絶対テメェの距離で戦わせねえ 敵のいいところを出させねえのも戦闘だ 俺は現役時代からそうやって勝ってきた
CV:畑耕平
公式サイトでの解説
昔ながらの任侠を重んじる性格で、生きる伝説とまで言われた男。
元ボクサーで東洋太平洋チャンピオンに輝いた経歴を持ち仁義外れの腹を容赦無く掻っ捌く。
羽王戦争にて城戸丈一郎と激突し、立ったまま殉職した。
概要
住所 | 天羽組 |
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誕生日 | 1月13日(山羊座) |
通り名 | ドスの工藤 |
身長 | 175cm |
2021年10月3日の動画にて初登場。
シリーズ主人公・小峠華太が所属する極道組織「天羽組」の武闘派組員。
小峠の兄貴の一人で、「ドスの工藤」の異名を取る。その通称通り、ドス(短刀)の卓越した腕前を持つと共に、かつてはボクサーとして東洋太平洋のチャンピオンに昇り詰めた実力者でもあり、軽やかなフットワークを持ち味としたスピーディかつ超速の攻め手を得意とする。また、仁義を重んじる任侠としても知られ、その実力・人望を合わせ、界隈では「極道界の生きる伝説」とも評される存在でもあった。しかし、関西の天王寺組との「羽王戦争」の第一陣・城戸派との戦いにて、派閥ツートップの浅倉潤・城戸丈一郎との連戦の末に死亡してしまう。
役職名は公表されていないが組織内では(生前まで)組長の天羽桂司と若頭の阿久津敏朗に次ぐ天羽組のNo.3であったことが正式に明かされた。本部長だった戸村に舎弟頭のツルハシの喜多川と火炎瓶の南田がいずれも存命だった時はNo.5及び6だったと思われるが戸村が殺害され喜多川と南田が相討ちになったため戸村さらに喜多川の後任として本部長に就任していたと思われる。また、後述の水産加工工場などの管轄を請け負っている他、舎弟たちの近接戦闘の指導を行っていた。構成員内の兄弟の序列は当時最年長で(2022年1月14日付の動画より)、実際に作中現時点で構成員最年長の野田一はかつて工藤の直属舎弟であり、二番目の須永陽咲也は工藤との喧嘩に負け天羽組に入れられた過去があった。また工藤の死からしばらく後、第二陣・戸狩派が関東入りした頃に、工藤の息子である工藤亘清が新米組員として天羽組に加入している。
(※ 混乱を避けるため、以下「工藤」表記は基本的に本項の工藤清志を指すものとする。)
容姿
25年前にはすでに一人前のヤクザとして警察にも名前を知られていた事から、推定年齢は50歳前後と思われる。鋭い目つきと頬骨の張った厳つい印象を与える強面な男で、髪は黒のオールバック、素肌の上から紫地に蝶柄のカッターシャツを着用している。また前面のボタンを開いて引き締まった胸や腹部を曝け出していることも多く、右胸には(全貌は不明だが)黒い縄目模様が円を描いた刺青を覗かせている。小林幸真以降、全体的に少年誌寄りのデザイン(特に髪や瞳の色が顕著)をした裏社会関連のキャラクターが多くなった中、現実寄りのヤクザ像を体現したようなデザインとなっている。
また、その異名の通り戦闘時にドスを用いるが、この際に一緒に数珠も握っており、おそらくは和中蒼一郎の口ずさむ「南無阿弥陀仏」の念仏と同様、これから死者になる相手への手向けの意志の表れとおもわれる。
因みに若い頃の姿も作中何度か登場しており、基本は髪を逆立てたスポーティな短髪、服は同じ蝶柄のカッターシャツであるものの別の蝶で渦巻き模様があり、蝶の色が薄紫色である。25年前の管轄の水産工場前で警察と揉める場面ではリーゼントヘアーとなっている。特に前者の姿は現在の息子・亘清と非常に似ており、初めて顔合わせをした野田・須永・小峠は驚きのあまり硬直していた。
性格
一言で言うなら、まさに「任侠道の体現者」と呼ぶべき組内屈指の人格者。
昔ながらの仁義・任侠精神を重んじる生真面目な性格の男で、他の武闘派の兄貴達と違って個性的な奇声を上げることはせず、沈着冷静で落ち着いた態度は戦闘中でも変わることはない。しかし、生き死にの勝負になれば手加減しないのは他の武闘派の兄貴と同じであり、人の道を外れた者や極道を舐めた者に対しては容赦なくドスで粛清し、特に仁義外れの行動をした者に対しては怒りを顕にしている。
また、舎弟の面倒見も良く仲間想いであり、仲間や恩人が殺された際には涙を見せることもある。若手の指導も積極的に引き受けており、天羽組に入門した者はまず彼の下でドスの扱い方を学び、接近戦の基礎を修得した上で自分の得意な戦法を編み出していくという。一方で野田や永瀬光一に酒や食事を奢る際は安めの物にするように促す等少々ケチな面もある。最も天羽組は京極組程、大所帯ではない上に後述の家族のことを考慮すればそうなるのも妥当であると思われる。
狂人と呼ばれる兄貴達の中では穏健な方ではあるが、それでも後述の通り冷凍庫の中に隠した敵の死体を証拠隠滅のために冷凍魚用の裁断機でバラバラに解体した上、ミキサーにぶち込んでミンチにするというおぞましい作業を眉ひとつ動かさず淡々と行ったり、才ある者とのかち合いでの攻略法にあえて腹を刺させて相打ちに持ち込む「捨て身」を舎弟に伝授するなど、狂人と呼ばれるだけの要素は少なからず持っている(ただし証拠隠滅の方法は後述の台詞から彼なりの仁義に基づいた方法かもしれない)。
普段は物静かで滅多に怒ることはなく、舎弟の質問や相談にも丁寧に答えてくれる面倒見の良さから、小峠からも深く信頼されている。しかし、たとえ冗談であっても組に害が及ぶような提案をした舎弟に対しては鉄拳制裁も辞さない。
