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戦艦武蔵

せんかんむさし

第二次世界大戦中に建造された大日本帝国海軍の大和型戦艦の二番艦。当時は武藏と表記された。この名を持つ日本海軍の艦船としては3隻目。
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概要編集

大和型戦艦の2番艦として三菱重工業長崎造船所にて1938年起工、1940年進水、1942年竣工、1942年就役。

戦争後半にマリアナ沖海戦、第三次渾作戦などに参加するが、戦果を挙げることはできなかった。


1944年10月のレイテ沖海戦に参加。24日、シブヤン海で米軍機の攻撃を受けて艦隊から落伍、その後も波状攻撃を受け続け、魚雷20~33本被雷、爆弾17~44発命中、至近弾20発以上(諸説あり)という、軍艦として空前絶後の損害を受けて戦没した。

沈没間際の酸鼻を極める艦上の有様は、当時、武蔵の水兵だった渡辺清氏の『戦艦武蔵のさいご』に克明に描かれている。

武蔵は建造段階で防御が強化され、溶接の品質も向上し、実質的な防御力は大和を凌駕していた。4軸あるスクリューの1つは沈没時まで動作していたという。

宇垣纏は武蔵沈没に際し、戦時記録に後の大和の悲劇的運命を予見するかのような記述を残している。


沈没原因編集

魚雷で水線下の装甲とバルジが破壊され、船体の継ぎ目からの浸水が徐々に増加し、バランスと浮力が失われて転覆、沈没した。この際、機関室か弾薬庫が原因らしき水中爆発が確認されている。Mk.13航空魚雷を20発食らって9時間も浮いていたのは武蔵だけであり、米軍を驚かせた。

沈没時に水中爆発が二回あったが規模は大きくなく、キノコ雲が立ち昇る大爆発でバラバラになった大和と比べ比較的原型を保っている。


諸元編集

新造時

全長263m
全幅38.9m
基準排水量65000t
満載排水量72809t
武装
  • 45口径46cm三連装砲塔3基
  • 60口径15.5cm三連装砲塔4基
  • 40口径12.7cm連装高角砲塔6基
  • 25mm三連装機銃12基
  • 13mm連装機銃2基
航空兵装
  • 水上偵察機/水上観測機7機(カタパルト2基)
装甲
  • 舷側410mm
  • 甲板200mm
  • 主砲防盾650mm
  • 艦橋500mm(最下部)
速力27.5ノット
乗員3300名

最終状態

全長263m
全幅38.9m
基準排水量64000t
満載排水量72809t
武装
  • 45口径46cm三連装砲塔3基
  • 60口径15.5cm三連装砲塔2基
  • 40口径12.7cm連装高角砲塔6基※
  • 25mm三連装機銃35基
  • 25mm単装機銃25丁
  • 13mm連装機銃4基
  • 12cm28連装噴進砲2基
航空兵装
  • 水上偵察機/水上観測機7機(カタパルト2基)
装甲
  • 舷側410mm
  • 甲板200mm
  • 主砲防盾650mm
  • 艦橋500mm(最下部)
速力27.5ノット
乗員3300名

※大和と同じく12基に倍増する予定だったが、砲の調達が間に合わず、砲座上には25㎜機銃が載せられた。

また、十二糎二十八連装対空噴進砲2基を載せたとする証言もあるが、証拠は発見されていない。


戦後の知名度編集


『戦艦武蔵のさいご』で一定の知名度は得たものの、国民的人気を得た大和には到底及ばず、大和の影に隠れている。海中探査も、昭和後期に海中探査が一回行われたものの、断念した以後は一切の調査が行われていない。大和が複数回にわたって大々的に行われ、その詳細図まで判明しているのとは対照的である。


大和と同じ姿を持っていながら、大和の影に徹し、レイテ沖海戦の生き残りの多くが口封じにマニラ戦に駆り出されたりして戦死してしまった(とはいえ最終的に300余名程度が戦後まで生き延びている)事も手伝って、武蔵が顧みられることは少ない。レイテ沖海戦から幾星霜の月日が経過していく中、シブヤン海に眠る彼女が光を浴びる日は訪れるのだろうか。


発見された海底の武蔵編集

戦後、武蔵の船体の捜索が行われたが発見されなかった。昭和後期にも僚艦が報告した地点等の海中探査が試みられたが、探査機の能力不足などにより残骸一つ発見できなかった。

