ヒズマジェスティ(His Majesty)とは、男性の君主に対する敬称であり、日本語では「陛下」がそれに該当する。
本項では、これをそのまま馬名とする1968年生まれの競走馬・ヒズマジェスティについて記述する。
競走馬としては怪我に泣いて大成できなかったが、種牡馬として大きな飛躍を見せた。
父は凱旋門賞連覇を含む生涯無敗の歴史的名馬Ribot、母は32戦7勝で二冠牝馬Bowl of Flowersや本馬の全兄に当たるGraustarkを既に産んでいた名牝Flower Bowl、母父は不出走ながら血統を評価され種牡馬入りし活躍したAlibhaiという血統である。
兄同様にケンタッキー州ダービーダンファームの代表であるジョン・ガルブレイスの生産所有馬だったが、母が本馬を産んだ直後に出血多量で死亡したため、本馬には乳母がつけられた。その良血と馬体の出来栄えの良さから、「陛下」を意味するヒズマジェスティという名前を与えられた。
ルー・ロンディネッリ調教師に預けられた本馬は2歳時にデビュー戦を勝って次走2着の2戦1勝、3歳時は初戦の一般競走を勝利した。続くバハマズS(7ハロン)では道中不利を受けた影響もあって前年のレムセンS勝ち馬*ジムフレンチ(バンブーアトラスの父)の3着に敗れたが、続くエヴァーグレイズS(9ハロン)では同馬を破って勝ち、ケンタッキーダービーの有力馬に名を連ねるようになった。
ところがエヴァーグレイズSに続いて出走したフラミンゴS(9ハロン)において、不運にもレース中に内ラチに激突し右前脚を骨折するというアクシデントがあり6着に大敗。当然ケンタッキーダービー出走も露と消え戦線離脱となり、3歳時はそのまま休養となった。
4歳シーズンに入って復帰した本馬は5月までに12戦したが挙げた勝ち星は1つだけであり、セミノールH(9ハロン)で僚馬Good Counselのハナ差2着に入ってホーソーンゴールドカップに向かおうとしたところでまたも故障し休養となった。5歳1月の復帰初戦ではハイアリアパーク競馬場の一般競走(9ハロン)をレコード勝ちしたが続くドンH(9ハロン)のレース中に左前脚の腱を痛めて着外に敗れ、これを最後に引退となった。通算成績は22戦5勝・ステークス競走1勝とあまり冴えなかった。
引退後は兄同様にダービーダンファームで種牡馬入りし、兄と同程度の好成績を収めたほか、1982年には兄が無縁だった北米リーディングサイアーを獲得した。代表産駒はケンタッキーダービーとプリークネスSを勝ち二冠を制したPleasant Colony、1991年エクリプス賞最優秀芝牡馬*タイトスポットなどが挙げられる。この実績通り芝・ダート双方で活躍馬を送り出している。
1995年9月21日、老衰のため27歳で死亡。Pleasant Colonyが種牡馬として成功し少なからずサイアーラインを盛り立てたほか*デインヒルやDynaformerの母父に名前を残しており、現在に至るまで様々な形で血統が残っている。
Ribot 1952 鹿毛 |
Tenerani 1944 鹿毛 |
Bellini | Cavaliere d'Arpino |
Bella Minna | |||
Tofanella | Apelle | ||
Try Try Again | |||
Romanella 1943 栗毛 |
El Greco | Pharos | |
Gay Gamp | |||
Barbara Burrini | Papyrus | ||
Bucolic | |||
Flower Bowl 1952 鹿毛 FNo.9-h |
Alibhai 1938 栗毛 |
Hyperion | Gainsborough |
Selene | |||
Teresina | Tracery | ||
Blue Tit | |||
Flower Bed 1946 黒鹿毛 |
Beau Pere | Son-in-Law | |
Cinna | |||
Boudoir | Mahmoud | ||
Kampala | |||
競走馬の4代血統表 |
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最終更新:2025/01/25(土) 22:00
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