このように真面目で思慮深い理知的な性格から、視聴者からはかなり好感度が高く、一部の視聴者からは阿久津に次ぐ将来の組長候補に推薦する意見も上がっていた。また、基本的に極道を忌み嫌っている拷問ソムリエの伊集院茂夫からも一目置かれており、伊集院は工藤に限って「さん」付けで呼び敬語を使っている(後に伊集院は野田や京極組の六車謙信に対しても敬語を使っていることが判明しているが、工藤に対しては心の声でも工藤「氏」なのに対し、野田や六車は呼び捨てであることから、いかに信頼されているかが分かる)。我が強く個性的な者も多い狂人兄貴達も工藤に対しては敬意を払っており、組内での人望が非常に厚いことが分かる。実際、和中や小林も工藤の存在のおかげで真っ直ぐに育つことができたと言われており、彼の存在が天羽組に与えた影響力は計り知れない。
自分のドスを舎弟に預けることがあり、初登場の動画では小峠からドスを受け取ったり預けたりしている場面が描かれていた。しかし、他の動画では自分でドスを持ち歩いており、ドスの管理の仕方は一貫していない。
能力
天羽組の中でも随一と言えるドス(短刀)の使い手として知られる。
永瀬はじめ舎弟へのドスの訓練の際によく発していた「ヘソをぶつける」という表現の通り、ドスを両手で腹部前にガッチリ構えた状態で体当りするかの如く相手の懐に飛び込み、柄尻を押し込んで相手の腹中央に深々と突き刺し、一気に振り上げて掻っ捌く…という一連の動作を基本とし、この戦術は小峠ら他の組員のドスによる戦闘描写でもよくみられる。工藤独自の持ち味は、かつてインファイトスタイルでボクシングの東洋太平洋チャンピオンとして培ったフットワークにあり、各戦闘でのトドメの場面では、前のめりの体勢での凄まじい踏み込みで一気に相手の間合いを詰める様子が描かれている他、銃で応戦する相手にまるでパンチを避けるかのような堂に入ったステップでスルリスルリと躱す姿もみせている。
また天才的な精度を誇る「ドス投げ」の名人で、遠距離の相手の腹に目掛けて投擲したドスを突き立ててみせている。更には、そこから流れるように刺したドスに突き蹴りを与え、腹の奥深くまでえぐり抜いて死に至らしめる「死のヤクザキック」を得意技とする(もっとも、これが披露されたのは初戦闘のみとなった)。
当然、ボクシングで鍛え抜かれた拳そのものも顔面が陥没するほど強力。また厳粛なルールが布かれている「ボクサー(スポーツマン)」ではなく時に殺害も辞さない「ヤクザ」という立場もあり、本来は禁じ手である蹴りや頭突きなどにも臨機応変に順応する他、肘や膝等の関節部を正確に破壊する事で相手の行動を封じるなど、間合いを詰めた戦闘においてはトップクラスの実力を誇る。
高い速度と高度なテクニックを併せ持つ王道のテクニカルファイターである彼だが、気配遮断にも優れており、京極組最高戦力の一人で気配察知に優れた一条康明が「気配が読みにくい」と評する程(ただしこちらを城ヶ崎賢志とする説もあるが、厳密に言えばこれは一条に特定して攻撃しているわけではなく、京極組そのものを狙ったものである為真偽は不明。因みにその時、一条は「須永ともう一人」と言っており、当時須永と行動を共にしていたのが工藤である)。
また、他の戦闘熟練者たち同様に、相手の目を見てその人物の本質を見抜く術にも長けており、初戦闘のエピソードでは天羽の自宅に空き巣に入ったことに白を切るチンピラの嘘を見抜き、逆に当初赤ん坊の誘拐犯と疑った佐竹博文、慈愛の会へのカチコミで遭遇した愛天雄の紅林二郎と如月には、それぞれ最初は威圧的に睨んで問いを投げかけつつ、人情や仁義を持って行動している真意を即座に理解し協力的に接している。
人間関係
天羽組(田頭組)
「馬鹿野郎が!! 邪魔なやつじゃねぇ! 仁義外れな奴を殺るんだよ!」
「俺たちは極道。男の道を極めるのが生き方だ。無駄に殺したり弱い者をイジメるのは仁義に反する! お前からしたらほとんどの奴は弱い。暴力を振るうなら仁義外れ相手だけだ! わかったか!?」
小林は組に入門する前は暗殺者ギルド「CODE-EL」の暗殺者、また海外の紛争地にて傭兵として活動し、ギルドでの幼少期からの洗脳教育、本来は2年で心を壊すとされる傭兵稼業を5年もこなしていた反動で、当初は現在より更に人間性が欠落しており、些細な喧嘩でも相手を殺害することもしょっちゅうで、組内でも誰も近寄れない程荒んでいた。そこに工藤が「無駄に殺したり弱い者をイジメるのは仁義に反する。暴力は仁義外れだけ。力は人のために振るえ」と根気よく教え続け、ある程度ではあるが分別の付くようになったという。後の阿久津の葬式回で、小峠は現在の小林の人格形成における支柱として阿久津と工藤の二人を挙げており、食事を奢ったりなどで可愛がった阿久津が「飴」、仁義を根気良く諭した工藤が「鞭」といった形で作用していたと考えられる。
「力があるかないかじゃねぇ! 仁義のために力を使うかどうかじゃああああ!!」
「和中ぁ。テメェは強くなりてえんだろ。なら誰かのために強くなれ。自分のためにやってる奴はここぞで競り負けるんだ。誰かのために振るう剣は魂が籠るんだ! そういう剣は当たるんだよ。わかったか。若造が……」