その戦艦武蔵が2015年3月3日、シブヤン海の深さ1000m以上の海底に沈んでいるのが発見された。

発見したのはマイクロソフト創設者の1人、ポール・アレン氏。氏は以前にも戦艦ビスマルク等を発見している海洋探索家でもある。


艦首は横に少し傾斜した状態で海底に着底しており、菊花紋章は脱落し台座痕のみが残る。艦首左舷側の錨が無いのは、沈没時に左舷の錨を切り離したという記録と一致する。46センチ三連砲塔は大和同様抜け落ち、据付用の穴が開いていた。15.5センチ三連砲塔は近くの海底で、砲身が抜け落ち沈澱物に埋もれた状態で発見された。画像は出ていないものの、主砲塔の場所も特定されている様である。


第一艦橋と夜戦艦橋は大和と同じように脱落して半壊しながらも、横倒しの状態で残っている。

艦橋頂の15メートル測距儀の基部に、観測用窓と思われる開口部が多数発見された。この開口部は資料として残っておらず、新発見である。

航羅針盤艦橋横の射撃指揮装置近くに、シールド付きの三連機銃が発見された。これまでの定説では、武蔵の三連機銃は「シールド無し」となってた。


タービン周辺が剥き出しであることから、右舷の装甲は爆発で吹き飛んでると思われ、周辺に主煙突の残骸等もあり、機関部周辺のものと思われるバルブハンドルの下に「主」・「弁」、上に「開く」と刻印されていた。


艦尾の下部分は横転して海底に着底し、スクリューや巨大な舵も転覆した状態で発見された。4つあるスクリューの内3つはほぼ無傷であったが、1つは軸から折れ曲がっている。また主舵には至近弾による変形や赤褐色の塗装が見える。

艦尾末の甲板に設置されていた水上機用カタパルトと、移動用レールターンテーブルを持つ飛行甲板が水平に海底に着底していた。艦尾の下部分は横転しているため、沈没時の爆発で上部と下部が分かれて着底したものと思われる。

日本語が書かれた金属板は、艦尾の水上機用カタパルトの操作説明と判明している。


周辺には機銃や高角砲、砲弾、着弾観測機器、水上機の主翼の残骸等の残骸が散らばっている。状況から見て戦艦武蔵の船体は、艦首周辺・艦尾上部・艦尾下部と大まかに3つに分かれている様である。


このニュースに対し、「武蔵は自分たちが9年前に見つけていた」と反論するグループも現れたが、公式な発表もなかったこと、アレン氏は発表と同時に武蔵と確定するに十分な映像を配信していることなどから、今後もアレン氏が発見者となる事には変わりがないと思われる。


都市伝説編集

なかなか見つからない海底の武蔵に、「戦艦武蔵は未浸水区間に詰まった空気のおかげで浮力と自重が吊り合い、水深1000m超で強い潮流のあるシブヤン海では着底前に深度が安定し、沈没時の姿で海中をさまよっている」という都市伝説があった。

微速で海底を進む巨大な影を漁民が目撃したという話もあり、創作のネタに使われ、『超時空戦艦まほろば』(松本零士)では海中を彷徨う戦艦武蔵が描かれている。


また、戦艦武蔵に関しては、他にも次のような都市伝説がある。

  • シュロの繊維が一時、市場から消えた。
  • 船体が完成して進水させたところ、近隣で床上浸水に至る波が発生した。

主砲発射編集

2015年5月6日、46センチ砲を発射する武蔵の写真を、元乗員の遺族が発見した事がニュースとなった。

戦艦武蔵射撃中。

↑発見された写真を模写したイラスト

これまで大和型戦艦の主砲発射を捉えた写真は、サマール沖海戦坊ノ岬沖海戦にて米軍機から遠方で撮影されたものは確認されているが、日本側によって撮影されたものは1枚も存在しておらず、大変貴重である。

写真は艦尾側から撮影され、落ち着いた撮影状況に見える為、完成直後の射撃訓練と推測されている。艦橋を上回るほどの発砲炎、衝撃波の走る海面、それに動揺する様子もない武蔵の船体など、どれをとっても規格外である。

この写真は今後、大和ミュージアムで公開される予定となっている。


ハイスクール・フリート編集

2016年に放映された『ハイスクール・フリート』に横須賀女子海洋学校所属の超大型直接教育艦として登場。艦長・知名もえから首脳陣4人を除く乗組員全員がRATtに感染しているため行方不明になり暴走、横須賀に艦を進めたため晴風と応援に駆けつけたアドミラル・シュペーや比叡ら5隻の働きにより、辛うじて制圧することに成功した。


関連タグ編集

大和型戦艦 武蔵(艦隊これくしょん) ムサシ(蒼き鋼のアルペジオ)

ハイスクール・フリート

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