトリックのE60型電気機関車が登場したが、これがなかなかの問題作で高速走行中に脱線する癖がありGG1を置き換えるには程遠い結果となり、結果的にはスウェーデンからRc4型電気機関車のX995、フランスからゲンコツスタイルのCC21000型電気機関車のX996をレンタルして実際にアメリカの線路を自走させて比較した。その結果Rc4をベースとしてASEAとEMDが協力してAEM-7を製造することとなり正式な後継機が決まった。
名機の置き換えにもいろいろな試行錯誤があったのである。