和中は入門時から圧倒的な強さを誇っていたが、それ故に酷く尊大で、己に実力で劣る周りを見下す傾向が強く、先輩若衆や同期との揉め事が絶えなかった。ある日、工藤から稽古に誘われ、道場で互いに木刀を持って疑似戦を展開。当然ながら和中が圧倒的優勢をみせ、何のために稽古しているのかと理解できずボヤきをみせるが、工藤は今の和中が功名心のために剣を振っていることを看破し、そのような考えで剣を振る者はいざという時に競り負けると説き、仁義のために力を振る者が真に強いと説きながら渾身の振り下ろしを放つ。目測で避けることも容易かったが、その真を突いた言葉が心に刺さったせいか和中は対処が遅れ、その一発を見舞うことに。工藤が「自分のため」だという言葉の意味を理解した和中は、これまで行った非礼を詫び、改めて彼に任侠の教えを乞うた。
「馬鹿野郎!! そんなこと言うならよ、なんで俺はテメェに教えたんだ! 育たねぇとか辞めるとか分からねぇだろうが! 教えるべき相手に必死に教える。それが組織を強くするんだ!」
「お前が俺から教わってきた事を今度は弟分に返してやれ……うちの組はなぁ、そうやって綿々と受け継いでんだ。俺もな教わったことを一生懸命お前に伝えてるだけなんだよ」
野田は入門時から有望株で、工藤も背中を預けるほどの戦闘力に加え頭の回転の速さを発揮し、若くして一部のシノギの主導を任される程にまでなったが、少数の例外を除き他人に興味が持てないという欠点があり、それ故に舎弟には何も教えず、失敗したらすぐに見限りをつけるため「若衆潰し」というレッテルが貼られてしまい、一時期は野田の下には誰もついていない時もあったという。それを見て取った工藤は野田を飲みに誘い「厳しくてもいいから下を一人前にしてやれ」と教えた。最初は「育てたって辞めるかもしれない、育たないかもしれない」と拒否していたが、工藤は叱責した上で「出来る出来ないではなく教えるべき者に教える」という、自身も含め組員たちが組織のために脈々とそれを継承してきた経緯と合わせて伝え、これ以降は野田も、舎弟たちを軽々と斬り捨てず熱心に教育するようになった(実際に本編でも、よく失敗しては凄惨なヤキを入れている小峠にも、失敗の原因や正しい対処法、カバーするための今後の行動方針などはしっかりと伝えている)。
葬儀では唯一涙を零さなかった野田であったが、その後の酒の席で工藤から教わったことを思い出し、和中と飯豊の前で慟哭した。
「須永ぁ! 事務所を最後に出る時は電気消せ! 組の無駄金を作るのは仁義に反する!」
須永は元々街で喧嘩し続ける愚連隊であり、そんな須永を拾い上げたのが工藤である。仁義のことのみならず全てにおいて教えており、工藤が一番怒ったであろう構成員。当初は無理やりであったが須永を組織に入れたことを良かったと思っており「人生変えて頂きました!」と非常に感謝している。
このため、工藤の死後は他の組員が徐々に普段の調子を取り戻す中、須永は依然として引きずり、シノギにも手がつかず日々項垂れる姿をみせていたが、結果としてこれが普段みせない凄まじい分析能力を発揮させ、城戸丈一郎の本部襲撃に真っ先に気付くことに繋がった。
また、しばらく後に工藤の実の息子である亘清が組に入門し、当初「偉大な父」である工藤の背中を追うあまり後先を考えない言動が目立っていた彼に対し、工藤の凄さを認めつつ「親父が偉大でもお前はお前だ」と、工藤のようになることが如何に難しいかを厳しい言葉を持って軽率な行動を改めさせると共に「ただな、みんなお前が可愛いんだよ」と、工藤と繋がりの深い彼の入門を内心喜び、また工藤から受けた恩を亘清を通して返したいという他の面々の真意を代弁している。この想いを受けた亘清も以後は行動を改め、父ではなく自分なりの形で任侠道を極めると心機一転した。…よく「何者でもない自分(僕)」と自称するなど変な癖はついたが。
元宮組
- 元宮
天羽組と協力関係にあった組の組長で天羽とは若い時からの仲が良かった。喧嘩においては工藤に助けられてばかりだった自嘲していたが工藤に取っても恩人と言うべき人物。若い時から工藤に目を掛け食事を奢り極道の何たるかを説き工藤の人格形成に大きな影響を与えた人物であった。
活躍
- 2021年10月3日付の動画(紅林二郎)
紅林から鉄拳制裁を受けた倉田商事の社長と専務に追い打ちを掛ける形で小峠と共に現れ、ドスで滅多刺しにして殺害した。ただし、この時点では名前はまだ紹介されておらず、2021年10月27日の動画で判明した。
その迫力もさることながら、カチコミ前の鋭い眼光もあって、紅林は戦慄して何も出来ずに硬直し、二人の惨殺を止められずにその場から去るしかできなかった。一方でボクシングの元東洋太平洋チャンピオンだった経歴を持つ工藤も、二人を顔面陥没させた紅林の強さを認めていた。
「さっきの兄ちゃんだろ、相当のパンチ持ってるな。 顔面陥没してるわ」
- 11月26日付の動画(小峠華太)
初登場から2ヵ月近くも経過してようやくメインのキャラクターとして登場。組長の家で空き巣を働いた半グレグループのいるクラブにカチコミに入り、構成員5人のうち4人の腹を刺して瞬殺し、リーダーについては両瞼、舌先、鼻、両耳を瞬時に全て斬り落とし、二度と歩けないよう両足を滅多刺しにして組長に引き渡した。その後、リーダーは組長自らによる凄惨な拷問を受けて死亡した。
「おう。親っさんの金を盗った罪深さ……汚え腹を掻っ捌いてわからせる」
「兄ちゃんら、今日で人生終わりだ。今まで精一杯生きたか?」
「よーくわかった。やっぱり兄ちゃんらか。人間としての背骨がねえようだ」
「腹掻っ捌いてやるから背骨作れぇ!」
「親御さんが五体満足に生んでくれたみてえだが……もう二度と歩けねえなぁ!!」
