大区小区制の区
1871年から1872年まで全国に設けられた地方区分。
府県の下に大区を置き、大区の下に小区を置く仕組みで、これまであった町の名前を廃止して「第9大区6小区」などの数字で行政区域があらわされた。
旧来地域の様々な問題を自治的に解決してきた町村を否定して、代わりに中央の命令の伝達と施行しかしない機関を設けたために国民に不評で、のちの「郡区町村編制法」に取ってかえられた。
郡区町村編制法の区
1878年(明治11年)に「大区小区制」に代わって制定された日本の地方制度に関する法令である「郡区町村編制法」で定められた区。
三府・五港および人口密集地には郡から分けて区を置き、広い人口密集地には複数の区を置いた。区には区長が置かれ、区長も郡長と同様に官選とされた。
1879年(明治12年)1月1日に本籍人口が多い三都である東京が15区、大阪が4区、京都が2区と複数区が置かれた。
その他は名古屋区・金沢区・広島区・和歌山区・横浜区・仙台区・堺区・福岡区・熊本区・神戸区・新潟区・岡山区・長崎区・函館区・伏見区(現・京都市)・赤間関区(現・下関市)・札幌区など、当時の主要都市に設置された。
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