- 12月26日付の動画(小峠華太)
アーミーナイフの小林と共に、空龍街で老人を標的にした詐欺を行なっていた半グレを粛清していた。死体処理用のアスファルト工場が修理のために使えないと小峠から聞くも、少しも慌てず天羽組のフロント企業の一つである水産加工会社(社名が「工藤さんちのDOS水産」なので工藤が取り仕切っているものと思われる)の冷凍庫に小峠と新人の速水を連れて行き、「冷凍してからミンチにし、魚の餌にする」という死体処理の方法を指導した(ちなみに死体をコンクリ詰めにして海に投棄するのかと質問した小峠には容赦なく腹パンを食らわせた。そのような事をすれば、何かしらの拍子で引き上げられ、ひいては天羽組の破滅につながる恐れがある為、それを防ぐ為の『処置』だと考えられる)。また、作中時間軸で25年前では、上述の方法で死体処理を行なっていたが警察に目をつけられてしまい、アスファルト工場に委託する方法に変えたと思われる(この時、小峠の兄貴だった今は亡き江藤の姿が確認できる)。
作業が終わった後、ヤクザはまともな死に方はできないものと改めて小峠に語り、同じ死ぬなら体を溶かされて道路のアスファルトにされるよりもミンチにされて海の魚の餌になる方がいいと語った他、心が折れかけた速水に親元へ帰るよう促すなど人情味のある一面をみせた(ただし速水は親がいないためもう少し粘る決意を告げ、工藤も了承した)。なお、この動画では工藤が小林に命令をしており、小林は面倒臭がりながらも工藤の命令に従っていた様子から、組での地位は小林よりも工藤の方が上であることが分かる。
ちなみにこの動画以前は小峠を苗字で呼んでいたが、この動画以降は下の名前である「カブト」と呼んでいる(他の兄貴達もこれと前後して小峠を下の名前で呼ぶようになっている)。
「腹ァ掻っ捌いてやるから、汚ねえハラワタを綺麗に洗え……」
「ご苦労。小林! 積み込むぞ」
(遺体を湾岸に沈めるのかと質問をした小峠に対して)「そんなヌルいやり方じゃ見つかっちまうだろうがぁ!」
「道になるより海に出たほうが男の最期として格好いいじゃねぇか」
- 2022年1月26日付の動画(小峠華太)
新興団体である真鍋組の組員二人が天羽組のシマで経営する店の女性キャストに罵倒と乱暴を働いた事を咎めて人気のない所まで連れてきたが、その二人がドスを抜いた事で応戦、ドスで二人を刺殺した。だがこの事件を警察に嗅ぎつけられた事に組長らが頭を悩ませていた時、小峠の同期で工藤に恩のある宮本が部屋に入ってきて、自分が工藤の身代わりに出頭する事を組長に申し出た。工藤はこれに反論したが、組長は組の主力である工藤を失う訳にはいかないとして宮本の提案を了承した。
工藤は自分を庇う形で罪を被った宮本の帰ってくる場所を作る為に、前にも増して組の為に働いたのだが、それも虚しく宮本は獄中に送り込まれた真鍋組のヒットマンによってリンチにあい、非業の死を遂げてしまう。天羽組が真鍋組に見舞金を支払って手打ちにしたにもかかわらず、横紙破りの行動をした真鍋組に怒りを顕にし、和中・小峠と共に報復を仕掛ける。死にたくない為に信念を曲げた挙句に靴を舐める組長の真鍋の姿に心底失望し、ドスで真鍋の腹を掻っ捌いて仇討ちを果たした。
「宮本ォ、テメエは喧嘩が弱えなぁ」
(宮本「はい……すいません」)
「でもな、どんなに窮地でも絶対に信念を曲げないお前が俺は好きだ」
「お前には極道としての背骨がねぇようだ…! 腹ァ掻っ捌いてやるよ!」
「テメエの首は華と一緒に宮本の墓前に備えてやる! 往生しろやァァァァ!!」
- 2月9日付の動画(小峠華太)
終盤で少し登場。小林と共にスカウト狩りの二人を拷問していた。
「サツにタレ込まなけりゃあ殺さねえよ」
- 4月13日付の動画(小峠華太)
終盤の回想で登場。自分より才能のある者と対峙した時の攻略法を小峠に伝授した。
この工藤の教えのおかげで、小峠は久我との戦いで防戦一方に追い込まれながらも、最終的には相打ちに持ち込む事ができた。
一方の久我は、戦闘能力では小峠を完全に圧倒しながらも、勝利のために自分の身体を犠牲にすることも厭わない小峠の捨て身の行動に心の底から恐怖を覚え、病室で精神力で小峠に負けたと六車に涙ながらに話した。
「小峠、才能がある奴ってのはな、無傷で勝とうとするんだ。そん時はよ……腹ァ刺して相打ちに持ち込めえ」
(小峠「え……でも、刺されたら死にませんか?」)
「馬鹿野郎! それをやれなかったら手も足も出ずテメエが死ぬだけなんだよ。腹を刺し合った時はなぁ、気合が入ってる方が生き残る。覚えとけ」
- 4月22日付の動画(状況整理)
終盤の予告で登場。次の日である4月23日付の動画で、敵対組織である京極組の一条康明・野島翔と衝突したことが予告された。また、佐竹博文と遭遇したとのこと。
「ウチの若ぇ衆を殺ったんだ。ケジメは付けてもらうぜ」
「その赤ん坊を持ってるってことは……兄ちゃん……外道かい?」
須永と共に黒焉街の裏通りを歩いていた時、一条と野島の姿を見付けたため、一条の相手を須永に任せ、工藤は野島の相手を引き受ける。圧倒的な実力差で野島の斧を全て回避し、膝蓋骨にドスをブッ刺して野島を歩行不能にして無力化したが、命を取ることはしなかった。工藤は、最初から実力不足と分かっていても果敢に自分に挑んできた若い野島の姿を見て、死んだ北岡のことを思い出していたのかもしれない。そして、地面に這いつくばった野島を見下ろしながら、いつも通りに教えを解いた。次に、須永が一条に銃撃をして体勢を崩させた直後、懐を取って腹をドスで横一文字に抉って致命傷を負わせるが、気合で耐えきった一条にロングナイフで刺されてしまう(小峠に教えた戦法を逆に受けてしまうも、腹にサラシを巻いたお陰で致命傷には至らなかった)。一条を後一歩まで追い詰めたものの、久我と六車が乱入した事で形勢不利と判断し、須永と共にその場から退散した。
「お前の言う星占いが当たるとはなぁ、世の中わからねえもんだ」
「兄ちゃん、俺と戦るには10年早かったようだ」
「命までは取らねえよ。仁義外れでも子は親に逆らえないからな。これからはついていく相手を間違えるな」
「仁義外れが……死んどけェェェェ!!」
「兄ちゃん、俺も数え切れねえほど多対1はやってきてる…… 言い訳はできねえ。テメエには運も力もねえってことだ」
「その赤ん坊を持ってるってことは、兄ちゃん。外道かい?」
元天羽組の廣島と駆け落ちした堂馬利信の令嬢からの救援要請を受け(程なくして令嬢は殺害された)、赤子を保護しに朱雀町にて出来た大型商業施設に来ていた。その際、佐竹博文と肩がぶつかり遭遇。赤子の行方を調べていたが佐竹自身も知らず、総合案内にて伝えようと提案するもそのまま去った。その後、火炎放射機の殺し屋によるアクシデントで身体を焼かれかけた佐竹と再び遭遇、赤子の出自を佐竹に話す。その後は殺し屋によって佐竹と分断されてしまうが即座に合流。身体を半分焼かれながらも赤子を守りぬいた佐竹の覚悟を「男の中の男」と認め、見事に殺し屋を粛清することに成功。赤子を保護し、佐竹を病院に搬送した。佐竹視点での解説はこちらを参照。
「そんだけしっかり抱いてるんだ…… 守ってくれたんだろ? 兄ちゃん」
「ラアアアアア! いい啖呵だ兄ちゃん。後は任せとけ」
(「貴様何者だ」と言おうとした火炎放射機の殺し屋に対して)「外道に名乗る名はねえな」
「赤子を嗤って殺れるテメエのハラワタァ……! 一体どんな色がブチ撒けてみろやァァァァッ!!」
「よくやった。兄ちゃんの男気、決して忘れねえぜ」
その後、アニメ版ヒューマンバグ大学の制作決定アナウンスはなんと彼が行った。
「これを見ねえ仁義外れは腹ァ掻っ捌くぜェ!」
野島の回想で登場。天京戦争での彼の言葉を思い出し、野島は勝利をつかんだ。
伊集院が権力者の息子であり快楽殺人の通り魔の粛清のため、手を結ぶ事となった。
依頼者の旦那の覚悟を組んで天羽組にとっての御用達にして伊集院の相棒的存在の情報屋である伍代千隼を紹介し、間接的に伊集院と引き合わせた。
数人の美女を囮にした上で護衛に付き、空龍街で犯人が現れるや否や凄まじいスピードと拳の乱打で仕留める露払いを行った。
この時、伊集院が護衛をお願いした際に「お久しぶりです」と発言している事から、旧知の仲である事が窺える。
「惚れた女の仇討ちの為にヤクザ者に頭を下げるか……兄ちゃん良い覚悟だ。ついて来い」
「伊集院さん。これは乗り掛かった船だ。手伝わせてもらうぜ」
「出やがったなこの外道がァア!!」
「ウチのシマで舐めた真似しやがってェ! ただで済むと思うなよォオオオ!!」
「軽くシメときました伊集院さん。本番はお任せしますよ」
- 8月2日付の動画(小峠華太)
冒頭で登場。空龍街でアコギな真似をした半グレ集団を叩きのめした。
「兄ちゃん、ウチのシマでアコギな商売は厳禁だ。今すぐ店を畳めば許してやる……」
(半グレ1「アァ? ヤクザかオッサン。シマなんて古ィんだよ」 半グレ2「表でろオッサン」)
「弱ェなぁ兄ちゃん! 魂が弱ェ!」
(半グレ1「ゴエエエエエ!」 半グレ2「カカカッカ……」)
「兄ちゃん、今すぐこの街から消えな。じゃねえとそのドス黒い腹を斬る……」
- 9月29日付の動画(小峠華太)
久々の登場。天羽に夫妻共々の柄をかわすように阿久津と共に提案するも天羽はこういう時こそ前線にいると言い、妻の京子の柄をかわすことだけ飲んだ。
またこの回では天羽の護衛をしており、昔永瀬にドスの技術を徹底的に仕込んでいた事が判明。(拳銃の腕前は今は亡き速撃ちの八隅が鍛えていた。)
そして天羽組の仲間を守るため自身も前線に出ると小峠に宣言した。
永瀬の事を天羽組に拾われた14歳の頃から面倒を見て鍛えているのもあってか、彼を苗字ではなく下の名前で呼んでいる。
「光一!下から斜め45度に一気に突き上げろ!」
「親っさんを守るのは我々の責務です。お気になさらず。」
「(天羽組の人間は)誰一人として死なせられねえ。俺も前線に出る」
- 10月7日付の動画(紅林二郎)
工藤は空龍街で複数の家庭を破壊したカルト宗教「慈愛の会」にカチコミをかける。途中、会に拉致された女子学生・真由の救出に向かっていた愛天雄の紅林や如月と鉢合わせになり三人でカチコミをかける。三人は教祖が真由を強姦しようとしてところに出くわし如月が激高、紅林と共に付き人たちを蹴散らすが教祖が発砲し応戦。紅林と如月が回避している隙に工藤が教祖の懐に飛び込み木刀で教祖の腹を突き刺し大量のゲロを吐き出させトドメを如月に任せた。慈愛の会壊滅が確定したところでサツが来たことを察知して紅林と如月に任侠に生きろと言い残して去っていった。
余談であるが、この日は工藤が初登場してから約1年後の動画であり、尚且つ紅林とも再共演している。
「俺は天羽組の工藤ってもんだ。この悪徳宗教に家庭を壊されたってシマの人間が複数いてな。今から教祖をカタにはめる」
「宗教ってのはよォ……人を幸せに導くもんじゃねぇのかこの外道!」
「俺は人のために拳を振るう兄ちゃんらに惚れた。喧嘩するなら人のためだ。自分のためにやっちゃいけねぇ。変わらず任侠に生きてくれや。じゃあな。またどっかで会おうや」
- 10月11日付の動画(小峠華太)
工藤はかつて天羽組と協力関係にあった老舗ヤクザ組織「元宮組」の元宮組長を若い頃何度か襲撃犯から救ったことがあり自身も目を掛けられており元宮とは友好的な関係を築いていた。しかしその元宮組のカシラ美濃部が天王寺組の苅込一輝により引き込まれており元宮が知らぬ間に元宮組は天王寺組とつるんで天羽組と元宮の暗殺計画を進めていた。工藤と阿久津が元宮組で談話していたところ美濃部率いる裏切り者達が工藤と阿久津に発砲、既に違和感に気がついていた元宮が2人を庇い致命傷を負ってしまう。阿久津は美濃部の手下を射殺し工藤は美濃部を刺し殺した(この際美濃部は下衆に加担したことを後悔していた)。そして元宮の今際の際の言葉を聞いた工藤は彼の死に怒りの絶叫をあげた。後に和中が美濃部を操った天王寺組の苅込を粛清したときは、少しは救われると伝えていた。
「おい。仁義外れの兄ちゃんら……シマの人間がテメェらを受け入れる訳ねぇだろ」
「問答無用じゃあ外道がァ! 腹掻っ捌いとけェエエエエ!!」
「チクショオオオオ! クソッタレがぁああああああ!!」
「すまねえな和中。元宮の親分も少しは救われる」
- 11月26日付の動画(状況整理)
天王寺組の武闘派組織である城戸派の副将・浅倉潤と激突する事が予告された。
この二人の戦いは羽王戦争の命運を分ける一戦となり、余りにも凄惨な戦いになったとの事。
工藤と浅倉の直接対決。詳細は浅倉潤の項目を参照。この動画のコメント欄は、「工藤の兄貴死なないでくれ!」という視聴者のコメントで埋め尽くされた……が、この動画で予告された速水との特訓が未だに回収されていないため、生存することが公式スポイラーとして判明している・・・
はずだった。
魂を燃やして 天羽組の生きる伝説の最期
- 12月13日付の動画(小峠華太)
満身創痍の工藤は浅倉の死にブチギレた城戸丈一郎から小峠と速水泰輝を逃がすために限界を明らかに超えた状態で立ち塞がる。その中で速水は工藤の出血量に焦りを感じており、また数々の修羅場を救われたこともあり、腹を括り城戸と戦おうとするが、工藤からはこれから天羽組の未来を背負わなきゃいけないと期待されると同時に、華太を連れて逃げるよう指示する。
「速水……野郎の相手は俺がする……お前は華太を連れて逃げろ……」
速水「そんな工藤の兄貴! 俺も戦います!」
当然速水は工藤を置いて逃げられるわけもなく戦う意思を見せていた。しかし……
「コラァ……俺がこんな野郎に負けると思ってんのか? いいから行けぇ……」
速水「うぐぐぐ……でも……それは……」
「誰の命令に「でも」とか口答えしてんだぁああ! 華太を担いで必死に走らんかぁああああ!!」
速水「わかりました! すぐに応援を呼びます!」
彼の血を吐くほどの決意と気迫を前にして、速水は小峠を背負い断腸の思いでその場から逃げた。
城戸は逃げる速水を目掛けて命を刈り取りに行くが、工藤が全身から血を流しながらも阻止し、銃を撃たせないように近距離戦に持ち込んだ。
「うぉおおおお! 腹掻っ捌いてやらぁあああ!!」
城戸「とんでもない気迫や工藤ぉ! ただ残念や! 残念でしゃあないなぁああ!!」
瀕死ながらもドスで抵抗するが天王寺組最強クラスの武闘派ヤクザである城戸は圧倒的優位に立ち……
城戸「攻撃させず一方的に攻撃する。戦闘とはそうあるべきや」
「うぅうっ!?」
城戸「すまんが実現させてもらう'」
浅倉戦で視界が消えた右目の視覚範囲に滑り込み銃撃をぶちかました。
城戸「貰ったぁあああ! ここまでや工藤ぉおお!'」
「がああああっ!」
この銃撃は致命傷となり、仕留めたと思っていた城戸だったが……
「倒れ……ね……ダウンなんか……出来ねぇ……行かせ……ね……若い……奴ら……殺させねえ……」
工藤は兄貴分としての執念と、舎弟たちをこれ以上殺させない強い決意で立ち上がる。
「最後に信用できるのは……男ならこれだろ……かかって……こい……ここを通りたきゃ……俺を……殴り倒していけ……」
そしてボクシングで戦闘をするためファイティングポーズをとり城戸はそんな工藤に敬意を表すように拳で応戦しようとした。しかし……
城戸「うお……工藤……アンタ……」
城戸「まさか……立ったまま……'」
城戸「信じられへん……この男」
城戸「立ったまま死んどる」
工藤は立ったまま既に事切れていたのであった。
小峠を担いだ速水を逃がし切り、満身創痍でも城戸という強すぎる敵に立ち向かった漢・工藤清志は最後まで戦い抜いて死亡した。
城戸「工藤さん……敵ながら見事な最後でした。2人の命は、守られましたよ……」
この姿に、敵である城戸も工藤の偉大さを認め、労いの言葉をかけた後、浅倉の遺体を回収して撤退した。
和中「工藤の兄貴! どこですかぁあああ!」
須永「工藤の兄貴ぃいい!」
それから暫くして、(恐らく速水からの連絡を受けて)和中と須永が駆けつけたが……
和中「まさか……工藤の兄貴……」
須永「兄貴……嘘ですよね……」
そこにあったのは、城戸が立ち去っても尚立ち続けていた工藤の亡骸だった……
和中「うぉおおお!! 工藤の兄貴ぃいいい!!」
須永「がぁあああ!! クソったれぇえええええ!!」
須永「チキショォオオオ!! 天王寺組ゆるさねぇぇえ!!」
和中「ぐぅうううう!! くそおおおおお!!」
2人にとっても偉大な兄貴だった工藤の亡骸を前に、2人は敬愛していた兄貴の死への慟哭と、兄貴を死へと追いやった天王寺組への憎悪の叫びを上げるしかなかった……
和中と須永から報告を受けた天羽と阿久津も、悲痛な表情を浮かべて工藤の死を嘆いた。
工藤清志という天羽組の重鎮であり、仁義と任侠に生き抜いた漢の死は、天羽組に大きく深い影を落とすのだった。
そして、天王寺組の逆襲はここから始まっていくのであった。
- 12月17日付の動画(状況整理)
葬式が行われることが確定した(ただし京羅戦争時の葬式と同様極秘裏)。なお、この際に幹部の中では古参である野田からも『兄貴』と初めて呼ばれた事から、工藤は野田よりも、ひいては天羽組の幹部の中で最も地位が高い事が判明した。
- 12月21日付の動画(飯豊朔太郎)
天羽の養子である永瀬の回想シーンで登場。
永瀬が14歳で天羽組に入った時から食事をご馳走したりと率先して世話をしてきた。永瀬が正式な組員となった頃からドスの扱いや戦いの心構えまで徹底的に叩き込んだ。また、永瀬が未来を不安に思った時は過去を悔んだり未来を憂うのではなく、目の前に集中すれば道が見えると生き方まで教え説いた。
永瀬にとっての工藤は実の家族のように慕っており、普段は恐れられる永瀬も工藤の訃報を知った際は心の底に秘めていた想いを涙ながらに飯豊朔太郎に吐き出していた。
そして永瀬が仇である城戸との戦いにおいて、どれほど不利になっても工藤の想いを力に変えて立ち向かった。
工藤清志、永遠の別れ。
- 12月23日付の動画(飯豊朔太郎)
抗争の中、天羽の意向で極秘裏に葬儀が行われる事となった。
天羽や阿久津、動ける狂人兄貴や構成員は勿論、城戸の敵討ちに挑み引き分けるも重傷を負った永瀬が合流し葬儀が執り行われた。
工藤の亡骸を見て、天羽は工藤に今まで共に歩いてくれた事への感謝ともっと共に生きていたかった事への悲壮を述べた。阿久津は命と引き換えに舎弟を守り抜いた事への誇りと自身があの世へ行ったら杯を交わす約束をした。
和中は今までの恩義の言葉と城戸を斃す事を涙ながらに誓った。
小林は寂しい思いと入門当初メチャクチャにやっていた自身に仁義を何度も教えてくれた事への恩義を伝え、もうそれが叶わない事を悟りながら滝のような涙を流した。
14歳から世話になっている永瀬は、城戸を斃して仇を討つ事を改めて誓った。
天王寺組を必ず倒すと誓う南雲梗平、声にならないまま頷く須永。
野田だけは葬儀の場では涙を零す事なく、労いの言葉と天王寺組打倒を誓った。しかし、その野田も葬儀の終了後は、行き付けの酒場で工藤との思い出を語りながら滂沱の涙を流していた。
天羽組の生きる伝説として名を轟かせ、仁義と愛する者達のために戦い抜いた工藤清志は、およそ考えられる最大限の敬意をもって天羽組の面々に見送られるのだった。
また今回の話で、工藤が他の天羽組の狂人兄貴達は勿論、特に御三家兄貴達には多大な影響を与えていた事が明かされており、彼がいなければ後輩に対する思いやりもなく、自分の力を過信して目上の人間に敬意を払わずに命令のまま誰彼構わず暴力を振るうような無法者ばかりが天羽組に在籍して最悪空中分解の可能性すらあった。そんなクセの強い面々に渡世の仁義を根気強く教え込んだ工藤の努力があったからこそ今の天羽組が存在すると言っても過言ではなく、何物にも代えがたい功績であった。
余談
工藤の死が及ぼした影響
浅倉との戦闘で重傷を負った工藤の背後に城戸が現れて絶体絶命の状態となった際に「工藤の兄貴死なないでくれ!」という視聴者のコメントが殺到していた分、工藤の死を悲しむファンは非常に多く、彼の最期を惜しむ声が多数上がった。このためか、Twitterでは動画が投稿されて間もなく「工藤の兄貴」がトレンド入りした。
工藤清志を演じた畑耕平氏は、「涙で収録を3回中断した」とコメントしている。
ちなみに「伊集院と一緒に外道を成敗した主要人物は死なない」と思われていたが、工藤が羽王戦争で戦死した事でそのジンクスは破られた。その後、2024年10月末までに南雲、我妻、宇佐美、イヌワシ、長門、深瀬、ダヴィッツと8名が死亡している。
これまで羽王戦争において、天羽組側の死亡者は若衆や協力してくれた極道組織の構成員の者達ばかりだったが、舎弟達から慕われ天羽からは「今、お前を失うわけにはいかない」と言われ、他の極道組織の構成員は勿論、紅林や伊集院からも一目置かれていて任侠の漢の鑑である天羽組の主力の一人である工藤が最初の戦死者となった。
彼は戦闘面における舎弟の教育(主にドスの使い方、しかもこれを工藤から学んでから舎弟はそれぞれの得意武器に合わせて独自の戦い方を作っていく)係という非常に重要な役割も担っていたため、彼が死んだ後は誰がその役割を担当するのか疑問を呈する視聴者もいる。
実際彼の教育により天羽組は末端まで鍛え上げられた超武闘派組織になっていたため、そういった意味でも彼の死は天羽組にとって大きなダメージだったのだろう。
それだけでなく、工藤は前述の通り天羽組のナンバー3という重要な地位にあり、将来の組長候補であったと推測されるため、工藤が死んだ後は誰が彼の地位を継げば良いのか不安を語る視聴者も存在する。一部の視聴者による考察動画では、工藤の死によって天羽組は組の中枢を失い、非常に苦しい状況になったとする旨がコメントされている。
実際、23日の動画ではあの狂人達でさえ性格や行動に何かしらの欠点や問題があり工藤の教えがなければ大成しなかったことが判明しており生前の彼の存在や影響力の大きさ、そして彼を失ったことによる組へのダメージの大きさを改めて示す形になった。(下手すれば彼に外道認定され全員粛清されていた可能性もある。)
そして、工藤の死の5ヶ月後、今度は天羽組の若頭阿久津敏朗も天王寺組の戸狩派との抗争の中、自ら足止めをして舎弟である青山琉己と飯豊、そして天羽親分を逃し、その命を落とす事となった。奇しくも、その最期は工藤の最期とどこか似ているものであった。阿久津は工藤の葬式の際に『あの世でまた日本酒を飲み交わそう』と語っていたが、その阿久津の葬式の日に南雲が落命する悲劇に見舞われた。工藤は今頃宮本・阿久津・南雲と再会し飲み交わしているのであろうか…
彼の葬儀について
工藤の葬儀については、前述の通り2022年12月23日付の動画を丸ごと1本使って解説された。
本来、天羽組の上級幹部である工藤の葬儀は、同盟組織の関係者も大勢招いて盛大に行われるべきだったであろうが、実際の葬儀は天王寺組の襲撃を恐れてか極秘裏に行われる事となった。
彼の葬儀には、城戸との弔い合戦で重傷を負って病院に運ばれたはずの永瀬も含め、天羽組の関係者はほとんどが参列したが、未だ意識の戻らない小峠と、身を隠している京子は参列出来なかった模様。
普段は冷静で落ち着いている天羽と阿久津、お調子者の須永や小林も含めて、工藤の死に涙を流さない者はなかった。ただ一人、工藤の第一の舎弟であった野田だけは気丈に振る舞っていたが、その野田も葬儀の終了後は、行き付けの酒場で工藤との思い出を語りながら滂沱の涙を流していた。
なお、天羽組の新人舎弟であった柏木も工藤と同じ日に戦死したはずだが、動画の中では柏木の死については完全に無視されており、彼の葬儀がどのように行われたかも不明となっている。もっとも、現場の状況から彼は遺体も残らないほど激しく爆死したため葬儀がそもそもできなかった可能性が有力とされる。
2023年2月12日の動画の動画内では6月12日と記載されていたがそれは運営側のミスであり正しくは誕生日が1月13日だったことが公式Twitterで明かされた(動画で明かされるまで永瀬も工藤同様誕生日が明かされていなかったため、生死が心配されていた声が上がっていた)。
関連タグ
狂人兄貴 - 公式ではその1人となっているが狂人描写はほぼない。
北岡隆太 - 同じく天羽組の構成員。敵対する極道組織の構成員に命を狙われた際に速水を逃がして死亡した点で共通している。
阿久津敏朗 - 天羽組若頭。特に掘り下げはされてないが、彼も工藤とは付き合いが長く、葬儀では他組員同様に涙を流し「あの世で再会したらまた一緒に酒を飲もう」と言葉をかけていたが、その後の羽王戦争第二陣として関東入りした戸狩と対決し、組長と舎弟たちを庇い落命。奇しくも、工藤を討った城戸と並ぶ二大武闘派のトップに討たれたこと、またその自己犠牲の覚悟と咄嗟の機転で見事に味方を守り抜いた生き様を敵方より「見事」と認められるなど、その最期は工藤に重なる部分が多かった。
西園寺健吾 - 同じく元格闘家の極道で京極組の幹部構成員。ただし経験した格闘技の種類からスピードファイターの工藤とパワーファイターの西園寺ではかなり戦法が異なる。そして組存続の危機で舎弟を守り抜いて、敵幹部に殺害されたという点も共通している。また、血の繋がった子供がいるという点も共通化する。
国生英明 - 京極組の幹部。両者ともに任侠を重んじる極道で舎弟を生かすために逃がし、強敵と戦って命を散らしたという共通点がある。
佐古大和 - こちらは伝説に仕立てあげられた極道。仕立てあげた人は小林のような狂人。
大園銀次 - 若手構成員の教育係を担っていた点、組においては上級幹部であり、組織の重鎮であった点が共通している。舎弟からの信頼も厚い点も類似する。
近藤新平太 - 拳を使った戦闘を展開すること、たくましい筋肉が目立つことが共通。また、舎弟に対しても理不尽なパワハラを働くことはほぼ無く、時に親身になって接する点が類似。更には、工藤も近藤も佐竹博文や紅林二郎と遭遇したことある点も共通する。
サーマート - 彼はかつてムエタイチャンプであり、工藤とはかつて格闘技のチャンプで現在は裏社会の猛者になっているという共通点がある。
犬亥鳳太郎 - 配偶者がおり、子供もいるという点が共通している。
柳楽和光 - 獅子王組における生きる伝説。彼も組の中では重鎮的な存在であり、実力や技量も抜群。
???「お願いします! 俺を組に入れてください!!」
天羽「ダメだ。親父からお前の話は聞いてるがこの世界には入れたくないと言っていた」
???「それは理解した上です!」
天羽「やめておけ。父の言葉を大事にしろ」
???「私は親父からいい教えを受けました! 天羽組長、どうかここで……男を磨かせてください!!」
天羽「親父はお前には別の道を進んでもらいたいと願っていた……どうしてもこの道を行くか?」
???「俺は親父のように男として街や仲間を守って生きたいんです!」
「宜しくお願いします。工藤です」
天羽「コイツが今日からウチに入る・・・工藤亘清だ」
生きる伝説の息子…
工藤の死から月日が経ち、羽王戦争の再開から少し経過した頃、天羽組の敷居を入室を志願する一人の男が現れた。その容姿を見たその瞬間、小峠は勿論のこと野田と須永も目を丸くして硬直したほどだった。
その姿は田頭組で名を馳せていた若き頃の工藤そのものであったからだ。まさに生き写しという言葉が似合う男……
工藤清志の息子、工藤亘清が天羽組に加入したのだった。